西日本・教育本部・学術部合同研修会(上)

行く先々で勝利と功徳の花々を
常在戦場が学会の魂
イギリスの桂冠詩人  挑戦をやめるのはつまらない!

 西日本・教育本部・学術部の合同研修会が21日行われ、池田名誉会長がスピーチした。

    ◇
 一、わが敬愛する関西、中国、四国、九州、そして沖縄の尊き広宣流布の指導者の皆さま方!
 遠くから、本当に、ようこそ!
 新時代の勝利に向かっての研修会、本当にご苦労さま!(大拍手)
 一、何度も拝してきた有名な御聖訓に「謀(はかりごと)を惟帳(いちょう)の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(御書183ページ)──幕を張った中で作戦を練り、千里離れた戦場の勝利を、その場で決したのである──と仰せである。
 戸田先生は、この御文を拝しつつ、こう言われた。
 「どこにあっても常在戦場のつもりで、民衆のために戦おうではないか!」
 ご逝去の直前であった。火を吐くような一言一言を忘れることはできない。
 わが人生は、どこまでいっても戸田先生しかない。先生が師匠であるからだ。
 先生から託された創価学会を、どう発展させるか。先生の偉大さを、どう世界に宣揚するか。
 そのために私は生きてきた。
 「常在戦場」の気迫。
 「ただ民衆のため」という無私の精神。
 この戸田先生のご指導のままに、一つ一つの研修にも、真剣勝負で臨んでまいりたい。

 縁した人々を味方に、友人に!
 一、広宣流布の前進は、長で決まる。責任は重大である。
 ゆえに戸田先生は、幹部に対して、それはそれは厳しかった。
 会員の方々が懸命に戦ってくださっているのに、一握りのリーダーが、いい加減であったり、増上慢であれば、全体が敗北に通じてしまう。
 これまでも、幹部にそういう愚かで卑劣な人間が出て、真面目な学会員が苦しんできた。
 リーダーは、格好や我見や名聞名利など投げ捨てることだ。死にものぐるいで戦うことだ。
 行くところ、行くところ、皆、歓喜の花が咲き、功徳にあふれ、勝ち戦になる。それでこそ真実の指導者である。
 「中国が一番遅れている。
 大作、お前が行って、指導・折伏の旋風を起こせ!」
 「はい。やらせていただきます!」
 この戸田先生と私の師弟の対話から始まったのが、広布開拓の山口闘争であった。
 私は、行く先々で、縁した「一人」を味方にし、友人にし、同志にしてきた。
 明治維新の揺藍の天地に、新しき希望の大行進が始まったのである。
 一、20世紀アメリカの著名な心理学者・マズロー博士は喝破している。
 「行動的な人間は、教育、訓練、勤勉、知識の吸収などに対し意欲的である。
 言い替えると教育、訓練などに対しては、消極的、傍観的であってはならないということである」(原年廣訳『自己実現の経営』産業能率短期大学出版部)
 リーダーが生き生きと学び、古き自分を打ち破りながら、新鮮な息吹で前進していくなかに、組織の新たな飛躍もあるのだ。
 有名なイギリスの桂冠詩人テニソンも謳った。
 「努力の歩みをとどめ、挑戦をとどめてしまうことは、なんとつまらないことか!
 わが人生を磨きもせずに錆びつかせ、戦いもせずに光を失ってしまうことは、なんとつまらないことか!」
 きょうも、ともに学び、人間革命の歩みを進めよう!(大拍手)

 「人類の後継者」
 一、ここには、創価学園創価大学、そして、アメリ創価大学で教壇に立つ教育本部、学術部の代表の方々なども参加しておられる。
 社会に勝利の金字塔を打ち立てゆく、崇高なる人間教育への献身に、心から敬意を表したい。
 先日、創価大学創価教育研究所から、報告があった。
 創価大学の歴史も含め、教育者であった牧口初代会長、戸田第2代会長、そして、お二人の志を継いだ私に関する資料が、じつに20万点を超えたというのである。
 研究所の方は「世界一の資料館・記念館の基盤を、創大生とともにつくりたい」と意気軒高に語っておられた。
 未来のための尊き尽力に、心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 ブラジル哲学アカデミーのモデルノ総裁は語っておられた。
 「『日本にとって創価教育が未来の希望である』とは、すでに当たりません。現実に大きな存在になっているからです。
 世界にとっては、まさに未来の希望です。
 教育に携わる者にとって、創価教育の成功は、重大な出来事です」
 さらに、現在、私が対談を進めている、ブラジルの天文学者モウラン博士も、創価学園生に呼びかけておられた。
 「皆さんは、日本一国だけの未来の後継者ではありません。人類の後継者であると確信します!」
 世界が「希望」と仰ぐ、わが創価の人材の大星雲は、燦然たる光彩を放っている。

 教育は精神の糧 
 一、イタリア統一の指導者・マッツィーニは言った。
 「教育がなければ、善と悪を正しく判断することはできない」
 「教育がなければ、自らの使命を明らかに知ることもできない。教育は精神の糧である」
 人間社会の営みにあって、教育ほど決定的に重要なものはない。
 ドイツの大教育者・フレーベルは論じている。
 「あらゆる教育は、もしそれが成果をもたらすべきであれば、宗教に基づかなければならない。宗教に基づいていないすべての教育は、実りのないものである。
 宗教に基づいているすべての教育は、欠くべからざるものであり、必ず効果的であり、生産的であり、創造的(実り豊か)である」(『フレーベル全集第1巻』玉川大学出版部)
 重要な指摘である。
 宗教的精神は、教育に「原理」「原則」を与えてくれる。世界の歴史を見ても、宗教を根底にした深い精神性の上に、多くの私立学校が、優れた人材を育んできた。
 教育を、豊かな、実り多きものにし、正しく導くのは、精神性である。
 決して政治ではない。

哲学者デューイ 教育は子どもが中心子どもが太陽
誓いを胸に教育革命を
深き慈愛を全ての子らに 教育は権力の魔性に左右されてはならない

 これは牧口先生、戸田先生の確信でもあった。
 教育は、権力の魔性に左右されてはならない。国家主義の介入を許してはならない。
 一、日本は少子化で、教育界は一大転換期を迎えている。
 社会の変化も激しい。
 今、新しい時代をつくれるかどうか。いかなる学校も、団体も、その一点が問われている。
 ゆえに大事なのは教師である。教員革命である。
 すべての子どもたちに、深き慈愛を注ぐ。青年の成長のために、わが身を砕いて取り組む。そういう教員がいるかどうかである。
 自分の知識を、ただ上から下へ、学生・生徒に与えるだけでは、教育にならない。
 アメリカの哲学者デューイは「子どもが太陽となり、その周囲を教育のさまざまのいとなみがまわる」のでなければならないと主張した。〈山田英世著『J・デューイ 人と思想23』清水書院から〉
 「学生中心」「生徒中心」は、教育の絶対の法則なのである。
 文豪・島崎藤村の言葉に、こうあった。
 「良い教師はすくない。生徒に物を教えたがる教師はあっても、生徒と共に学ぼうとするような教師はすくない」
 「自分の少年時代の事から考えると、よい教師こ対するほがらかな心持は永い事忘れられません」(『藤村全集第9巻』筑摩書房、現代表記に改めた)
 確かにその通りだ。
 私も、慈愛を注いでくださった学校の先生方の学恩は、今もって忘れがたい。
 思い出すたびに、心に温かな感情がわき上がってくる。
 私が今、月刊誌「潮」で語らいの連載を進める中国学術界の至宝・饒宗頤(じょうそうい)先生は、「お世話になった大学の恩に報いたい」と、16年間奉職された香港大学に、貴重な蔵書3万冊を寄贈された。
 なお私も、若いころから集めた何万冊という蔵書を、創価大学アメリ創価大学創価学園に寄贈している。
 若いころ、東京・神田の古本屋街に何度も通った。ある日、古本を買い求めたところ、夜、本の中に住んでいた南京虫に、ひどく悩まされてしまった(笑い)。今となっては、懐かしい思い出である。
 ともあれ、一流の学者は、人格も一流である。
 逆に、恩知らずの学者は、所詮は「才能ある畜生」と、厳しく見ていくべきであろう。
 報恩の人生を生き抜く。わが誓いを、生涯、貫く。
 その人こそが、人間として偉大なのである。
    ((下)に続く)