第33回「SGIの日」記念提言 『平和の天地人間の凱歌』 上

            創価学会インターナショナル会長 池田 大作




人類意識に立った新たな世界秩序を
人間主義」を時代精神に!!


 第33回「SGIの日」を迎え、世界の恒久平和への祈りを込めつつ、私の所感の一端を述べておきたいと思います。

 混迷の度を増すグローバル社会
 約半世紀にわたり、国際社会を呪縛してきた冷戦構造が終結し"世紀"をまたいで20年近くの歳月が経過しましたが、それにとって代わる新しい世界構造は、まったく見えてきません。
 ライナス・ポーリング博士(ノーベル平和賞、同化学賞受賞者)といえば、生前、私が4度お会いし、対談集を上梓し(1990年10月)、遺志をくんで「ライナス・ポーリングと20世紀」展も世界各地で開催させていただきました。
 その博士が、対談集の冒頭で「今後の世界情勢の動向を思うと、私の胸はおどります。勇気がわきます。ソ連が動きだしました。ゴルバチョフ大統領のリードで、現実に世界軍縮への潮流が流れ始めました。(中略)人類が、初めて『理性』と『道理』にかなった道を歩む。そうした世界への転回が、いよいよ始まったのです」(『「生命の世紀」への探求』、『池田大作全集第14巻』所収)と、明るい展望を語っておられました。90歳を目前にした平和の闘士の温顔が目に浮かぶようです。
 残念ながら、その後の動きは博士の期待を大きく裏切るものとなってしまった。グローバリゼーション(地球一体化)の不可避な流れのなか、その先頭を行くアメリカを中心とする「新世界秩序」なるものも、一時は喧伝されましたが、新たな軋轢を次々と生じ、みるみる退潮を余儀なくされ、現状は無秩序に近い。
 しかし、歴史の歯車を逆転させてはならない。万難を排して、人類意識に立った新たな世界秩序を模索し、構築していかなければ、グローバル社会は混迷の度を増していくばかりであります。
 とはいえ、秩序への模索が種々試みられていることも事実です。過日(1月15日〜16日)、スペインのマドリードで開かれた「文明の同盟フォーラム」=注1=なども、その一例でしょう。国際平和と安全の維持には、文化的な敵意を克服する努力が不可欠として、75以上の国連加盟国および国際機関が参加しているもので、スピーチをした国連の潘基文(パンギムン)事務総長は「あなた方は、それぞれ異なった文化的背景や展望を有しているかもしれない。しかし、『文明の同盟』が、極端主義に対抗し、私たちの世界を脅かす分断の動きを鎮める上で重要な方法であるという共通の信念を、ともに分かち合っている」として、平和への行動の第一歩を促しています。
 また、フランスのサルコジ大統領は年頭の会見で、人間性の重視と連帯などを核とした文明政策を提起した上で、「20世紀の体制のままで、21世紀の世界を形作ることはできない」とし、改革の一環として現行のG8サミット(主要国首脳会議)を、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの5カ国を加えた「G13」に拡大すべきと提案しました。傾聴に値すると思います。
 私もかねてより、サミットの参加国に中国やインドなどを加えて「責任国首脳会議」に発展的改編を行い、よりグローバルな形で責任の共有を図るべきと訴えてきただけに、この提案に深く賛同するものであります。

「対立」超える「対話」の架橋作業

 原理主義への傾斜が随所で顕在化 
 さて、冷戦終結後に志向された「新世界秩序」が"錦の御旗"として掲げていたのが、周知のように「自由」であり「民主主義」であります。両者ともに、それ自体文句のつけようのないものですが、ひとたびそれを異なった政治文化の中に根付かせようとすると、どんなに困難が伴うか。それどころか、「自由」や「民主主義」を一定限度実現しているところでも、維持向上の努力を怠ると、みるまに似ても似つかぬものへと堕落してしまう──。このことを"ベルリンの壁"の崩壊(1989年11月)を受けた直後のSGI提言の中で、私はプラトン(田中美知太郎・藤沢令夫他訳「国家」、『世界古典文学全集15プラトン2』筑摩書房)の洞察に依りながら訴えたことがあります。※『…2』=ローマ数字
 すなわち、「自由」といい、「民主主義」といっても、行き着くところ「欲望の大群」を生み出して、それによって「青年の魂の城砦」が崩されてしまえば、救いようのない無秩序、カオスを招き、あげくの果ては、事態収拾のために、「一匹の針のある雄蜂」が待望されるようになる。「民主制」は「僣主(せんしゅ)制」への衰退=注2=、逆行を余儀なくされるであろう、と。
 その警鐘は、決して杞憂ではありませんでした。金融主導のグローバリゼーションの、蝶番(ちょうつがい)の外れたような進行は、世界的規模の格差社会をもたらし、拝金主義と不公平感を蔓延させ、それを一因(最大の要因といってもよいかもしれない一因)とするテロ行為は、拡散の一途をたどっております。テロや犯罪の発生する構造的要因を析出し、きめ細かく対処せずに、一方的に力で抑え込もうとしても、事態を悪化させるばかりであることは、歴史の教訓です。力による秩序は、むしろ無秩序、カオスに隣接している。
 私が仏法者として一番憂慮していることは、こうした風潮に乗じて昨今の"原理主義への傾斜"ともいうべき現象、心性が、随所に顔をのぞかせていることであります。
 かまびすしく取りざたされている宗教的原理主義に限らず、民族や人種にまつわるエスノセントリズム(自民族中心主義)やショービニスム(排外的愛国主義)、レイシズム(人種主義)、イデオロギー的なドグマ(教条)、あるいは市場原理主義にいたるまで、カオスに乗じて、わが物顔に横行しているといっても過言ではない。そこでは、万事に「原理」「原則」が「人間」に優先、先行し、「人間」はその下僕になっている。それぞれの分野での細かい定義は措(お)くとして、そうした"原理主義への傾斜"を端的に要約すれば、かつてアインシュタインの遺した「原則は人のためにつくられるのであって、原則のために人があるのではない」(ウィリアム・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)という言葉に尽きていると思います。
 原理・原則は人間のためにあるのであって、決して逆ではない──この鉄則を貫き通すことは、容易ではない。人間は、ともすれば手っ取り早い"解答"が用意されている原理・原則に頼りがちです。シモーヌ・ヴェイユの比喩(田辺保釈『重力と恩寵筑摩書房)を借りれば、人間や社会を劣化させてやまない「重力」に引きずられ、人間性の核ともいうべき"汝自身"は、どこかに埋没してしまう。私どもの標榜する人間主義とは、そうした"原理主義への傾斜"と対峙し、それを押しとどめ、間断なき精神闘争によって自身を鍛え、人間に主役の座を取り戻させようとする人間復権運動なのであります。

人間を強くし、善くし、賢くする 宗教のヒューマナイゼーション

 四面楚歌にあって己を貫いたジイド 
 ここで、原理主義人間主義の対峙という点で、忘れがたい有名なエピソードを一つ、想起しておきたい。それは、希代のヒューマニスト(ユマニスト)であったフランスの作家アンドレ・ジイドとソビエト社会主義にまつわるものであります。
 1936年6月、敬愛するM・ゴーリキー重篤(じゅうとく)報に、ジイドは急ぎモスクワに飛ぶが、その翌日、ゴーリキーは死去。葬儀や一連の行事を終えた後、かねてからの希望もあって、1カ月ほど地方を旅した。その感想を11月上旬、『ソヴェト旅行記』(小松清訳、岩波書店)として世に問いました。
 その上梓は、フランスはもとより、欧米各国や日本においても、まさに歴史的ともいうべき喧々囂々(けんけんごうごう)たる論議を巻き起こしていったようです。内容は、ジイドがロシア革命やその後のソ連の歩みに、十分な歴史的意義を認めながらも、次第に見え隠れしつつあったソビエト社会主義の病理に、今日から見れば控えめすぎるほど控えめに、批判のメスを入れている。その多くが鋭く、正鵠を射たものであることは、ソ連崩壊後の今日、誰の目にも明らかです。
 しかし、当時は"赤い30年代"といわれ、全体主義と戦うスペイン内戦=注3=の影響もあって、多くの知識人、青年が、雪崩を打つように左糞へとなびき、ソ連へ希望の眼を向けていた。それだけに左翼の一員と思われていたジイドの警告は、学界、ジャーナリズムの世界、政界を巻き込んだ大反響を引き起こした。賛否両論といっても大多数は"否"であり、なかにはジイドを裏切り者扱いする者も多く、彼は孤立無援に近かった。
 しかし、四面に楚歌を聞きながら、ジイドは一歩も退かず、己に誠実たらんとする一点を踏まえて、こう言い放ちます。
 「私にとつては、私自身よりも、ソヴェトよりもずつと重大なものがある。それは人類であり、その運命であり、その文化である」と。

 人間主義の立つ普遍的な足場 
 ジイドは大仰な言い方を嫌うかもしれないが、明快にして要を得た、まさに人間主義宣言ともいうべき歴史的留言であります。ジイドにとってヒューマニティーユマニテ)とは、今日、使い古されてすっかり手垢のついてしまった、それ故さしたる共鳴を響かせなくなってしまったヒューマニズムがもたらす語感とは違い、極度に磨きすまされた、そこ以外に正義の根拠を求めようのない普遍的な足場であった。そして、「私自身よりも......」と述べられているように、その擁護のためには命を賭してもよい「文化」──自他の尊重、差異や多様性の尊重、自由や公正、寛容などの精神的遺産に裏打ちされた普遍的価値であった。その信念こそが、時流に抗した不屈の精神闘争を支えていたにちがいないのであります。
 そのヒューマニティーの普遍的な広袤(こうぼう)(ひろがり)は、仏典で説かれる「法性(ほっしょう)の淵底(えんでい)・玄宗(げんしゅう)の極地(ごくち)」(一切諸法が拠りどころとする根本の真理)を連想させます。仏法を基調とする人間主義とは、その普遍的な足場──仏性という誰もが具えている金剛にして不壊、清浄にして無垢なる心性を「心蓮台(しんれんだい)」(心の蓮台=仏の座する蓮華の台座)と名付けるのは、普遍的な足場、根拠をよくイメージさせます──を踏み外すことなく、宗派性はもとよりのこと、あらゆる主義・主張の相違、民族や人種の相違、社会を構成する位階秩序の順逆などを相対化し、正しく再構築していくことを本領とする。「原理」ではなく「人間」が主役であるとは、そのことをいうのであります。
 故に仏典では、「然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値うて善意の法をば造り出せるなり」(御書563〜564ページ)と説かれている。
 「八万四千の法蔵」とは、直接的には釈尊一代の説法を指しますが、敷延すれば“差異”の世界のすべてともいえます。そうした"差異"を超えて、あらゆる人間が共有する無差別・平等な境地を探り当て、一切がそこからスタートし、そこへ帰着してくる。アルファ(出発点)であり、オメガ(究極)なのであります。あらゆる原埋主義は、その点が逆倒し、倒錯しているといってよい。

 自ら作ったものの奴隷となる弱小さ 
 半世紀以上も前、フランスのユマニスム研究と紹介に生涯を捧げた渡辺一夫(当時、東大教授)が、第2次世界大戦中に吹き荒れた狂信(原理至上主義)の嵐を振り返りながら「宗教のヒューマナイゼーション」を提起したことがあります。
 「第二の宗教改革が、新しいルッター、新しいカルヴァンによってなされねばならず、その道は、奇妙な表現であるが、宗教のヒューマナイゼーションしかない。そして、宗教のヒューマナイゼーションとは、『鴉片(あへん)』的なものを一切自ら棄てて、神すら人間のためにあるものであることを認知し、自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さに対する反省を、自らも行い他人にも教え、ルネサンス期以来人間の獲得したものに対する責任を闡明(せんめい)する役を買わねばならない」(大江健三郎清水徹編『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』岩波書店)と。
 以来60年、それ以降のそして昨今の宗教事情を顧みれば、このラジカルな問題提起は、今もって未完の問いかけであり続けていると言わざるを得ません。何といっても、原理主義という言葉が最も頻繁に使われるのは、宗教のあり方をめぐってであるからです。
 とはいえ、いつまでも未完のまま放置しておいてよい訳では決してない。それでは、宗教は平和構築の原動力どころか、戦争や争いの加担者になってしまいます。
 それ故、私は「21世紀文明と大乗仏教」と題するハーバード大学での2回目の講演(1993年9月)で、宗教を持つことが、人間を「強くするのか弱くするのか」「善くするのか悪くするのか」「賢くするのか愚かにするのか」という視点を、宗派性を超えて導入すべきであると、自戒の念を含めて、強く訴えたのであります。宗教が人々の平和と幸福に資するためには、何よりもその宗教が、人間を「強く」し「善く」し「賢く」するよう促し、後押しするものでなければならない。それは「宗教のヒューマナイゼーション」とはぼ同義語であり、その内実であります。

 ヴイーゼル氏の良心からの叫び 
 ノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴイーゼル氏は、教条主義原理主義につきまとう狂信と憎しみを凝視し、自ら創設した人道財団が中心となって、「憎しみの分析」をテーマにした国際会議をこれまで数回開催してこられました。
 氏はその動機を「今日、多くの知識人たちが狂信に惹かれているのをどう説明したらよいのか? また、こうした魅力に取りつかれないよう免疫力を宗教につけるにはどうしたらいいのだろう」とし、「〈歴史〉始まって以来、人間だけが狂信と憎悪に苦しみ、それをせき止めることができるのも人間だけだ。人間だけがその能力を持ち、そしてその罪を犯しているのである」(村上光彦・平野新介訳『しかし海は満ちることなく 下』朝日新聞社)と強調しています。人間の良心のやむにやまれぬ叫びであり、宗教のヒューマナイゼーションヘの、切なる期待といえましょう。
 少年期、アウシュビッツで父の死を目の当たりにし、母や妹を失い、ナチズムという最悪の原理主義の地獄をくぐり抜けてきた人の言葉だけに、人類史の直面する容易ならぬ課題を実感させる、重みと響きがあります。そして、それは、我々が避けて通ることの許されぬ難題(アポリア)なのであります。
 そうした努力を怠り、宗派性のみに固執していれば、宗教が人間の精神性を「弱く」し「悪く」し「愚か」にしてしまい、「鴉片的なもの」を増長させ、かえって戦争や争乱を助長し拍車をかけてしまう。ヴイーゼル氏の指摘するように、いわゆる"原理主義への傾斜"であり、あえて実例をあげる必要もないほど人類の歴史に刻まれてきた宗教の暗部、負の側面であります。

狂信と憎悪の重力にいかに立ち向かうか

 私が「未完の問いかけ」としたように、「宗教のヒューマナイゼーション」ということは、21世紀の今日、今なお越えねばならぬハードルとして、我々の眼前に立ちはだかり続けている。宗教史の明と暗のバランス・シートをどう捉えるかは難しい問題ですが、少なくとも、21世紀文明と宗教のあり方を考える際、宗教は人間性の向上、平和と幸福のためにあるという視点を忘れてはならないと、強く訴えるものであります。

 歴史家ミシュレが提起した宗教観 
 その点、かねてより私が注視していたのは、19世紀の大歴史家ジュール・ミシュレの宗教観であります。
 ミシュレの生きた時代はオリエント・ルネサンスと呼ばれたように、古代ギリシャ・ローマ文明の発見・再興であったルネサンスを受け、さらに、インドやペルシャなどを含むオリエント(東洋)への関心が増大し、時間的にも空間的にも、ヨーロッパ中心のキリスト教的世界観からの脱皮を迫られていた時代であった。当時の時代精神はどこか今日のグローバリゼーションと似た雰囲気があったのかもしれない。著書『人現の聖書』(大野一道訳、藤原書店)で、ミシュレは言います。
 「われわれの時代は何としあわせな時代か! 電線を通して地球上の魂を、今現在の中に一つに結びつけ調和させる時代である。歴史の流れを通し、いくつもの時代を照応させ、友愛にみちた過去を共有していたという感覚を与え、地上の魂が、同じ一つの心によって生きてきたことを知る喜びを与える!」と。
 「電線を通して……」などという表現は、今日のネット社会を連想させますが、何といっても、19世紀前半といえば、近代の科学技術文明の夜明けというか"揺籃期"であります。ミシュレの個人的資質も加わって、文明のフロンティア、世界像の拡がりへの斯待は、時間的にも空間的にも無限大で、ほとんど手放しに近い。その点、30年以上も前にローマクラブの報告が「成長の限界」を警告したように、近代文明の"黄昏(たそがれ)期"を余儀なくされている我々の時代とは、際立って対照的です。急速に進むネット社会に漂う、ある種の手詰まり感は、情報科学のもたらすコミュニケーションの拡大がそのまま「地球上の魂を……一つに結びつけ調和させる」ことにつながるとする楽観論など、現状は皆無に近いことを物語っているといえましょう。
 その意味では、ミシュレの時代は、ヨーロッパ人が、自らの文明を相対化しつつも、というよりも相対化の故に、人間の力や可能性の普遍的な拡がりに自信を持つことができた幸福な時代であったのかもしれません。そうした時代精神は、ミシュレの宗教観にも如実に映し出されております。それは、まさしく「宗教のヒューマナイゼーション」そのものでした。
 『人類の聖書』とは、「新・旧約聖書」に限らず、ミシュレが「真の著者、それは人類である」と述べているように、インドの「ヴェーダ」や「ラーマーヤナ」、古代ギリシャの英雄叙事詩や古典劇、ペルシャの「シャー・ナーメ」、あるいはエジプト、シリアなど、漢字文化圏を除くほとんどの文明圏の「聖典=聖書」(神々)を広く渉猟したもので、それらを過不足なく比較・検証した上で、彼は、こう大胆かつ明快な結論を導き出しております。「精神活動が宗教を包含するのであって、それが宗教の中に包含されるのではない」と。すなわち「人間」を超越し、「人間」に先行する一切の宗教的要因を拒否するのであります。「ヒューマナイゼーション」たる所以です。
 そして言います。「アジアとヨーロッパとの完璧な一致、はるかな昔の時代とわれわれの時代との一致が分かったのである。(中略)──したがって、唯一の人類が、唯一の心があるのであって、二つに分かれてあるのではないということが分かったのだ。空間と時間を貫く大いなる調和が、永遠に復元されたのである」と。

自己規律に基づく骨太な人間讃歌 
 人間不信や閉塞感の遍満する現代から見れば、まさに隔世の感を深くします。静かにそれは、近代文明の"夜明け""揺藍"の時代の、ユートピア的というか、あまりにもおおどかで楽観的な人間観、人間讃歌といえるかもしれない。そして、人間性の開花の系譜を、古代インドやギリシャの人間観から、中世の"暗黒時代"を経て、ルネサンスフランス革命(自由・平等・友愛)へとたどるミシュレの期待と展望を、その後の歴史が大きく裏切ってきたことは周知の事実であります。20世紀の2度にわたる世界大戦、"アウシュビッツ"や"ヒロシマ"の惨劇を経験し、知識や科学技術が油断のできない"諸刃の剣"であることが骨身にしみている我々は、到底そのような手放しの楽観論に与(くみ)することは不可能です。また、前世紀末のソ連の崩壊が、歴史の進展をフランス革命からロシア革命へとたどる進歩主義歴史観に終止符を打ったことも、我々の記憶に新しい。
 とはいえ、我々は「沐浴(ゆあみ)の水と一緒に子どもまで捨ててしまう」(ドイツのことわざ)愚を犯してはならないでしょう。ミシュレが「お願いだから(人間)であるようにしよう。人類の聞いたこともない新しい偉大さによって、偉大になってゆこう」と訴えているように、人間が原点であり、人間こそが、宗教を含めた歴史創出の主役でなければならないという基本スタンスだけは、忘失されてはならない。我々の標榜する人間主義の戦いの成否も、そのスタンスを共有し、どう深化させ、継承していくかにかかっているからであります。
 特筆すべきは、ミシュレの人間讃歌が、今日のヒューマニズムという言葉にまつわる曖昧さ、骨格の定まらぬ情緒的な脆弱さとは縁遠いダイナミズムを有していたこと、換言すれば、人間解放とは似て非なる、エゴイズムの野放図な拡大にほとんど無防備であったその後のヒューマニズムの歩みとは対照的に、人間精神の規範性、自己規律という点でも、一本の太いバックボーンを有していた点であります。『人類の聖書』の末尾には、「インドから[一七]八九年まで光の奔流が流れ下ってくる。『法』と『理性』の大河である」という人類史の正統を継いでいるという自信、そして「諸々の時代にあって同一であるもの、自然と歴史の堅固な基盤にのった永遠の『正義』が輝き出る」とされ、「法」や「理性」「正義」を根拠ともバックボーンともしながら、自らを律し、創り直し、もって歴史創出の主役たらんという自覚、自負が、骨太に謳い上げられています。おおどかな人間讃歌が"遠心力"であるとすれば、これは"求心力"ともいえる。両者が均衡を保ってこそ、人間の魂は正常にはたらくことができます。
 ミシュレのいう「法」とは若干ニュアンスを異にしますが、それは仏教で説く「自帰依、法帰依」の構図と重なってきます。いわく、「みずからを洲(す)とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとすることなく、法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」(増谷文雄『仏教百話』筑摩書房)と。音も今も、人間が人間(主役)たらんとするには、何らかの依るべき「法」が不可欠なのであります。

 部分的な「正義」の誘惑を超えて 
 とはいえ、歴史はミシュレの思う方向には進まなかった。先に触れたように、渡辺一夫は「自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さ」を言います。その「弱小さ」故に、人間は「人間、それ自らに背くもの」(G・マルセル)の言葉のごとく、歴史創出の主役たらんとしてその座から転がり落ち、20世紀は、イデオロギーの絶対化、狂信に発する戦争と暴力の嵐が吹き荒れました。ミシュレのいう普遍的な「正義」ではなく、あらゆる次元の個別的、部分的な「正義」が、人間の「弱小さ」につけ込むように己の正しさを言い募り、角突き合わせ、争っている──"原理主義への傾斜"を憂慮する所以であります。部分的「正義」の先にどんな悲惨が待ちかまえているかを知らずに、人間はなかなかその誘惑に勝てない。
 そうした"原理主義への傾斜"を止めるためには、それを座視するのではなく、人間主義は、悪との闘いを避け、放棄してはならないと訴えたい。ヒューマニズムという言葉には、平和や寛容、穏便といったプラスイメージと同時に、微温的、生ぬるさなどのマイナスイメージもっきまとう。そこをもう一歩突き抜けなければ、原理主義特有の過激さと対峙することは不可能でしょう。ナチズムと戦い続けたトーマス・マンは、それを「戦闘的なヒューマニズム」と名付け、こう述べております。
 「今日必要なのは戦闘的なヒューマニズム、みずからの雄々しさを発見し、自由、寛容および懐疑の原理は恥も懐疑も持たない狂信によって悪用され、踏みにじられてはならないのだという確乎たる見解に貫かれたヒューマニズムであろう」(佐藤晃一訳「ヨーロッパに告ぐ」、『トーマス・マン全集11』新潮社)と。
 ちなみに渡辺一夫は、マンのその小冊子が「激動期における私の『枕頭(ちんとう)の書』となり、次いで『雑嚢(ざつのう)の書』となり」(前掲)と語っています。
 この「戦闘的なヒューマニズム」とは、事実、ジイドが「正当なヒューマニズム」として熱烈にエールを送っているように、ジイドが「私自身よりも、ソヴェトよりもずつと重大なもの」として普遍的価値、正義の根拠としていた「ヒユマニティ」(ユマニテ)と同根から発しているはずであります。
 そして私は、そこに仏法を基調にした人間主義による精神闘争のあり方が、二重写しにされてならないのであります。私どもの推し進める仏教運動が、現在、世界的な拡がりを見せ、各界から幅広い支持をいただいているのも、それを基調にした人間主義が、宗派性、宗教原理を超えた普遍的な拡がりを存し、すなわち「宗教のヒューマナイゼーション」という文明史的課題の一翼を担っているからではないでしょうか。

分断の世界を一つに結ぶ 対話の万波を民衆の手で!

 言論を嫌うのは人間嫌いと同根 
 ところで、ヒューマニズムを言う限り、最大の武器、コミュニケーションの手段が対話──人類史とともに古くて新しい課題であり続ける対話に帰着することはいうまでもない。古来、“対話的存在”であることは、人間の本質に根ざし続けており、対話が途絶するということは、人間が人間であることをやめるに等しい。いうなれば、対話なき人間は人間失格であり、対話なき社会は墓場といっても過言ではありません。
 古くはソクラテスが「およそ人の心がおちいる状態で、この、言論を忌み嫌うということほど、不幸なものはありえない」(藤沢令夫訳「パイドン」、『世界古典文学全集14 プラトン1』筑摩書房)として、言論嫌い(ミソロゴス)を人間嫌い(ミサントローボス)と同根としました。
 また近くは、例えば、昨年亡くなったドイツの碩学カール・フォン・ヴァイツゼッカー氏(私が会談したドイツ元大統領の長兄)は、「人間とは共に生きるための、人生の対話者という存在である」(小杉尅次・新垣誠正訳『人間とは何か』ミネルヴァ書房)と喝破しております。
 この種の証言は枚挙にいとまがなく、それは、言論や対話が、いかに人間を人間たらしむる本質的要件であるかを物語っております。人間が善き人間であろうと、つまり叡知人(ホモ・サピエンス)たらんとすれば、同時に言語人(ホモ・ロクエンス)として、対話の名手でなければならない。
 特に、対話と対極に位置する狂信や不寛容の歴史を引きずる宗教の分野にあっては、ドグマを排し、自己抑制と理性に裏打ちされた対話こそ、まさに生命線であり、対話に背を向けることは、宗教の自殺行為といってよい。したがって、仏法を基調とする人間主義を推し進めるにあたって、いかに狂信や独善、不信といった問答無用(原理主義)の壁が立ちはだかろうと、この、対話こそ人間主義の"黄金律"であるという旗だけは、断じて降ろしてはならないと訴えておきたいと思います。
 途中で途絶しては対話とはいえず、真の対話は、間断なき持続的対話として貫徹されねばならない──こうしたホモ・ロクエンスの真価を発揮するには、相応の間断なき精神闘争を要するはずです。
 それには、人間の「強さ」「善良さ」「賢明さ」などの美質が、総動員されなければならない。そして、真の宗教は、それら美質を顕現させゆく駆動力でなくてはならない。すなわち「人間革命の宗教」でなければならないというのが、私の変わらぬ信念であります。故に、ハーバード大学での講演でも、その点を踏まえ、21世紀文明に果たすべき大乗仏教の精髄について、論及したのであります。

 50冊近くに及ぶ識者との対談集 
 対話こそが宗教の生命線であり黄金律である──この信念に立って、私は、これまで7000人余の識者・要人と会談してきましたし、トインビー博士をはじめ50冊に及ぼうとする対談集を世に問うてきました。
そこにはキリスト教文明圏や儒教文明圏の人も数多い。従来、比較的日本と交流の少なかったイスラムやヒンズー文明圏の人も旧共産圏の人もいます。また、人文系に限らず、物理学や天文学など理数系の識者もいる。仏典に「無量義は一法より生ず」とあるように、国境を超え、宗派やイデオロギーを超え、人種や民族、学問間の障壁を超えながら、異なる分野を架橋しゆく対話を、仏法を基調にした人間主義にのっとり、着実に推し進めてきました。それは、普遍的ヒユーマニズムを、時代精神にまで高め、21世紀文明に寄与したいとの念願からであります。
 またSGIでも、7年前の同時多発テロ事件の直後からヨーロッパ科学芸術アカデミーが開催してきた、キリスト教、仏教、ユダヤ教イスラム教の代表による「四大宗教間対話」に継続的に参加し、平和に貢献する道をともに模索してきました。
 そしてさらに、私の創立した東洋哲学研究所やボストン21世紀センター、戸田記念国際平和研究所においても、「文明間対話」や「宗教間対話」を積極的に推進してきたのであります。(下に続く)