わが人生の栄光を謳う 正義と真実の師弟の道





偉大なる創価創始者

牧口常三郎先生は言われた。

「生死の問題に直面する時は

 いかなる智者でも

 学者でも 英雄でも 豪傑でも

 自らの力が

 いかに無力であるかを

 思い知らされる。

 そして

 偉大なる宇宙の力・法則と

 真摯に向き合わざるを得ない。

 宗教への求道は

 これによって生ずる」



人生の最も厳しい法則は

生老病死である。

誰人も逃れることはできない。

誰人も避けることはできない。

これが絶対的な実相である。



生まれたからには

生きねばならない。

生きていくならば

必ず老いねばならない。

その老いゆく

人生の中にあって

病との戦いも免れない。

さらに それよりも

峻厳なる現実は死である。



生老病死――

これは生命の法則である。

その根本的な打開なくして

人類の真の幸福も

恒久の平和もあり得ない。



牧口常三郎先生と

戸田城聖先生は

この解決のために

立ち上がられた。

そして敢然と

常楽我浄の大道を

切り開いてこられたのだ。



私の青春時代の

大好きな詩人

ホイットマンは叫んだ。

「さあ、出発しよう!

 君が誰であろうと 来て

 わたしと一緒に旅をするのだ!

 わたしと一緒に旅をすれば

 君は決して

 疲れることがないのを

 発見する」



わが永遠なる人生の師

戸田城聖先生に

私が初めてお会いしたのは

昭和二十二年の夏

八月十四日の夜であった。

この日この時より

師弟の旅路が始まった。



師弟の道は

明るく誇り高い。

それは

最極の正義の道だからだ。



師弟の道は

何も恐れない。

それは

無敵の真実の道だからだ。



蓮祖は言われた。

「今の法門

 説き聞かせ侯えば

 未来までの仏種になる」



師と共に!

我らは

縁を結ぶ人びとの

心の大地に

未来永遠にわたる

希望の種を

幸福の種を

平和の種を

勝利の種を

深く広く蒔きゆくのだ。



暗闇から師を付け狙う

野獣どもに向かい

弟子は猛然と

すさまじい勢いで

襲いかかった。

相手は絶叫しながら

逃げていった。



私は断じて

魔物に負けない!

悪党たちには負けない!

共に戦う

彼の顔も

彼女の姿も

神々しいほどであった。



荒れ果てた道の両脇には

美しい雑草が

春光に照らされて

生き抜いていた。

彼は勝った!

彼女は勝った!

まさしく

善のために勝った。



師は

来る日も来る日も

四面楚歌の環境のなかに

耐えておられた。

格別つらいとは

思っていないし

感じてもいない。

真の愛弟子がいたからだ。



ただ違背の弟子たちの

悪賢い狐の如き実態が

哀れに見えた。

狐たちも心中は

狂気の如き

増上慢になってしまい

正義の大道を

すべて忘れ去っていった。



敵は喜んだが

心ある青年は激怒した。

「なんと恩知らずの

 馬鹿者どもが勘違いして

 師弟の正道を

 踏み外していったのか!」



一人の勇者は吼え叫んだ。

「いったい何事だ!

 真実の師弟の血脈を

 破壊しゆく

 無能にして

 欲張りの悪党どもよ!」



悪人は所詮

畜生の群がりに過ぎない。

師子は

どこまでも師子である。



古今東西

最も美しく

最も尊く

最も強き生命の劇は

師弟の結合である。



江戸時代

東北の米沢藩の名君と

謳われた上杉鷹山

かのケネディ大統領も

深く敬愛してやまなかった

模範の政治家である。



この鷹山が

終生の師匠と仰いだのは

いったい誰か。

大中部の尾張出身の思想家

細井平洲その人であった。



鷹山が十代の若さで

破綻の危機に瀕した

米沢藩の藩主となった時

師である細井平洲は

指導者の要諦を説いた。

「民を子と思い」

「民が飢えるときは、

 まず自分が先に飢えよ」



この師の教えをば

若き魂に刻みつけ

弟子は自ら率先して

苦労し抜いた。

徹して民を慈しみ

政治・経済・文化・教育

あらゆる面にわたって

美事に藩を蘇らせていった。



人びとは口々に感謝し賛嘆した。

「鷹山公の改革のおかげだ」

しかし鷹山は

師への深き感謝と敬愛を

常に断じて忘れなかった。

「いや、これは

 細井平洲先生の教えの賜物だ」

大興隆を遂げた米沢藩

弟子は師を

外旋の王者の如く迎えた。



師匠への報恩――

それこそ

人間の至高の美徳である。

人生の最上の曳航である。



「賢者でなければ

 恩を返すことを

 知りません」とは

古代ローマの哲人

セネカの達見であった。



忘恩は

愚者の証明である。

いな不知恩は

畜生すら劣るのだ。



ドイツのゲーテ

“心の師”と仰いだ

英国の歴史家カーライルは

海を隔てて

決意を書き送った。

三十三歳の

若きカーライルが

齢八十歳の

巨人ゲーテ

万感の尊敬を込めて

捧げた手紙である。



「我々が全世界と共に

 あなたから学んだ

 高き叡智を

 ますます我物とし、

 それを行動に移すことこそ、

 あなたに対する

 我々の最善の返礼であります」



師匠の教えを行動に移し

価値を創造して

勝利の歴史を残すことこそ

「最善の返礼なのだ」。



仏法の真髄においては

「身命を惜しまず

 邪法を退治し、

正法を弘通すれば、

 即ち一切の恩として

 報ぜざること莫き」と

明かされている。



創価の師弟は

邪法を悉く退治し

一閻浮提へ正法を弘通した。

ここにこそ

燦然と輝きわたる

美しき無上の報恩と

勝利の誠の大道が存在する。



私が対談集を発刊した

中国の国学大師

季羨林博士も

正義に生き抜く師弟を

究極の誉れとしておられた。



季博士が恩師と慕う

碩学・西諦先生は

温厚にして寛大なる

菩薩の如き大人格者であられた。



しかし

その恩師が ひとたび

人民を苦しめる悪の勢力に

対峙されるや

にわかに顔色を変え

怒髪 天を衝く勢いで

激しい義憤と軽蔑を

あらわにされたのである。



季博士は述懐された。

「師は悪に対しては

 仇敵を憎むが如く冷厳であり

 疾風迅雷

 怒りに身を震わせられた」と。



牧口先生も

戸田先生も

この師子王の憤怒をもって

邪悪とたた戦い抜かれた。



「悪を排斥することと

 善を包容することは

 同一の両面である」

そして

「悪人の敵になり得る

 勇者でなければ

 善人の友とはなり得ぬ」とは

牧口先生の師子吼であられる。



陰険にして悪辣な

妬みと僻みに狂った輩は

偉大なる功績の牧口先生

さらにまた戸田先生

そして私を

捩じ曲げて攻撃した。



「羨望は

 燦然たる価値に向かって

 執拗に、かつ猛然と襲いかかる」

「激烈であり、

 狂気であり、残忍である」と

見破ったのは

十八世紀フランスの思想家

ボーブナルグである。



しかし 厳然たる

正義の信念の私たちは

微塵もゆるがなかった。



十九世紀の

英国の詩人キーツ

「どんなものでも

 惰性で腐る」と鋭く喝破した。

わが創価の広布の幹部は

絶対にそうであってはならない。



慢心に溺れて信心を失い

供養を取るだけ貪り取って

邪宗に成り下がった宗門も

創価の私たちに

大迫害を加えてきた。

悩乱の限りを尽くして!



御聖訓には

厳格に記されている。

「外道・悪人は

 如来の正法を破りがたし

 仏弟子

 必ず仏法を破るべし

 師子身中の虫の

 師子を食等云々

 大果報の人をば

 他の敵をやぶりがたし

 親しみより破るべし」



師弟不二

永遠なる広宣流布

創価にあっても

卑怯極まる裏切り者が

人間の顔を持ちながら

心は野獣の如く

金のため

妬みのため

欲望に狂いに狂った。



臆病にも

ある者は灼熱地獄に

ある者は極寒地獄に

墜落しゆくことを

内心では恐れ戦いていた。

彼らは皆 負けたのだ。



「忘恩という、

 石の心をもつ悪魔め」

「恩知らずの化け物めが!」

これは

シェークスピア劇に轟く

痛烈な弾劾である。



卑しい反逆の連中は

やがて無惨にも

何の弁明もできず

悲痛な阿鼻叫喚だけを

残しながら倒れていった。



愚かな

恩知らずの畜生どもが

いかに

師弟不二を引き裂く

野心をもって吼えても

創価の師の魂は

微動だにしなかった。



大聖人は叫ばれた。

「にくまば にくめ」

「いまだ こりず候」



嫉妬の愚人どもが

いかに悪口罵詈しようとも

光輝ある師の生命の

太陽の煌めきは絶対に消えない。



師匠が迫害されているのを

見ながら

護り戦えない弟子たちは

最も悪であり

最も卑劣だ。

そして最も苦しみ

汝自身の悪業の果てに

堕地獄は絶対に間違いない。

それは仏法に

説いている通りだ。



おお 弟子は!

真実の師弟は!

命を賭して

命を懸けて

恩深き師匠を

断固と護りゆくのだ。

死力を尽くして護るのだ。

あらゆるものを

犠牲にして護るのだ。

そこにこそ

師弟の不二があるからだ。



初代会長・牧口先生と

二代会長・戸田先生は

そうであられた。

皆がご存知の通りだ。



戸田先生と弟子の私も

同じ方程式であった。

師弟一体で戦い

師弟一体で苦しみ

師弟一体で勝ち抜き

師弟一体で今日まで

勝ちまくってきたのだ。



この尊き麗しき

師弟の流れを

壊しゆこうとする

魔物・怪物が常に顕れることを

断じて防がねばならない。

これを知りながら

何もせぬ臆病の弟子は

要領で立ち回る輩だ。

つまり

真剣に戦わぬ弟子は

同じ魔物であるのだ。

仏法は厳しい。

これは

牧口先生の叫びであった。



ある時

わが師・戸田先生は

傲慢な幹部の発言に対して

峻厳に叱咤なされた。

「貴様は増上慢だ。

 幹部の資格はない。

 仏法を知らない。

 会員を

 師匠と思って生きていけ!

 大事なのは

 幹部でなくて会員だ」



その指導の瞬間が

今もって

耳朶から離れない。



どこまでも いつまでも

正義の師弟は美しい。

正義の師弟は

断じて勝たねばならぬ!

悪に絶対に勝たねば

永劫に悪名を

着せられたまま

不幸に堕してしまうからだ。



ゆえに断じて我らは

いっそう高く強く

大信念の展望に立って

決然と師弟の剣を抜いて

戦うのだ!

断じて勝つのだ!

断じて勝ちまくるのだ!



その君の手に

掲げた宝剣は

正義の剣

勝利の剣

永遠の剣である。

巨大な情熱を光らせて

師のために勝ちまくる

力を持つ剣なのだ。



マハトマ・ガンジーの直系で

現代インドを代表する哲人

ラダクリシュナン博士は

創価の師弟を讃えられながら

高らかに宣言された。

「師匠は

 弟子の行動の中に行き続ける。

 永遠性に向かって

 創造的に生きる時

 師匠と弟子は不二になる」



私が

永遠に尊敬する わが師

私の人生の師

戸田城聖先生は

昭和三十三年の四月二日

霊山へ還られた。



法華経の化城喩品第七には

「在在の諸仏の土に

 常に師と倶に生ず」と

説かれている。



「よき弟子を もつときんば

 師弟・仏果にいたり

 あしき弟子を たくはひぬれば

 師弟・地獄にをつといへり

 師弟相違せば

 なに事も成べからず」

この華果成就御書は

先生から学んだ御聖訓である。

静かに深く涙して

拝した仰せである。



偉大な広宣流布の師匠

戸田城聖先生の

最も優れた弟子は

私一人であった。



大聖人は弟子に叫ばれた。

「一期を過ぐる事

 程もなければ

 いかに強敵 重なるとも

 ゆめゆめ退する心なかれ

 恐るる心なかれ」



わが師弟不二への決意は

偉大なる創価の足取りとなって

一段と力強く

一段と朗らかに

一段と決然と

前進を続け始めた。

いな 前進につぐ前進によって

勝ち抜いてきた。



正義と真実の

師弟不二の私は

永遠なる勝利へ

永遠なる栄光へ

永遠なる完勝へと

戦い続けていくのだ。

広宣流布のために!



わが信ずる

若き弟子たちよ!

私と共に

断固として進め!

勇猛に勝ち抜け!

そして敵を一人も残らず

打ち破りながら

来る日も来る日も

金色の美しき

朝日を浴びながら

永遠に勝ちまくれ!



素晴らしき人生を

生き抜くのだ。

幸福も 歓喜

平和も 慈悲も

その中に

厳として輝いているのだ。



永遠にして峻厳なる

宇宙の大法を

すなわち妙法蓮華経

厳然たる存在を忘れずに

正義の勝利の完成のために

戦い抜くのだ。



これが真の人間だ。

これが不滅の人生だ。

これが

妙法の創価師弟不二だ。

広布の師弟不二だ。

さあ!

勇敢に闊歩しゆくのだ。

この人生を!

この一生を!




二〇〇七年七月三日

   学会本部・師弟会館にて

      世界桂冠詩人