「仏法勝負」の師弟の絆

晴ればれと 勝利の人生 飾りゆけ
青年の心で 新しき「2月闘争」を!

 晴ればれと
   勝利の人生
     飾りゆけ

 御書に曰く──
 「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本《もと》とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」(御書1165?)
 仏法は、あくまでも「勝負」だ。仏とは「世雄」、すなわち堂々と社会で勝利しゆく英雄である。
 君よ、あなたよ!
 この御聖訓を、さらに深く命に刻んで生涯を送れ!
 私は、戸田先生の不二の弟子として、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」のありとあらゆる中傷批判を受けながら、大盤石なる創価学会に仕上げた。
 いまだかつてない、無上光栄の民衆勝利の絆と絆を創り上げてきた。
 これこそ、「仏法勝負」の前進の姿だ。
 仏法者は断じて勝たねばならない。広宣流布のために、「不惜身命」と仰せの如く、わが身を惜しまず、断固と勝ち抜くのだ。
 永遠の生命から観れば、前世も生まれ合うたびに、我らは法のために戦い勝って、幾万もの福徳と強大な自身の栄えある殿堂を築き上げてきたのだ。
 そして今世もまた、一年ごとに堅固に強力に、わが身の荘厳なる勝利、勝利へと、共々に輝きわたっていくのだ。

障魔に負けるな!
 御本仏・日蓮大聖人は、喝破なされた。
 「法華経を持《たも》つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主 此の経を持つ人をば強《あながち》に嫉み候なり」(同925?)
 人の幸福を嫉み、人びとの和楽を嫉み、正義の前進を嫉み、妨げようとする。これが魔の本性だ。正しければ正しいほど、偉大であれば偉大であるほど、魔性の嫉妬の標的とされる。
 この魔の働きに負ければ、皆が不幸に引きずられるだけだ。「一生成仏」も「広宣流布」もできない。
 大聖人は、熾烈な攻防戦のなかで、若き南条時光に不退の魂を打ち込まれた。
 「殿もせめをとされさせ給うならば・するが(駿河)にせうせう信ずるやうなる者も・又信ぜんと・おも(思)ふらん人人も皆法華経をすつべし」(同1539?)
 いかに障魔の嵐が吹き荒れようとも、正義の青年が勇んで勝利の旗を打ち立てるならば、大切な同志を厳然と守ることができる。未来の希望の道を、洋々と開くことができるのだ。

先陣切って現場へ
 昭和27年(1952年)の1月のことである。
 満を持して、この時を待っていたように、戸田先生が宣言された。
 「いよいよ大作を出すか」
 先生の直々のお話で、私は蒲田支部支部幹事の任命を受けた。
 わが師が会長就任式で「75万世帯の弘教」を誓願されてから約9カ月が経つものの、折伏は遅々として進まず、大きい支部でも、月に100世帯の拡大がやっとの有り様であった。
 “このままでは何万年もかかってしまう”と、先生の嘆きは深かった。沈滞した闇を破る、広宣流布の夜明けの光を、先生は24歳の青年に託されたのだ。
 青年は青年らしく、師弟共戦の旗を掲げ、勇猛果敢に、誠実一路で、先陣を切っていく行動以外にない。
 2月、私は、当時の組織の最前線である、小単位の「組」に突入した。それは、一軒また一軒と歩いて励ますことであり、一人また一人に会って語り合うことであった。大勢を集めて演説する必要などない。自分自身が一人のもとへ飛び込めばよい。そこが現場だ。
 私は東奔西走、自ら折伏し、皆の応援に入った。親身に悩みを聞き、個人指導を重ねた。大田区内はもちろん、多摩川を渡って、川崎にも通った。
 入会の新しい人や活動に馴染めぬ人もいた。しかし、誰もが偉大な使命を帯びた地涌の菩薩だと、信心の素晴らしさを訴え、「まず祈ろう、生き生きと体験を語ろう」と激励していった。

人材よ躍り立て!
 新しき友よ来れ!
 新しき人材よ躍り立て!
 自分が縁した一人また一人が、必ずや戸田門下となり、喜び勇んで妙法流布という聖業に加わることを祈り念じながら──。
 そこから、当時、100近くあったすべての組に、澎湃と人材が涌出していった。
 やがて、2月を戦い切った時、わが蒲田支部は、1支部で月間「201世帯」という未曾有の折伏を達成したのである。
 学会の歴史において、これこそ、青年が大先頭に躍り出て、壮年・婦人と一体で戦い、実質的に広布拡大を牽引した初陣であったといってよい。
 そして今再び、創立100周年へ向かって、本門の青年学会の初陣が始まった。
 皆で青年を励まし、皆が青年の心で、新たな一歩前進に挑みたい。
 昨秋、お会いしたマサチューセッツ大学ボストン校のモトリー学長は、ご自分のことを快活に「ヤング・マン──青年」と呼んでおられる。それはなぜか。
 「いつまでも、困難の大きさを考える前に挑戦するエネルギー、つまり青年のエネルギーを持《も》ち続けたいからです」と。

永遠の前進の軌道
 もしも、この「二月闘争」の目覚ましい勝利が、その時だけで終わっていれば、本当の意味で「壁を破った」とは言えなかった。
 しかし、蒲田支部は、その後も200世帯を突破し続けた。「三月闘争」も勝った。「四月闘争」も勝った。
 そして、戸田先生の会長就任1周年の5月には、大歓喜の勢いで初めて300世帯に到達し、11月には、2月から倍増となる400世帯を突破したのである。
 この蒲田の大躍進に負けじと、他の支部も次々に壁を破った。神奈川を地盤にした鶴見支部もやがて月間300世帯へ飛躍し、さらにほとんどの支部も悠々と100世帯、150世帯を超えるようになっていった。そこには、東北の仙台支部と関西の大阪支部も、新たな力として隆々と台頭してきたのである。
 なお、勢いに乗り遅れた文京支部が、支部長代理となった私と共に、「前進!」を合言葉に、最強の組織へと一変したのは、この翌年のことであった。
 ともあれ、青年の私は、「二月闘争」を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。
 表面的な方法論ではない。学会は「一人立つ信心」そして「師弟共戦の信心」で勝つ、という永遠の軌道を固めたのである。
        ◇
 今、世界の同志も、「二月闘争」の精神を源流として、広宣流布の拡大を勇み進めている。ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビアなど南米の友が、最前線のブロックに焦点を当てて、歓喜の連帯を広げている様子も嬉しい限りだ。
 つい先日、懐かしい北欧ノルウェーの婦入部のリーダーからも、意気軒昂の報告をいただいた。
 昨年の御本尊授与は過去最高だったという喜びに続き、「本年は倍以上の結果を出そうと皆で話し合っております」との力強い決意が綴られていた。
 私と妻は、厳寒の中、活躍される友の苦労を偲びつつ、即座に伝言を送った。
 「メンバーの方々がたくさんの功徳を受けられますよう、またメンバーが少しでも多くなりますよう、題目を送っております」と。

「辛抱強くあれ」
 日本中、世界中のいずこにあっても、広宣流布の拡大は、血の滲むような、わが友の忍耐と執念の奮闘によって勝ち取られてきた。
 思えば、ノルウェーの大彫刻家ビーゲランが、先達のロダンから学び、受け継いだ信条も「辛抱強くあれ」ということであった。
 かつて(1964年10月)、私がノルウェーを訪問した折、草創の同志と、彼の力作群が飾られたオスロ市内のフログネル公園を視察したことが思い出される。
 このビーゲランの信念は、さらに「唯々強い意志、聡明で決意深いこと」「唯々《ただただ》努力すること」「驕ることなくひたすらその道に尽くすこと」であった。
 学会精神と深く通ずる。
 油断なく、手を抜かず、愚直なまでに全力を尽くし抜いていく以外にない。そこにこそ、眼前の勝敗を超えて、深い永続的な勝利の基盤が築かれゆくのだ。
 戸田先生は言われた。
 「戦いの勝利の原理は『勇気』と『忍耐』と『智慧』である」と。

時は来ぬ 断固 勝ち抜け 不二の道
友に歓喜の波動を 勇気の励ましを!

 たゆまずに
  この道 歩め
    朗らかに

 ノルウェー出身の「平和の文化の母」エリース・ボールディング博士と、私は共に対談集を発刊した。
 今回の「SGIの日」を記念して、女子部国際部の最優秀の友が作成してくれた箴言集の中に、忘れ得ぬ博士の言葉が光っていた。
 「過去の偉大で人間性あふれるリーダーたちは、皆、いつも歩いてやってきた。王座や馬上におさまるのではなく、同じ目の高さに立って対話を行ってきた」
 この博士が自ら出席して「平和の文化」の最先端と讃えておられたのが、創価の座談会である。
 互いの顔を平等に見つめ、互いの話を誠実に聞きながら、足元の地域から、よりよき社会の建設へ力を合わせていく。このたゆみない草の根の対話の積み重ねこそ、民衆の幸福勝利の原動力であろう。
 「常に民と共にあれ。いかなる場所でも民に続け。
 王や貴族が何だというのだ。それよりも誠実な人びとを仲間にせよ!」
 これも、女子部国際部のメンバーが翻訳して届けてくれた、ウズベキスタンの著名な詩人のジリショド・バルノの言葉である。
 わが創価大学に立像がある大詩人ナワイーを学び、そのヒューマニズムを受け継いだ19世紀の女性だ。
 深い共感を禁じ得ない至言である。

勝ち戦の大功労者
 立派な甲冑を身に纏いながら、いざという時に退いて、敵の一陣さえ倒せない臆病者もいる。
 反対に、甲冑など纏わずとも、恐れなく突進して、敵の大陣を打ち破る勇者がいる。
 どちらが勝るか。いうまでもなく勝負は明らかだ。
 これは、御書に引かれた譬喩の一つである。(御書123?参照)
 私には、来る日も来る日も、ありのままの人間性の力で、広宣流布の法戦に挑みゆく第一線の同志の勇姿が胸に迫ってならない。
 破邪顕正の勝ち戦の最大の功労者は、この方々なのである。
 会長に就任して5年となる昭和40年、私は全国の班長・班担当員の皆様との記念撮影をスタートさせ、各地を訪問するたびに一緒にカメラに納まった。
 今の「ブロック長」「白ゆり長」、あるいは「地区部長」「地区婦人部長」の皆様方に当たるだろうか。
 誰が見ていなくとも、広布のため、地域のため、友の幸福のために、一番汗を流して奮闘してくださっている方々である。私は感謝と励ましを伝える思いで、全国を駆け回った。
        ◇
 2年後(昭和42年)の9月1日、学会本部が拡充され、創価文化会館が完成した。この前月、班長・班担当員の皆様は、勇んで弘教の先陣を切り、全国で“班1世帯”の折伏を成し遂げ、新時代の開幕を荘厳してくださった。
 法華経の法師品には、「若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能く竊《ひそか》に一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来の事を行ず」(創価学会法華経357?)と説かれている。
 この一節を通し、日蓮大聖人は「法華経を一字一句も唱え又 人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書1121?)と仰せである。
 わが同志が、勇気を出して、一人の友に語る。誠実に、一対一で対話する。それが、どれほど偉大なことか。どれほど尊いことか。
 「冥の照覧」は絶対に間違いないと信じつつ、私は私の立場で、何としても同志を励ましたいと思った。
 その共戦の証として、班長・班担当員の皆様の名前を、私が「色紙」に書いて贈ろうと決意し、全国から名前を寄せていただいたのである。いずこの地であれ、師弟は不二だ。いつも共に戦っているからだ。

色紙の山に向かい
 当時、創価文化会館の6階に設けられた私の執務室の机には、常に色紙が山積みされ、周囲の棚にもギッシリ収められていた。
 毎朝、本部で仕事を開始してすぐに、また、要人との会見等の後に、時には、すべての学会活動を終えた晩に、毛筆を手に、机にうずたかく重なっている色紙の山に向かった。
 中央に「福運」や「福智」等の文字を記した色紙に、一人ひとりの名前を認《したた》めていった。心で題目を唱え、ご健勝とご多幸を祈り、固く共に勝利の握手を交わす思いで──。
 日々、無理解な批判や悪口を浴びながら、広布の最前線で“仏の仕事”をしてくださっている、この尊極の方々を励まさずして、いったい誰を励ますのか!
 一日に書ける枚数は限られている。たとえ何十枚、何百枚と書いても、激励するべき友はあまりにも多かった。だが、それでも私は書く、精魂込めて書き続ける、と決めた。
 激務や疲労で、一枚書くのがやっと、という日もあるかもしれない。しかし、一枚書けば、一人を励ませる。いな、その一人から、新たな波動が起きる。それが必ず、2人、3人、100人へと広がる。
 この踊躍歓喜の連動が、諸法実相抄に仰せの「地涌の義」に通ずるのだ。
 地方を回るなかでも書いた。自宅に戻ってからも書いた。ひたすら寸暇を惜しんで、筆を執り続けた。傍らには、妻が手伝ってくれていた。そうやって、あの時代の大躍進の勢いをつくっていったのだ。
 「友に勇気の励ましを! 同志を仏の如く大切に!」──この私の心を、21世紀の広布のリーダーたちも、深く受け継いでもらいたい。ここにこそ、躍進勝利への秘伝があるからだ。
        ◇
 当時、私が懸命に同志への色紙を認めている渦中、創価文化会館にお迎えしたのが、「欧州統合の父」と名高いクーデンホーフ・カレルギー伯爵であった。伯爵との語らいは、私の対談集の「第一号」となった。
 広布の最前線に立つ皆様と心で握手を交わした宝城から、世界の知性との交流も始まったのだ。
 今、学会本部では、新しき「創価文化センター」。そして「総本部」建設に向けて、着々と準備が整えられている。関係の方々のご尽力に感謝したい。
 私は妻と共に新たな決意で、日本中、さらに全世界の愛する地区・ブロックの健気な同志に題目を送っている。一人も残らず健康で幸福で、いよいよ威光勢力を増して、断じて広布と人生の勝利を! と、ひたぶるに祈り抜く日々である。
 この冬は、日本海側を中心に、記録的な豪雪が続いている。また、鳥インフルエンザ霧島連山新燃岳《しんもえだけ》の噴火なども起き、心配している。大変なご苦労をなさっている方々に、心からお見舞い申し上げたい。

痛快に陣列を拡大
 55年前、あの大阪の戦いのなかで、私が愛する関西の同志と深く心肝に染めた法華経の経文がある。
 「魔及び魔民有りと雖も、皆な仏法を護らん」(法華経?)との一節である。
 何人《なんびと》たりとも、広宣流布の味方に変えてみせる。この烈々たる祈りと勇気と勢いで、私たちは痛快に陣列を広げていった。
 今、ジャズと人生と仏法の語らいを進めているウェイン・ショーターさんも、この仏法の大きさに共鳴されながら、言われていた。
──私は毎朝、起きると、「さあ、今日も勝利の喜劇を演じよう」と思います。敵意や悪意など悪鬼の働きをも味方にするのが、仏法です。私たちがそれらと共存しながら打ち勝つ道は、一緒に笑わせることではないでしょうか。これは、ちょうど、飛行機が離陸する時、空気の抵抗を味方につけるのと同じです──と。
 味わい深い言葉である。
 正義の人生は、明るく朗らかである。その明朗さに満ちた民衆のスクラムほど、強いものはない。
 大聖人は、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224?)と宣言なされている。
 私も、この御金言の如く一歩たりとも退かない。
 万代までも行き詰まらぬ創価の常勝の大道を開くために、人知れず手を打ち続けている。
 今月は、戸田先生の生誕の月である。二千十一年の二月十一日、このお誕生日で百十一周年──。幾重にも「一」が重なり、私たちを「一番幸福に!」「一番星と輝け!」と、先生が励ましてくださっているように思えてならない。
 友よ、立ち上がろう!
 「学会は、永遠に師弟を根幹にして異体同心の団結で勝っていくのだ」
 恩師の師子吼を胸に、全同志が一丸となって、勝利の大行進を開始したい。

 時は来ぬ
  断固 勝ち抜け
     不二の道


ビーゲランの言葉は古木俊雄著『ヴィーゲラン 人間愛の造形者』(アートデイズ)。エリース・ボールディングの言葉は『平和の文化 歴史のもう一つの顔』(英語版、邦題仮訳)。ジリショド・バルノは『叙情詩選集 ゼブニサ・リショド・アンバルアティン』(ロシア語版、邦題仮訳)。