全国最高協議会(4)



9月から 青年部が単独で全国幹部会

青年部幹部会の5つの指針

一「破邪顕正」の青年部幹部会

二「広宣流布」の青年部幹部会

三「師弟不二」の青年部幹部会

四「全員指導者」への青年部幹部会

五「日本の柱」の青年部幹部会

 一、未来を開くのは、いつの時代も、勇気ある青年である。

 昭和25年(1950年)の7月31日。

 22歳の私は、日記に、こう記した。

 苦境にあった戸田先生の事業を、ただ一人、阿修羅のごとく支えゆく、大闘争の始まりの時であった。

 「炎暑の七月。この七月も、とうとう勝ち抜いた」

 「(八月は)吾等の月だ。再び、若き情熱をもって頑張ろう。

 理想に生きる青年らしく。

 歓喜に燃える青年らしく。

 人生、社会の波は高い。そして激しい。また、その山は嶮しい」

 「正法を受持した青年が、断じて、進めぬわけがない。

 行こう、勇敢に。そして、次の世界を開こう」

 前へ、ただ前へ、進み続けた青春であった。

 弟子の私は、命をかけて、先生をお守りした。偉大なる師を守ることが、学会を守り、同志を守ることであるからだ。

 私が22歳の時、戸田先生は50歳──。

 先生は、若い私を、それはそれは大事にしてくださった。

 地方へ行く飛行機の中でも、どこへ行くにも、一緒であった。

 一緒にお題目をあげ、一緒に御書を拝した。

 天才中の天才の先生から、万般の学問を教わり、広宣流布のあらゆる構想を教えていただいた。

 幸せな弟子であった。

 勝利のリズムを

 一、先生への報恩の心で、私もまた、青年を懸命に育ててきた。

 その意義も込めて、きようは、男子部、女子部、学生部の諸君に、新たに青年部独自の幹部会を行うことを提案したい(大拍手)。

 具体的には、「広布第2幕 全国青年部幹部」との名称で、毎月の本部幹部会と同じ意義を持つ、最重要の行事として取り組んでまいりたい。

 第1回は、この9月に開催し、原則として、毎月行い、勝利のリズムを広げていってはどうだろうか(大拍手)。

 壮年部、婦人部の首脳も応援してあげていただきたい。

 この青年部幹部会に寄せて、私は、五つの指針を贈りたい(大拍手)。

 一「破邪顕正」の青年部幹部会

 二「広宣流布」の青年部幹部会

 三「師弟不二」の青年部幹部会

 四「全員指導者」への青年部幹部会

 五「日本の柱」の青年部幹部会

 広宣流布の未来も、日本と世界の将来も、すべて青年にかかっている。

 青年の「熱」と「力」で決まる。

 私も青年部幹部会の大成功を祈り、期待し、見守っている。

 都合がつけば、ぜひ出席させていただきたいと願っている(大拍手}。

 まことの時に本物が分かる

 一、「報恩抄」の一節を拝したい。

 「少しの罪もないのに、(法華経を弘めているために)たびたび大難にあう人こそ、仏滅後の法華経の行者であると知りうるであろう」(御書297ページ、通解)と。

 現代において、この蓮祖の仰せ通りに、妙法ゆえの大難を受けきった人はだれか。

 初代の牧口会長であり、第2代の戸田会長である。

 お二人は、国家神道を精神的支柱とする軍国主義と真っ向から対決し、牢獄につながれた。

 牧口先生は信念を貫かれて獄死。

 戸田先生は2年間の獄中闘争を耐えに耐え抜かれた。

 戸田先生以外の弟子たちは、皆、驚き、あわてた。多くは難を恐れ、退転していった。

 「まことの時」にこそ、本物が分かる。信心が試される。

 「石はやけばはい(灰)となる金は・やけば真金となる」(御書1083ページ)と仰せの通りだ。

 日ごろは弟子を名乗りながら、手のひらを返すように、師を罵り、師が苦しむのを陰で笑った者もいた。臆病であり、増上慢であった。

 これが歴史である。

 弾圧の魔の手

 一、戸田先生は鋭く語られた。

 「戦後、日本は民主主義の国家になった。私や牧口先生を逮捕するのに使った、不敬罪治安維持法もなくなった。そして、信教の自由も保障されるようになった。

 しかし、権力の持つ魔性の本質は何も変わってない。それだけに、より巧妙な手口で、弾圧をすることになるぞ」と。

 昭和32年の「大阪事件」では、私も、事実無根の選挙違反の容疑で不当に逮捕され、2週間にわたって拘束された。

 権力の狙いは、戸田先生にあった。

 取り調べの検事は、"おまえが罪を認めなければ、戸田会長を逮捕するぞ"と陰険な恫喝を浴びせてきた。

 先生のお体は衰弱している。逮捕されれば命にかかわる。絶対に逮捕など、させてなるものか──。

 恩師をお守りするために、私は、ひとたびは検事の言い分を認め、あとは裁判で無実を証明しようと決めた。

 そして、4年半後、大阪で勝利の無罪判決を勝ち取り、すでに亡くなられていた恩師に、ご報告申し上げたのである。

 歴史を忘れるな

 一、第1次宗門事件では、第3代会長を辞任した。(昭和54年4月24日)

 さらにまた、国家権力による宗教弾圧の嵐も吹き荒れた。

 多くの同志が心を痛め、私の正義を叫び、勝利を祈ってくださった。

 しかし、かつての最高幹部のなかには、嵐の時に戦わないどころか、敵と結託して、私を陥れようとした反逆者もいた。

 「怖いのは内部だよ」と言われた恩師の言葉を思った。

 この歴史の教訓を、青年部は、断じて忘れてはならない。繰り返してはならない。

 "大難と戦う師匠"を守るのが弟子である。

 一、格好主義は、仏法の敵だ。

 戦っている格好をする幹部──それが一番ずるずるい。

 仏法は「不惜身命」である。死にものぐるいである。

 創価学会には、「上」も「下」もない。

 広布に戦う人が偉い。同志を守る人が偉い──これが出発であり、これが結論である。

 学会を弾圧した者の末路を見よ

 一、御聖訓にいわく。

 「法華怪には、(法華経の)行者に敵対する者は、阿鼻地獄に堕ちる人であると定めている」(御書1389ページ、通解)と。

 「法華経の行者」とは、だれなのか。

 総じては、日蓮大聖人の門下として、人々の幸福のため、苦難に耐え、勇敢に妙法を弘めゆく学会員である。

 我ら創価の師弟である。

 さらに、御書を拝したい。

青年は強気でいけ

戸田先生「極悪を世に知らしめて責め抜け」

 「仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く。さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる。そのような人々が、どうして安穏でいられようか」(同265ページ、通解)

 学会を甘く見てはいけない。同志を甘く見てはいけない。

 学会は広宣流布の団体である。大切な仏の団体である。

 学会に弓を引くことは、大聖人に師敵対することに等しいのだ。

 さらに、御聖訓にいわく。

 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190ページ)「彼の一門皆ほろ(亡)ぶるを各御覧あるべし」(同1413ページ)と。

 大聖人は、法華経の行者を迫害した者の末路の厳しさを明確に説いておられる。

 そのままの現罰・仏罰が厳然とあらわれていることは、皆さんがご存じの通りである。

 再びの登攀を!

 一、戸田先生は、権力をもって民衆をいじめる者には厳しかった。

 「極悪を世に知らしめて、責めて、責めて、責め抜け! 最後まで!」と。

 青年は強気でいけ!

 そして断じて勝て!

 青年の勇気が新たな勝利の道を開くのである。

 8月は青年の月だ。

 青年の戦う魂が燃え上がる月だ。

 わが青年部よ、私とともに、同志とともに、新たなる民衆勝利の峰へ、再びの登攀を開始しよう!

 勇敢に!

 快活に!

 青年らしく!

 喜年部の諸君、よろしく頼む!(大拍手)

 (2007・8・8)