信越最高協議会(下)

第一線の友に学べ 智慧は現場にあり



一、知恵は"現場"にある。
 どうすれば、皆が戦いやすいか。歓喜に燃えて動けるか。
 どうすれば、人材が育つか。結果が出るか。勝てるか。
 それは、現場で戦っている第一線の同志が一番よく知っている。
 真面目な婦人部の皆さん方が一番よく分かっている。
 その方々の意見を、しっかりと聴くことだ。
 現実に即した、いい意見を、どんどん出してもらうのだ。
 人にやらせてばかりのずるい幹部になってはいけない。戦っている同志から学ぶのだ。自ら同志の中に入っていくのだ。
 役職云々ではなく、同じ人間として、人間らしく、尊い同志とスクラムを組んで一緒に進んでいくことだ。
 そこから、新たな発展が生まれる。

 大信力を起こせ 
 一、人生とは、行き詰まりとの戦いである。
 戸田先生は、こうおっしゃった。
 「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の『発迹顕本』である」
 先生は、こうも言われた。
 「御本尊の力というものは広大無辺である。『こうせよ!』『ああせよ!』と心に教えてくださるのである」
 根本は祈りである。常に祈りから出発するのだ。
 祈って戦った人は、聡明になる。福運がつく。
 人の見ていないところで、表面に出ないところで、100%頑張れる人が、偉大な人である。だれが見ていなくとも、戦った足跡は、わが生命に厳然と残る。
 御本尊がすべてお見通しなのである。
 一、先生は叫ばれた。
 「敵のいない人間など信用できるか!」と。
 権威や権力を恐れてはならない。
 幹部が保身になり、いい子になっては会員を守れない。学会を守れない。
 偉ぶっている人間にこそ、言うべきことを言っていくのだ。
 ナポレオンは語った。
 「私と他の君主の唯一の違い」──それは、「彼らにとって、困難は行動を妨げるものであるが、私は困難を乗り越えるのが好きなのだ」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社から)

任用試験の大成功へ 行学の二道で進め

 学んだことは話せば身につく
 一、創価学会は、どこまでも御書根本である。
 思えば、60年前の座談会で、戸田先生に最初にお会いした折も、先生は、御書の「立正安国論」を拝して、お話をされていた。
 この秋には、伝統の教学部任用試験も行われる予定である。
 皆で真剣に御書を拝し、「行学の二道」に励んでまいりたい。
 戸田先生は言われた。
 「学会の教学では、御書を、身・口・意の三業をもって拝するのです。御文に『声仏事を為す』と仰せのように、仏法で学んだことは、どしどし、口に出して話しなさい。そうすれば、やがて身につくものです」
 先生は「観心本尊抄」の講義に際し、仰せになられた。
 「たとえ、いかほどに観心本尊抄の研究や勉学を積むといえども、肝心の御本尊に対する信仰と感激と広宣流布の決意がなければ、まったくその深意に到達しえないのみか、かえって懶惰懈怠の徒となり、謗法の徒輩となって無間地獄に沈むのである。じつに誡心(かいしん)すべきことである」
 まことに重大なご指導である。
 さらに先生は、こうも語られた。
 「御書には、一字一句にも、大聖人のお心が込められている。それを心から一句でも読めたら偉いものだ。私は心から拝して講義をしている」
 「御書を分かろうとするんじゃない。大聖人の御精神に触れて感動することだ。そうすれば、昔、習ったことを思い出すようになるんだ。諸君も必ず過去世に習ったのだから! だから、この御書を感動しないで教えても、それは講義にはならんぞ」
 「剣豪の修行」のごとき真剣勝負の心をもって、御書を学んでいくことだ。

 永遠に一緒に! 
 一、わが信越の同志は、創価学会の苦難の時に、どこよりも勇敢に、どこよりも誠実に、どこよりも忍耐強く、私とともに戦ってくださった。
 あの嵐の昭和54年(1979年)の8月24日を長野研修道場で皆様方と一緒に迎えたことも、永遠に忘れ得ぬ歴史である。
 信越ゆかりの門下である阿仏房と千日尼夫妻にも、大聖人は多くの御手紙をしたためられた。
 亡くなった阿仏房を偲ばれ、千日尼を励まされた御聖訓にこうある。
 「亡くなられた阿仏房の聖霊は、今、どこにおられるであろうかと人は疑っても、法華経の明鏡をもって、その影を浮かべてみるならば、霊鷲山の山の中、多宝仏の宝塔の内に、東向きに座っておられると、日蓮は見ております」(御幸1319ページ、通解)
 この宝塔とは、御本尊である。広布に生き抜いた生命は、御本尊の中に抱かれて、必ず成仏しているとの御断言である。
 亡くなった方は、あくまでも「方便」として「涅槃」の姿を現じたのに過ぎない。
 姿は見えなくとも、御本尊の中におられる。永遠に一緒に、楽しく朗らかに生命の旅路を歩んでいけるのである。
 わが創価の同志は、釈迦仏をはじめ、三世十方の仏菩薩に包まれ、守られながら、「生も歓喜」「死も歓喜」の大境涯を遊戯していくことができる。これが、大聖人の絶対の御約束であられる。
 そして、故人の成仏は、後継の家族が信心の大王者、大長者となってますます栄えていく姿を通して、現実に証明されていくことは、皆様方も実感している通りである。
 一、大聖人はまた、別の門下に「この法華経を受持する人々は、他人であっても同じ霊山に参られて、また会うことができるのです。まして、亡くなられたお父さまも、あなたも、同じく法華経を信じておられるので、必ず同じところにお生まれになるでしょう」(同1508ページ、通解)と仰せである。
 亡くなった家族も、また同じところに生まれ合わせ、一緒に生きていくことができるのである。これが妙法である。

「更賜寿命」の60年全同志の祈りに感謝 常楽我浄の永遠の旅路を
ナポレオン 「私は困難を乗り越えるのが好きだ」

 一、人生は、だれ人たりとも、「生老病死」との戦いである。
 しかし、妙法の大良薬を持ち、広宣流布を断行しゆく創価学会という、生命の究極の安全地帯で生き抜く人生は、いかなる苦難があろうとも、一切を「常楽我浄」へ転じていくことができる。
 肺を患い、無理に無理を重ね、「30歳まで生きられない」と言われていた私が、わが同志の真心の祈りに包まれて、かくも元気に世界広宣流布の指揮を執ることができている。
 この姿それ自体が、大仏法の「更賜寿命」の仏力、法力の証明であり、「不老長寿」の大生命力の実証と、私は感謝申し上げたい(大拍手)。

 民衆に力を! 
 一、声が大事である。声が弾丸である。声が剣である。しやべるのだ。声の力で、相手の心を開き、心に響かせていくのだ。
 また、勇気と誠実で会って語れば、越えられない壁など絶対にない。
 私と妻が今も深い親交を結ばせていただいている、元ソ連大統領のゴルバチョフ氏との出会いも忘れられない。
 「きょうは、大統領と"けんか"をしにきました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう」──クレムリンの一室で初めてお会いした際、開口一番、私はこう申し上げた。
 それを通訳が伝えるや、氏は、あのゴルビースマイルを満面に浮かべ、あふれるユーモアで応戦された。
 「池田会長がこんなに"情熱的"な方だとは知りませんでした。私も率直な対話が好きです」
 出会った瞬間に心と心が結ばれたのである。〈1990年7月27日。席上、ゴルバチョフ氏は名誉会長に翌年春の訪日を明言し、テレビや新聞で大きく報道された〉
 統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領も、背が高く、きりっとして、「哲人政治家」にふさわしい、品格ある紳士であられた。(会見は1991年6月12日)
 ライン河のそばの大統領官邸の一室に案内してくださり、小さなテーブルを囲んで、じっくりと1時間語り合った。
 大統領は言われた。
 「我々人間は、物質的繁栄だけではなく、人間自身のこと、そして人間の連帯、共存ということに関心をもたねばなりません。SGI(創価学会インタナショナル)が、そうした方向へ努力しておられることを私は知っております」
 一流の人物は見るべき点をきちっと見ている。
 冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したとき、大統領は、こう演説した。
 「人民が政治に方向性を与えているのです」(永井清彦訳『ヴァイツゼッカー大統領演説集』岩波書店
 権力が人間の運命を決めるのか。違う。人間自身である。連帯した民衆である──。
 こうした歴史観の上から、大統領は、民衆を結び、民衆に力を与えゆくSGIの人間主義運動に深い信頼を寄せてくださった。
 さらに会見の4年後には、ドイツSGIの平和の城ヴィラ・ザクセン総合文化センターを訪問され、友情の歴史を刻んでくださったのである。

 尊き金の汗 
 一、研修道場も、守る会(共栄会)の方々をはじめ多くの皆様に、よく整備していただいており、重ねて心から感謝申し上げたい。
 戸田先生も読まれた、庶民の文豪・山本周五郎が、ある日、知人とともに歩いているときのことである。
 周五郎は「これを見たまえ」と山裾を巻いている長い歳月を経た石垣を指し示したという。
 そして、石垣を黙々と築いた人々に思いを馳せ、知人に語った。
 「こんな石垣はどこにでもある、と君は思うだろう」「だが、名利をもとめない縁の下の力持ちたちの努力によってこの世の中が維持されていることが、むしろ多いのだ、わたしは石垣をみるのが好きだ」(木村久邇典著『人間 山本周五郎』小峯書店)
 含蓄のあるエピソードである。
 いわんや、創価学会という人材の城を築き上げてきた同志が、どれほど尊いことか。
 私とともに気高い金の汗を流して、難攻不落の石垣を積み上げてくださった同志のことを、私は永遠に忘れない。永遠に題目を送り、永遠に顕彰し、永遠に厳護していく決心である。
 これが、創価の三代の師弟の魂であることを、知っていただきたい。

 師は自ら始める 
 一、インドのマハトマ。ガンジーの言葉と、その弟子ネルー初代首相が師ガンジーを讃えた言葉を皆さんに贈りたい。
 マハトマ・ガンジーは言った。
 「細かい心づかいをしていないで、他人に命令をくだしても、うまくいかないのである。みんなが自分が大将気取りになって、他人をあごで使っていては、結局なんにも行なわれないことになってしまう。ところが、指導者自身が召使いになっているところでは、指導権をねらう競争相手もなくなってしまうのである」(蝋山芳郎訳『世界の名著 ガンジーネルー中央公論新社
 ここに、創価学会の和合の世界がある。
 さらにネルーは、ガンジーを讃えて言った。
 「彼(ガンジー)が指示するすべての改革案、彼が他人に与えるすべての忠告は、真先に自分自ら実行する。彼は常に自ら始める」(ジャワハルラル・ネル一書、ガンジー平和連盟訳『マハトマ・ガンジー朝日新聞社
 私自身、広宣流布の大指導者であられる、戸田城聖先生の指示も、忠告も、真っ先に、自分から実行してきたつもりだ。
 これが、私の永遠の誇りである。
 「わが創価の新時代のリーダーも、かくあれ!」と申し上げ、私の入信記念日のスピーチとさせていただきたい。
 一、結びに、新潟県中越沖地震で被災された方々に重ねて心よりお見舞い申し上げます。
 被害の大きかった柏崎市を中心とした地域の皆様方も、勇敢に立ち上がり、希望に燃えて再建へ戦っておられることは、よくうかがっています。本当にご苦労さまです。妻とともに、お題目を送らせていただきます。
 長時間、本当にありがとう! またお会いしましょう!(大拍手)
(2007・8・24)