師弟共戦の5月3日

天高く 創価勝鬨は轟けり
勇気の行動で勝つ 民衆の連帯で勝つ

現在も 未来も共に 苦楽をば 分けあう縁《えにし》 不思議なるかな

 ♪心はおどるよ
   青空晴れて
  この世のくさりの
   悩みをくだき
  新たなる力
   強くとどろく──

 ロシアのリムスキー=コルサコフの歌曲の一節だ。
 嵐の後の青空ほど、清々しいものはない。
 我らは、一年また一年、言い知れぬ苦難の鉄鎖を断ち切り、天高く勝鬨を轟かせて前進していくのだ。
 我らには、どんなに苦しい時も、歯を食いしばって目指す決着点の日がある。心通う友と、互いの奮闘を讃え合う祝祭の日がある。そして、湧き出ずる新生の力で出発しゆく原点の日がある。何と爽快な、何と張り合いに満ちた、民衆の凱歌のリズムであろうか。

大願とは法華弘通
 その日は、美事なる五月晴れであった。天も晴れ、地も晴れ、全同志の心も晴れわたっていた。
 昭和26年の5月3日である。
 私の師である戸田城聖先生は、一切の大難を勝ち越えて、威風堂々と第2代会長に就任された。弟子が祈りに祈り、戦いに戦い、待ちに待った日であった。
 会長就任式で、先生は「地涌の菩薩」の自覚の上から、荒れ狂う濁世において、日本さらに世界への広宣流布を、わが創価学会の大使命として誓願された。
 御義口伝に、「大願とは法華弘通なり」(御書736?)と示されている通り、広布大願は日蓮門下の魂である。
 「一切衆生の成仏」の法理を明かした法華経を弘めることは、社会に広く深く生命尊厳と人間尊敬の思想を打ち込むことだ。
 悩める人びとの心に、生きる希望と苦難に負けぬ勇気の火を灯しゆくことだ。
 立正安国の旗を掲げて、崩れざる世界の平和の基礎を断固と築きゆくことだ。
 広宣流布の前進の中にこそ、世界の民衆の命運を変えゆくカギが厳然とある。
 5月3日は、広宣流布のために、師匠が立った日である。そしてまた、弟子が共に立ち上がる日である。
 戸田先生はこの出陣を記念して歌を詠まれ、それを5月3日当日のご自身の写真の裏に認《したた》め、私に授与してくださった。

 現在も
  未来も共に
    苦楽をば
  分けあう縁《えにし》
   不思議なるかな
        ◇
 経文には「在在諸仏土 常与師倶生」(在在《いたるところ》の諸仏の土《ど》に 常に師と倶《とも》に生ず)と説かれる。
 久遠の妙法の光に包まれ、師弟は永遠に一緒に生きるのだ。苦楽を分かち、共に勝利するのだ。
 先生が「未来も共に」と言われた通り、私は、9年後の昭和35年の5月3日、師匠の広宣流布の大誓願を受け継ぎ、第3代会長に就任した。そして60年を経た今日も、いな、この瞬間も、私は師と不二の命で戦い続けている。
 わが生命の中に、生死を超えて、師匠はおられる。そしてまた日本中、世界中で活躍する地涌の友たちも、広布途上に逝いた懐かしき勇者たちも、皆、一緒におられる。
 このたびの東日本大震災で逝去された尊き同志も、私たちの命と一体である。
 大聖人は千日尼への御返事で、亡くなった夫の阿仏房は「多宝仏の宝塔の内《うち》に東む(向)きにをはす」(同1319?)と仰せになられた。御本尊に題目を唱えゆく時、亡き家族とも、功労の友とも、心の対話は自在なのである。
 生死は不二であり、妙法で結ばれた家族の縁、同志の絆は三世に永遠である。

「母の太陽」よ 幸福に輝け

青年が受け継げ!
 忘れまじ
  五月三日の
   この佳き日
  永遠《とわ》に輝く
    母の太陽

 「みんなは力限りよく働いてゐる」
 東北出身の詩人・白鳥《しらとり》省吾《せいご》は、「善良な心」を持って生き抜く民衆を詠った。
 だからこそ彼は、人びとを不幸に陥れる社会悪に怒り、祈るように願った。
 「あゝ彼等のゆく路を幸福に輝やかせよ」
 この民衆の幸福勝利の大道を、我らは開くのだ。
 なかでも、結成60周年の婦人部は、白ゆりの如き清らかな信心と、昇りゆく朝日の如き希望と勇気で、広宣流布の最前線を照らし続けてくださっている。
 恩師が「広宣流布は女性の力で成し遂げられる」と予見された通りであった。
 創価の勝利は、母の勝利である。ゆえに一番、力の限り戦ってこられた母が、幸福の笑顔に輝く時代を創らねばならないのだ。
 5月3日は、「創価学会母の日」──。私たちは万感の感謝と、婦人部万歳を心から叫びたい。
 学会は「本因妙」の精神で進む。常に「いよいよ」「これから」である。
 男女青年部の君たちは、この健気な母の勇気と忍耐を継承してもらいたい。
 君のいるその場所で、勇気をもって戦いを起こせ!
 そこで心と心を結び、粘り強く連帯を広げよ!
 学会魂は、その一歩前進の生命に脈打つのだ。
        ◇
 ちょうど60年前の4月、戸田先生の会長就任の直前のことであった。
 フランスのパリで、人類の平和に希望の光を投げかける新たな歴史の扉が開かれた。
 「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」を創設するためのパリ条約が、フランス、ドイツ、イタリアなど6カ国の間で調印されたのである。
 このニュースが日本で報じられたのは、奇しくも、わが聖教新聞の誕生と同じ4月20日付であった。
 日本のマスコミではごく小さな扱いで、その遠大な意義は正しく理解されていなかったかもしれない。
 しかし、この条約こそが、今日の(欧州連合EU)」につながる明確な第一歩となったのだ。
 私が対談したクーデンホーフ=カレルギー伯ら多くの先人が願った如く、過去何百年もの間、凄惨な戦争の絶えぬ歴史に終止符を打つ、平和共存の“欧州統合”の夢が現実になっていったのである。

続ける、繰り返す
 この歴史については、英雄ナポレオンの子孫であるナポレオン公とも、私は語り合った。とくに経済人として、重大な変化の起点となった、ジャン・モネ氏(欧州石炭鉄鋼共同体の初代委員長)に光を当てた。
 モネ氏は言った。
 「物事の流れ」を変えるには、何よりもまず「人々の気持ちを変えなければならない」と。
 しかし言葉だけでは変わらない。彼は断言した。
 「現実にこれを変えるには、深くて実があり、即時の劇的行動が必要である」
 大胆にして具体的に的を射る行動──これである。
 そして「続ける、繰り返す」──モネ氏は自身の労苦の人生を貫く行動原理を、こう要約している。
 含蓄深い哲学である。
 行動を起こしたら続けることだ。何度でも繰り返し、あきらめず徹して挑み抜いていくことだ。歴史上、この単純にして確固たる信念を持たずに、偉大な事業が成されたことは何一つとしてないだろう。
 戸田先生は会長就任式で、「広宣流布」という民衆平和の大事業の遂行を、大空に翻る大旗のように明確に掲げられた。
 すなわち、広宣流布は「一対一の膝づめの対話」で成し遂げられると訴えられたのである。
 どこまでも目の前の一人と向き合い、誠実な、親身な、粘り強い対話を積み重ねていくことだ。
 「続ける、繰り返す」──そこに広宣流布の王道もある。
 私も、あの恩師の会長就任式に、折伏を実らせて臨んだ。そして師匠の誓願に呼応して、さらに勇躍、友人との仏法対話を広げていった。
 躊躇していれば、何も変わらない。
 「善事を行ふに遠慮は無用」とは、東北出身で、ジャン・モネ氏と一緒に国際連盟の事務局次長として貢献した新渡戸稲造博士の信条であった。
 さあ、対話だ。
 友と会うのだ。
 友と語るのだ。
 友を励ますのだ!

心の「絆」を強く!
 ナポレオン公が、創価の“お正月”である5月3日を祝賀して、わざわざ八王子市の東京牧口記念会館へお越しくださったのは、5年前のことであった。
 「英雄ナポレオンの残した言葉で、好きなものは?」と尋ねると、「共和」を挙げられた。
 「共和」とは、「人と人とのつながり」という意味であり、「私たちが毎日の生活のなかで、築き上げることができるものです」と明快に語っておられた。
 その着眼の上から、ナポレオン公は、創価の民衆運動を「21世紀の人類の希望」と讃えてくださり、その世界的発展を支えるのは、「真剣な女性の方々の連帯」であると讃嘆してくださったのである。
 「人と人とのつながり」を強め、近隣へ、地域へ、社会へ、人間の共和を広げていくことだ。
 それは、最も地味でありながら、歴史の英雄たちも果たし得なかった偉業なのである。
 そして、この心の絆の拡大と深化こそ、今、最も重要な人類の課題の一つであるといっても、決して過言ではあるまい。
        ◇
 御義口伝には、不軽菩薩の行動を釈され「南無妙法蓮華経の廿四字に足立《あした》て無明の上慢の四衆を拝するは薀在衆生《うんざいしゅじょう》の仏性を礼拝するなり」(御書768?)と仰せである。
 たとえ非難中傷の杖木瓦石を浴びせられても、不軽菩薩は恐れない。その信念の行動は揺るがない。
 なぜならば、“二十四文字の法華経”──すべての人が菩薩道を修行して必ず成仏する尊き存在であるとの大地に、厳然と自身の「足で立って」いるからだ。
 人びとの胸中に眠る無限の善の可能性を信じて、粘り強く対話するために、自らの足で行動し抜いているからだ。
 広宣流布のため、人びとの幸福のため、社会の安寧のため、私たちは、身口意の三業をもって妙法を如説修行しているのだ。わが足で郷土を地道に動きに動き、誠実に、勇敢に、正義と真実を語りに語る、偉大な民衆たちよ!
 それは“東京の王者”と讃えられる、わが足立区の同志の勇姿そのものだ。
 アメリカの人権の指導者キング博士は、決意を固めた民衆の強さを讃えた。
 「われわれの強力な武器は、正しい目標に向かって休みなく歩み続ける、団結した、献身的な人々の声と足と身体だ」
        ◇
 第3代会長に就任する、昭和35年の5月3日の朝7時、私は快晴の青空を仰ぎつつ一首を詠んだ。

 決然と
  我は立ちなむ
   会長と
  創価と広布に
    生命《いにち》 捧げて

 大事に執務室に留めてきた誓願の歌である。
 それから19年後、私は会長を辞任した。しかし、第3代会長として、「創価と広布」に捧げた生命は、一段と燃え盛っていた。

広宣流布の夢へ 合言葉は「前進!」

「共戦」に魂込めて
 昭和54年の5月3日、私は八王子市の創価大学から、海の見える神奈川文化会館に走った。その晩、私は無量の思いを筆に託し、一気呵成に揮毫した。
 「共戦」──。
 脇書には「生涯にわたりわれ広布を 不動の心にて決意あり 真実の同志あるを信じつつ 合掌」と。
 この「共戦」は法華経第5の巻に見える言葉でもある(安楽行品第14)。
 ──仏の弟子たる賢聖の諸将が煩悩魔や死魔などあらゆる魔に立ち向かって共戦し、大功勲《くくん》を挙げた。その弟子たちの英雄的な戦いを見た仏は、大いに歓喜されて、法華経を、今こそ説かれるのである──と。
 ここでは、魔の働きに対して戦うことを「共戦」と記されている。
 「共」の字の意味は深い。
 御義口伝には、「共《ぐ》の一字は日蓮に共《ぐ》する時は宝処に至る可し不共《ふぐ》ならば阿鼻大城に堕つ可し」(同734?)と仰せである。
 「共」とは師弟不二であり、師弟勝利の大道なのだ。師匠と弟子が心を一つにして戦う「共戦」があるか否か。師弟の生命が共戦ならば、そこに「万人成仏」の法華経の魂が脈々と流れ通うということだ。
        ◇
 この日、神奈川文化会館に到着した私に、全国紙に掲載された意識調査の結果を教えてくれた人がいた。「尊敬する人物」の問いで、存命する民間人の筆頭として私の名前が挙げられているというのである。
 理不尽な迫害の嵐のなか、わが友が応援してくださっているようで、本当に有り難かった。
 不思議にも、この烈風の5月3日、世間の風評など歯牙にもかけず、「学会は正しい」と、自らの信念で入会した青年たちも少なくなかった。その後も、立派に成長してくれている。
 ともあれ、いかに嫉妬と邪智の陰謀があろうとも、創価の絆を分断することは絶対にできなかった。

師弟の「宝剣」あり
 先日、関西での本部幹部会でも紹介された通り、昭和54年の私の会長辞任前から三十余星霜、ひと月も欠かさず、聖教新聞の拡大を続けてくださった偉大な常勝の母もおられる。
 5月3日は永遠に、師弟共戦の誓いの記念日だ。
 法華経の化城喩品では、大衆と共に険難悪路を旅する指導者が、聡明に皆の英気を養って、呼びかける。
 「汝等《なんだち》は当《まさ》に前進《すす》むべし」
 我らの合言葉もまた、
 「前進!」である。
 大聖人は言われた。
 「木はしづかならんと思へども風やまず・春を留《とどめ》んと思へども夏となる」(同1241?)
 万物は進む。広宣流布の前進も、瞬時も立ち止まらない。平和と幸福を願う民衆が待っているからだ。
 新たな大生命力を滾々と湧き立たせ、師弟共戦の誓いを燃え滾《たぎ》らせて、さあ、勢いよく前進だ!

 我らには
  五月三日の
    宝剣《つるぎ》あり
  剣より偉大な
   師弟の太刀《たち》かな

2011年5月3日

 ──わが親愛なる同志のご多幸を祈りつつ。そして大震災の苦難と戦う、尊き勇者の勝利を信じて。

 リムスキー=コルサコフは園部四郎訳「歌えやひばりよ」 『世界大音楽全集 ロシア歌曲集』所収(音楽之友社)。白鳥省吾は『民衆派詩人 白鳥省吾の詩とその生涯』築館町教育委員会・白鳥省吾集編集委員会編(築館町)。モネは『ジャン・モネ回想録』近藤健彦訳(〈財〉日本関税協会)。新渡戸稲造は『新渡戸稲造全集8』(教文館)。キングはミラー著『マーチン・ルーサー・キングの生涯』高橋正訳(角川書店)。