広布第2幕 第5回 全国青年部幹部会 第1部 への名誉会長のメッセージ


「痛快に戦え」「楽しく勝て」
ケネディ大統領 「松明は新世代に受け継がれた!」
弟子の真剣な叫びに師弟は脈動


一、「人材・拡大の年」の年頭を飾りゆく、全国の青年部幹部会、おめでとう!
 きょうは、創価の若人を祝すように、白雪の富士も見守っております。寒風にも、陶を張って勇み集った、わが誉れの男子部、女子部、学生部、そして未来部の皆さん方に、心からご苦労さまと申し上げます。温かく応援してくださる壮年部、婦人部の方々もありがとうございます。
 "松明(たいまつ)は、新しい世代に受け継がれた!"──若々しい声を響かせて、全世界にこう宣言したのは、アメリカ第35代大統領に就任したケネディであった。それは、1961年の1月20日のことである。
 当時、私は第3代会長に就任して最初の正月を迎え、いよいよ恩師の東洋広宣流布の遺命を果たすために、アジアの歴訪に旅立つ直前であった。それだけに、ケネディの演説は、私たちの胸にも熱く響いたことが思い出される。
 そして今、わが青年部の堂々たる躍進の晴れ姿に、私は宣言したい。
 「広宣流布の松明は、新しい世代に受け継がれた! 新しい時代の到来だ! 新しい勝利と拡大の大行進が始まった!」と。
 きょうは、なかんずく、その新しい世代の先頭に躍り出た「ヤング男子部」の大会、そして、常に新しい希望の花を咲かせゆく「白蓮グループ」の大会、まことにおめでとう! また、いつもいつも、本当にありがとう!



戸田先生「恩を知る人」に! 「広宣流布の信心」を貫け

皆が尊貴! 皆が「妙法蓮華」の当体!
わが人生に幸福の花を
白蓮よ 試練の中で咲き誇れ



 花(因)と実(果)が同時に成長! 
 一、白蓮グループが、その名前にも冠している「蓮華」には、ご存じの通り甚深の意義があります。
 蓮祖大聖人は、「浄らかなことでは、蓮華に勝るものがあろうか」(御書1109頁、通解)と断言なされました。この世で最も気高く、最も美しい存在こそ「蓮華」であり、「白蓮」なのであります。
 そして有名な「当体義抄」には、「妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身(=父母から生まれたわが身)是なり」(同512頁)と、明確に仰せであります。
 すなわち、題目を唱え、広宣流布に励みゆく皆さん方の生命そのものが、尊極の「妙法蓮華の当体」であると、教えてくださっているのであります。
 この一点を深く自覚するならば、何があろうとも、嘆くことはありません。だれ人をも、羨む必要など、まったくないのであります。
 どんなに厳しい現実の悩みや、人生の宿命に直面しても、白蓮が泥沼の中から尊貴な大輪の花を薫らせていくように、必ず必ず最高無上の幸福の花を咲き誇らせていける。それが、「如蓮華在水」(蓮華の水に在るが如し)という法理なのです。
 さらにまた、この白蓮は、花と実が同時に成長していきます。すなわち、原因(花)と結果(実)が倶時(=時を倶にすること)に備わっている。これが、「蓮華の法」つまり「因果倶時」の法則であります。
 ゆえに、いつか、どこかで、仏になるというのではない。今この時、真剣に妙法を説き弘めゆく、わが命に、即、仏の大生命が躍動してくるのです。
 友のため、法のため、広宣流布のために行動することは、人の何倍も苦労が多い。しかし、それは、自分自身の若き生命を、何よりも尊く強く美しく、光り輝かせていく道であります。
 現在、私が対談を進めている、中国の芸術界・学術界の至宝と讃えられる饒宗頤(じょうそうい)先生も、「人びとの心よ、清らかであれ」「人類は蓮華のようにあれ」と願っておられた。
 そして、法華経の真髄を体現する創価学会に、その具体的な実践を深く期待されてやまないのであります。
 どうか、この一年もまた、この世界一、いな宇宙一、誇り高き青春の道を、思う存分に乱舞していってください。



ヤング男子部は歴史を創れ
わが青春の誉れ

 19歳 人生の師匠との出会い
 23歳 会長就任の通開く
 24歳 75万世帯達成の突破口



 実際に、何を成し遂げたか 
 一、戸田先生は、青年部に叫ばれました。
 「願わくは、諸君は、教学に、信心に、自己の鍛錬に、いっそう励んでいただきたい。そして、よき広宣流布の闘士として、末代にまで、自己の名を歴史に残せ!」と。
 19歳で戸田先生にお会いした私も、まさに「ヤング男子部」の皆さんと同じ年代に、戦って戦って戦い抜いて、不滅の勝利と拡大の歴史を創りました。
 23歳の時には、事業の最悪の苦境にあった戸田先生を、阿修羅のごとき戦いでお護りし、第2代会長就任の道を開きました。
 24歳の時には、蒲田支部の幹事として、あの「2月闘争」の旋風を起こし、先生の生涯の願業である75万世帯達成への突破口を開きました。
 私は決心しておりました──戸田先生のおかげで、偉大な大聖人の仏法に巡りあい、正しき人生の道を知ることができた。広宣流布の拡大をもって、その師匠の大恩に報いていくのだ、と。
 戸田先生も、常々、「私は、牧口先生が言われたことは、すべてやった」と語られておりました。私も、戸田先生がおっしゃったことは、すべて実現した。
 真の弟子であるか否か──それは、役職や立場ではない。師匠の構想を実現したか。広宣流布のために、実際に何を成し遂げたか。この一点で決まる。
 あの「3・16」の広宣流布の後継の儀式から、今年で50年──。
 総仕上げの指揮を執られる、戸田先生の最後のご指導を、ここで拝したい。

 「恩を知る人になれ!
 恩知らずになるな!恩知らずは人間ではない。畜生である。いな、畜生以下である。
 学会のおかげで偉くしてもらいながら、その同志を裏切る者は、唾を吐いて追い出せ!
 広宣流布の組織を、すなわち世界平和への組織を馬鹿にし、軽蔑し、それを乱し、破壌する者は、絶対に追い出せ!叩き出せ!
 戸田の命より大切な学会の組織である。広宣流布の組織である。世界平和の組織である。仏道修行の黄金の階段である。
 自分勝手の信心ではなく、広宣流布の信心をやり通すことだ。これこそ大聖人の仏法の法理である。
 大聖人の仏法は、一生成仏は当然のことながら、広宣流布をし抜く仏法である。信心である。
 その広宣流布を忘れた、自己満足の、勝手気ままな、いわゆる、冷たい、身勝手な個人主義の仏法は、大聖人の仏法の方程式ではない」と。



 「健康第一」で!父母を大切に!
 一、御義口伝には「師子吼とは仏の説なり」(御書748頁)、「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(同頁)と仰せです。
 弟子が真剣に叫び続ける限り、偉大な師匠の音声は消えない。師弟の脈動とは、弟子が、いかに広宣流布の組織で戦うか、弟子が、いかに現実社会の中で仏法の真髄を語り抜くか、そして、弟子が、いかに破邪顕正の論陣を張るのか、そこにしかないのであります。
 「師子の声には一切の獣・声を矢ふ」(同1393頁)と御断言の通り、創価の若獅子ならば、言論戦で勝利の証しを打ち立てゆくことであります。
 戦いは、最後に「心から痛快だった。楽しかった」と言えるまで、やりきらなければ、本物の戦いとはいえない。
 私も戦う! 壮大なる広布第2幕の戦いを、満々たる気迫で、開始しようではないか!
 結びに、ドミニカ共和国の偉大なる"建国の父"ドゥアルテの魂の叫びを、わが後継の青年部に贈り、メッセージといたします。
 「若き友よ、わが祖国の希望よ、ともかく前進し続けるのだ!
 開始した美しい戦いに、忍耐強さと情熱で、邁進し続けるのだ!」
 みな、風邪をひかないように! 健康第一で!
 父母を大切に!


 2008年1月19日
 朝 富士を仰ぎつつ