各部代表研修会(4)

『民衆のため』を忘れるな!

シンガポールのナザン大統領
 社会と国家の原動力は民衆 苦しむ人々の味方に
 指導者は一心不乱に皆に尽くせ

一、いよいよ、新しい広布の戦が始まる。
 牧口先生は「われわれは、これからのことを考えて生きていくのだ」と語られていた。
 戦いの急所は何か。その一つが「責任者を明確にする」ことだ。
 そして最高の祈りと最高の作戦である。
 戸田先生は「想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てよ」と教えられた。
 勝利を呼びこむ風がなければ、新しい風を起こすのだ。
 何より、皆をほめ讃えることである。同志がほっとして前進していけるよう、名指揮をお願いしたい。
 さらに、皆への話は、スカッとして明快でなければならない。くどい話は、だめだ。格好をつけた、偉ぶった話は、最低である。
 皆の胸に、自分の命が入るように、魂が響くように語るのだ。
 皆が「そうだ!」「やるぞ!」と奮い立つ。心と心が合致して、すっきりと戦える。そこに勝利への第一歩がある。

 恩師の最大の苦境を一人、護る 
 一、8月になると、思い出す。
 恩師・戸田先生の事業が行き詰まり、最大の苦境に陥ったのが、暑い8月であった。
 昭和25年(1950年)のことである。
 先生は、学会の財政的基盤のために事業に取り組まれた。しかし、前年の政府の緊縮財政が不況を呼び、窮地に追い込まれていく。
 戸田先生の信用組合に、大蔵省から業務停止命令が出されたのが、8月22日であった。
 この日、22歳の私は、日記に記した。
 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」
 8月24日。戸田先生は創価学会の理事長を辞任される。
 この秋から昭和26年の初頭が、最も厳しい絶体絶命の時期であった。
 多くの社員が去っていった。私は一人、先生をお護りし抜いた。
 耐えに耐え、時をつくった。一切を打開するために、駆け回った。
 どれほどの苦闘であったか。言語に絶する。
 そのなかで、ひたすらに題目を唱え抜いた。
 御義口伝には「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)と仰せである。
 私の思いは、何としても戸田先生に会長になっていただきたい──ただそれだけであった。
 そして翌26年の3月11日、組合員の総意により信用組合が解散。思いもよらなかった希望の活路が開かれたのである。
 この日、戸田先生は学会の総会に出席された。
 私は日記に記した。
 「吾れは泣く。吾れは嬉し。先生の師子吼に」
 晴れわたる5月3日、戸田先生は、ついに第2代会長に就任された。

 「人間が目的」「国家は手段」
 一、私の胸には、戸田先生の烈々たる叫びが響いてくる。
 「民衆のため──この一点を忘れれば、必ず慢心となり、堕落する。そういう人間を絶対に許してはならない」
 指導者は民衆のためにいる。この思想を確立しなければ、愚かな歴史が繰り返されるだけだ。
 私も語り合った、シンガポールのナザン大統領が述べておられる。
 「人生で最も尊敬する人は、母です。母から学んだことは民衆の強さです。
 そして社会の指導者は、民衆の苦しみが分かる人でなければなりません。なぜなら、社会の力、国家の原動力は民衆です。この点を見失ってはならないのです。
 民衆に同苦し、常に民衆の味方として、民衆の幸福に尽くしていくリーダーこそが大切なのです。
 これが国家を、永遠に繁栄に導いていく最大の秘訣です。民衆の力を信じきることです」
 庶民のため、不幸な人のため、名もない人のため──そのために、指導者はいる。一心不乱に人々に尽くすことだ。
 私と対談集を発刊した欧州統合の父、クーデンホーフ・カレルギー伯爵は記している。
 「国家は人間の為めに存在するが、人間は国家の為めに存在するのではない」「人間は目的であって、手段ではない。国家は手段であって、目的ではない。国家の価値は、正確にその人類に対する効能の如何に関する。即ちその人間の発達に貢献することが大なれば大なるほど善であるが──その人間の発達を妨碍するに至れば、直ちに悪となる」(鳩山一郎訳『自由と人生』鹿島研究所出版会)
 国家主義の悪に対しては、厳しく声をあげていかねばならない。
 戸田先生も愛読された作家に、山本周五郎氏がいる。
 庶民を愛した氏は「政治は必らず庶民を使役し、庶民から奪い、庶民に服従を強要する。いかなる時代、いかなる国、いかなる人物によっても、政治はつねにそういったものである」(『山彦乙女』朝日新聞社、現代表記に改めた)と警告した。
 民主主義の世の中で、これほど、おかしなことはない。この転倒を、根本的に正していくのが、私たちの戦いである。

 大闘争の中で人格を磨け!
 一、創価の前進は、国家主義から人間主義へ、大いなる潮流を各界に巻き起こしていく。
 戸田先生が、「学会の革命は、広さは随一である。あらゆる部門にわたり、全民衆から盛り上がる力である」と言われた通りである。
 新しき広宣流布の歴史を開くには、まずリーダーが動くことだ。
 戸田先生は、こう振り返っておられた。
 「牧口先生は、寒くとも暑くとも、毎日、折伏にお出かけになる。どんな裏町までも、どんな家庭までも、折伏の陣頭に立って進んで行かれる」
 青年は、この先師のごとくに行動すべきだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「本陣のリーダーは、会員に尽くす先兵である。全責任をもって、広宣流布の人材と組織を護り、発展させゆく使命の人である。賢明で、力ある、模範の存在として選ばれた、広宣流布の闘士なのである」
 気迫みなぎる素晴らしい言葉である。
 さらに先生は「闘争の体験を生かし、より以上の信力・行力を奮い起こせ。仏力・法力は必ずこれに応えてくださる」と訴えられた。
 大闘争が人格を磨く。王者の風格をもっのだ。 本当の誠実と責任感が響きわたるリーダーであってもらいたい。
 あの人に会えば、力が出る。話を聞けば、元気になる。そう言われる、力あるリーダーになっていただきたい。

戸田先生
 信心と勇気と誠実で
 敢然と進もうではないか

 攻撃精神で進め戦う心を失うな
 一、さらに戸田先生の指導を紹介したい。
 「果たすべきことが重大であればあるほど、気ままな選択は許されない」
 「予想もしない大きな難にも遭遇するであろう。そのときこそ固い団結で、乗り越え、乗り越えて進まなければならない」
 「変毒為薬と口では簡単にいうが、よほどの信心と勇気と誠実がなければできないことだ」「本当の戦いはこれからだと立ち上がり、敢然と突き進もうではないか」
 我らは凡夫だ。いかなる戦いも、真剣でなければ、勝てるわけがない。
 勝利への先陣を切るのは青年部である。
 恩師の言葉を後継の若き友に贈りたい。
 「今日の人のそしり、笑い、眼中になし。最後の目的を達せんのみ。ただ信仰の力に生きんと心掛けんのみ」
 「どんな人間が立ちはだかろうと、青年は勇気で戦っていくことだ。攻撃精神でいくことだ」
 戦う心を失えば、もはや青年とはいえない。
 きら星のごとき指導者群へと、自らを鍛え上げていただきたい。
 戸田先生は「観心本尊抄」を拝され、こう述べられた。
 「さらにさらに広宣流布の仏意仏勅のままに日夜闘争する宿運(しゅくうん)(=宿命)を深く感じて、感謝と感激を新たにすべきである」
 感謝の心を忘れてはならない。創価学会員となって、最高の仏法を教わり、それを広めていける。子孫末代まで仏になる道を開くことができる──それが、どれはど素晴らしいことか。
 一、戸田先生もお好きだったフランスの常勝将軍ナポレオン。
 「前進しようではないか」。彼は呼びかけた。「我々にはまだ行かなければならない道」があるのだと(井上一馬編著『後世に伝える言葉』小学館)。
 我らの道は、「正義の道」「幸福の道」「平和の道」である。
 牧口先生が「善人の団結ほど、強いものはなし!」と言われたように、この道を「心を一つ」に進みたい。
 そして、徹して同志を大切にすることだ。
 ドイツの哲学者ライプニッツは言う。
 「慈悲心のないところに信仰心はない。親切心も情け深さもなくして誠実な信仰心などあろうはずがない」(佐々木能章訳『ライプニッツ著作集6』工作舎
 慈悲こそ信仰者の魂である。

 広布の同志を仏の如く敬え
 一、戸田先生は、尊き婦人部を、それはそれは大切にされた。
 新たな出発に際し、先生の婦人部への指針を、皆さまに贈りたい。
 「信心をすれば、苦しい時期が短くなり、苦しみ自体が、だんだんと浅くなる。そして、最後にぷつりと苦しみが断ち切れる。そのために、うんと、広宣流布のため戦って幸せになりなさい」
 深い慈愛にあふれた言葉である。
 また先生は、蓮の花を通して指導された。
 「泥沼が深ければ深いほど、大きな美しい花が咲く。人間もそうだよ。苦労が多ければ多いほど、幸福の大きな美しい花が咲くのだ」
 学会活動をやり抜くなかに、本当の女性の美と幸福が生まれる。
 また、「若草物語」で有名な女性の作家オルコットは綴っている。
 「美しくて善良な生活の生きたお手本を与えてくれる友をもったということはしあわせなことだった、それはことばにつくせないほど雄弁で力のあるものである」(吉田勝江訳『昔気質の一少女 下』角川書店
 よき友、よき同志は、かけがえのない人生の宝である。
 「広布の同志を仏のごとく敬え! この姿勢がリーダーにあれば、世界広布は自然のうちに進んでいく」──この恩師の言葉を胸に刻みたい。
 今この時に歴史をつくれる。その深き喜びを胸に、壮大なる勝利の栄冠を晴れ晴れとつかんでいただきたい(大拍手)。
 (2007・8・16)