北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修会(下)

一、いくつになっても、心は若々しく!
 人生は年齢では決まらない。心で決まる。
 年は若くても、心は老いた人もいる。
 ある詩人は謳った。
 「ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」(サムエル・ウルマン著、作山宗久訳『青春とは、心の若さである。』角川文庫)と。
 偉大な人物は、皆、心が若い。
 イギリスの歴史家トインビー博士は、1956年(昭和31年)の秋、2度目の来日をされ、北海道、東北、信越など各地を訪問されている。
 私がロンドンを訪れ、博士のご自宅で対談を開始したのは、1972年(昭和47年)5月のこと。当時、博士は83歳であられた。〈名誉会長は44歳〉
 博士の「座右の銘」をうかがうと、間髪をいれず、おっしゃった。
 「ラテン語で『ラボレムス』──『さあ、仕事を続けよう』という意味の言葉です」
 毎朝6時45分に起床。気分が乗ろうと乗るまいと、とにかく、机に向かって仕事を始めることを日課にしておられた。
 博士を思うとき、私の胸には「戦う魂」がわき上がってくる。
 御聖訓には、妙法に生きる人は「年は若くなり」(御書1135ページ、通解)と仰せである。
 生涯、前進!
 生涯、挑戦!
 それが仏法者の生き方である。

 ここに希望が!
 一、この秋、アメリカのボストン21世紀センターでは、第4回「文明間の対話のための池田フォーラム」が開催される。
 「女性と友情の力」をテーマに、「生命の世紀」を開きゆく女性の役割について、当代第一級の知性が集われて、有意義な討議が活発に行われることになっている。
 このフォーラムでは、私と妻が忘れ得ぬ出会いを刻んだ、エマソン協会の会長で、著名な女性詩人でもあられるサーラ・ワイダー博士が基調講演をされる予定となっている。〈博士は、名門コルゲート大学の講義で、名誉会長の詩集を教材に授業を行っている〉
 先日、ワイダー博士が、ご自身の人生哲学を通し、このように語ってくださった。
 「人生は、いいかげんな態度で、物事に立ち向かっても、前に進むことはできません。前に進むためには、気概に満ちた精神を持たねばならないのです。
 自らが置かれた状況に悲観的であれば、状況はますます困難になるでしょう。現実の厳しさは知っている。しかし、それでも最大の希望を生み出して進むのだ……。
 私は、SGI(創価学会インタナショナル)の方々が、常にこうした姿勢で、その思想を実践しておられることをよく知っております。私もまた、SGIの皆様のように、その精神を、私自身の人生に反映させていきたいと願っております」
 温かなご理解に、心から感謝申し上げたい。
 この人生、希望に燃えて生きなければ、損である。「創価」とは「無限の希望」である。
 その希望の前進に、アメリカを代表する詩心と知性の指導者も、真心からのエール(声援)を贈ってくださっているのである(大拍手)。

 死の問題こそ人生の一大事
 一、「死の問題を解決するというのが人生の一大事である、死の事実の前には生は泡沫の如くである、死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることができる」(上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波書店
 戸田先生と同じ石川出身の哲学者・西田幾多郎(いくたろう)の言葉である。
 この一文を綴ったとき、西田は、6歳の二女を亡くしていた。
 だれもが、いつかは死ぬ。「死の問題」は避けては通れない。
 ゆえに、死について考えることは、人生にとって何より重要なのである。
 そしてまた、「死」を学ぶことが、「生」を学ぶことである。「よりよく生きる」ことを学ぶことになるのだ。
 一、御書には、こう説かれている。
 「(人間は)命が終われば三日のうちに、その体は水となって流れ、塵となって大地にまじり、煙となって天に昇り、あとかたもなく消えてしまう。(しかるに、末法衆生は)そのようにはかない、わが身を養おうとして、多くの財産を蓄える。このことは音から言い古されてきたことであるが、現在のその有様は、あまりにも哀れでならない」(御書1389ページ、通解)と。
 仏法が説く永遠の次元から見れば、この世でわが身を飾っている地位とか名誉とか財産など、はかないものだ。
 日本の伝教大師は「生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪(たきぎ)とならん」(塩入亮達校注「願文」、『仏教教育宝典3』所収、玉川大学出版部)と、生命の因果を明快に示している。
 大事なのは、自分自身が「どんな人間であったのか」「どれだけ人に尽くしたか」である。
 結論から言えば、最高の妙法に生き抜く人生ほど尊いものはない。
 人のため、法のため、広宣流布に生き抜くことは、わが生命に何があっても崩れない福徳を積んでいるのである。

 仏の仕事 
 一、皆さんは、学会の広宣流布の闘争に勇んで参加された。
 その福運は、永遠に続いていく。
 財力よりも、権力よりも、名声よりも、信心は百千万億倍、偉大である。
 広宣流布という大目的のために戦っていくことは、仏にしかできないことである。
 その精神と自覚をもって戦ってもらいたい。
 絶対の確信をもって、指揮を執っていただきたい。
 その功徳は、子孫末代までも続く。いな尽未来際までも絶対に困らない。
 人間的に豊かになるだけでなく、社会的にも偉くなり、必ず勝ち栄えていく一族となることができる。
 大聖人の言葉に嘘はない。仏法には嘘はない。
 悔いなく、勇敢に戦い進んでいただきたい。

人生は心の若さで決まる
 臨終で問われるのは「どれだけ人に尽くしたか」
権力より財力より 信心は遙かに偉大
広布の功徳は三世に永遠

一、18世紀フランスの思想家ヴォーヴナルグは言う。
 「自分には大きな成功を生みだす力がないと気づいたとき、ひとは大きな計画を軽蔑する」(竹田篤司訳「省察箴言」、『世界人生論全集9』所収、筑摩書房
 “自分には力がない”などと思ってはいけない。それは畜生の命だ。すべての人に、自分にしかない「使命」がある。何かの「才能」がある。
 哲学者・西田幾多郎は綴る。
 「自分の生命のあらん限り何処までも向上発展し自己自身にあるものを何処までも進めて行きたい」(前掲『西田幾多郎随筆集』)
 自分を信じ抜くのだ。同志を信じ抜くのだ。命ある限り、「大いなる理想」に向かって進んでいくのだ。

 幸福の鍛冶屋
 一、私が親交を結んだロシアの大文豪ショーロホフ氏は、1966年(昭和41年)に来日した折、北陸・富山などを訪問している。
 私が1974年9月、モスクワでお会いした際、氏は69歳。
 氏は、私に語った。
 「我々は皆、『自分の幸福の鍛冶屋』ですよ」
 幸不幸は、「運命」が決めるのではない、「自分」が決めるのだとの文豪の確信であった。
 氏は、あるとき、祖国の未来を見つめ、こう語っている。
 「言葉に実行が伴わないことが起こっていないでしょうか。たぶん官僚主義と無関心におおわれているのではないでしょうか。このことを各人が自己点検することが必要です」(月刊誌「潮」1975年7月号)
 言葉に実行が伴わない。氏はそれを“官僚主義”という。学会のリーダーは断じて、そうなってはいけない。
 さらに氏は言う。
 「われわれは立ちどまることはないでしょう。われわれは計画を具体化するために一層の努力を傾けるでしょう。その邪魔をするものは、断固撃退しなければならないでしょう」(同)
 信心にも停滞があってはならない。進まざるは退転である。「いよいよこれから!」の心で、新たなスタートを切ってまいりたい(大拍手)。

 人材は必ずいる 
 一、思想家・佐藤一斎は語った。
 「世の中に沢山人はいるが、いないのは立派な人だ。しかし、いないようでいるのも立派な人で、何処かに隠れているものだ」(川上正光訳『言志四録』講談社
 その通りだ。
 新しい人材を見つけ、鍛え、伸ばす。そこに、広布発展の鍵がある。
 一方で、戸田先生は、「こういう幹部は学会から切っていけ。遠慮なくやめてもらえ」と厳しく言われた。
 それは、社会的にも信用がない。学会的にも信用がない。友人間でも信用がない。何をやっているか分からない。勤行をしていない。会合に出ない。まったく退転と同じ状態である。社会的にも「学会的にも、困った人物である。皆が嫌っている──こうした幹部は容赦なく責め抜き、正していけと、戸田先生は戒められたのである。
 一、中部ゆかりの思想家・細井平洲と、東北・米沢藩の名君・上杉鷹山の師弟は、あまりにも有名である。細井平洲は、指導者・教育者の要諦として、こう訴えている。
 “人から親しまれたいと思うのであれば、まず自分から人に親しみ、人から敬われたいと思うのであれば、まず自分から人を敬っていくのだ。そして万事、自分が人からしてもらいたいように、まず自分から人に施していくのだ”(後藤三郎解説・柳町達也校註「細井平洲集」を参照、『世界教育宝典』所収、玉川大学出版部)
 これもまた、重要な指導者諭である。
 指導者自身の「人間革命」から、新時代の勝利の行進が始まるのだ。

大理想へ命ある限り
中国の女性作家
 母の愛は柔和であると同時に 最も正義感に富む

 学会の真実は3代の師弟に 
 一、広布の戦いは、どんな場所であれ、“新しい組織をつくる”くらいの気持ちでやらないと、結局、惰性で終わってしまう。
 最高幹部は、何の飾りもなく、裸一員で、自分に対する甘い根性は全部捨てて、指揮を執らないといけない。
 広布のために、勝つか負けるかである。
 負けない人が同志。勝つ人が地涌の菩薩だ。
 初代、2代、3代は、この決心で戦った。真実の学会の魂は、3代までに刻まれている。
 一、20世紀の中国を代表する女性作家・謝冰心先生は、こう綴っている。
 「母親の愛は柔和であり寛容でありますが、また同時に最も厳格であり強烈であり、最も反骨精神や正義感に富んでいるのです」
 その通りである。偉大なる女性の強さ、婦人部の強さによって、学会は支えられている。そのことを、男性幹部は軽んじてはならない。
 一、ローマクラブのホフライトネル名誉会長は、かつて語られた。
 「現代世界が直面している最大の問題は、文化の崩壊です。
 文化の崩壊が価値観の崩壊を招き、世界から誠実さが失われ不確実性が増大しています。
 そして価値観の崩壊とは、つまり宗教の崩壊にほかなりません」(「潮」1996年5月号)
 この世界的な課題に勇んで挑戦しているのが、皆様方の日々の対話であると、私は思っている。
 私たちの民衆運動の大切な意義を、深く自覚したい。

 気取りを排せ 
 一、インドの詩聖タゴールは記した。
 「だれか偉大な精神、言いかえれば真理を愛する人が、彼ら(=古い過去にしがみついている人たち)の殻を打ち破って、そこに思想の光や生命の息吹きをみなぎらせるとき、彼らは苛立って怒りだすのである。
 思想は運動をひき起こすが、彼らはすべての前進を自分たちの倉庫の安全を脅かすものと考えている」(森本達雄訳「芸術家の宗教」、『タゴール著作集第9巻』所収、第三文明社
 私たちの思想、運動もまた、常に新しくなければならない。心にできる壁を、打ち破るのだ。
 「気取り」や「見栄」は、「驕り」になる。これらの心の動きが、信心をいちばん傷つけるの
だ。
 この点、戸田先生の訓練は、それは厳しいものだった。牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私の師弟は、峻厳そのものであった。
 「不惜身命」と、御書に記されている通りの行動をする、法華経の行者、信心を貫く人を、見くびってはいけない。
 つまらない地位や学歴などによって推し量れるような、大聖人の仏法ではない。
 そのような輩は、果敢に責め抜き、尊き学会員を断じて護ることだ。
 そして、きょう集った皆さんが率先して、師弟の精神みなぎる創価の城、希望の城、安心の城を、わが天地に堂々と打ち立てていただきたい。
 長時間、ご苦労さまです! お会いできなかった同志にくれぐれもよろしくお伝えください。ありがとう!(大拍手)
 (2007・8・23)