No.65

輝け「青年学会」の旭日

師弟不二の若き友よ 歴史を創れ!

強き自分へ! 皆が大成長の一年に


 「晴れやかな顔を上げよ、
 青年よ、きみがいま立っているところで。
 かがやくばかりに美しい
 きみの優雅な姿を示せ」
 フィリピン独立の英雄ホセ・リサールが、18歳の燃える魂で詠い上げた詩である。青年は青年であることだけで美しい。何の虚飾も、何の体裁もいらない。
 リサール青年は叫んだ。
 「おお青年よ、そこで重い鎖を破り 縛《いましめ》を解け。
 きみの精神を妨げるものはないのだ」
 いかなる悪世の鉄鎖も、宿命の束縛も断ち切って、若き無限の力を発揮する。その魂の宝剣こそが、正しき哲学なのである。
 今、創価の青年群が決然と立ち上がり、希望の旭日となって、人類の新時代を鮮烈に照らし始めた。
 現在、私は、フィリピンの教育界を代表するアブエバ博士と、青年に託しゆく「共生の世紀」を見つめ、新たな対談を進めている。博士も、創価の若き世界市民たちに、英雄リサールの精神の輝きを見出してくださっている一人である。
        ◇
 「青年学会 拡大の年」が開幕した。何と瑞々しい、心躍るテーマであろうか。創価の師弟の精神を壮大に広げ、万代までも刻みゆく一年の出発だ。
 広宣流布の実戦の中でこそ、人材は見出され、逸材は台頭してくる。原石の如き若き命を磨き、ダイヤの如く光り輝かせゆくのが、学会活動の偉大さでる。
 私は84歳を迎える。60歳で「還暦」すなわち「年が還る」ことを踏まえれば、「第2の24歳」のスタートとなる。
 60年前の2月、24歳の私は、新たな広宣の拡大へ、奮然と打って出た。
 当時、各支部では、月に100世帯の折伏が精一杯で、それが壁になっていた。
 師・戸田城聖先生が宣言された75万世帯の達成への道のりは、あまりに遠い。誰かが壁を破らなければならなかったのだ。
 御書には、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」「師弟相違せばなに事も成《なす》べからず」(御書900?)と仰せである。
 「師弟」という一点に徹し抜く時、いかなる壁も打ち破る力が生まれる。
 「師恩にお応えしてみせる」「師匠に喜んでいただくのだ」──私はこの一心で、蒲田支部支部幹事として指揮を執り、一支部で月に201世帯という過去最高の弘教を成し遂げた。
 皆、貧しく、誰もが多くの悩みを抱えていた。しかし、創価の師弟に連なり、崇高な地涌の菩薩と生まれ変わって、折伏行に邁進してくれたのである。功徳の花も爛漫と咲き薫った。
 これが、全学会の前進の突破口を開いた、誉れの「二月闘争」である。まさに「青年学会拡大」の原点といっでもよい。
 私の心には今も“24歳の青年”の大情熱が燃え盛っている。青年と共に、青年の心で壁を破り、広布拡大に生き抜くのが、青年学会の永遠の伝統である。

張り切って進もう
 「従藍而青」──青は藍より出でて、而も藍より青し
 弟子は師匠以上に立派に育ちゆけとの意義である。
 日蓮大聖人が南条時光の母に送られた御聖訓には、「法華経はあいのごとし修行のふか(深)きは・いよいよあを(青)きがごとし」(御書1505?)とも綴られている。
 去年よりも今年、昨日よりも今日と、まず自分自身が、いよいよ生き生きと、いよいよ張り切って前進する──これが、妙法流布のリーダーの証しである。
 「たえず変化し、新しくなり、若返り、停滞しないようにするのが人間じゃないか」と、大文豪ゲーテは言い切った。“成長し続ける人”を「青年」と呼ぶのだ。
 「もし人、年をとりたくなかったならば よろしく大いに鵬大なる理想をいだくべきである」──本年、生誕150周年を迎える、東北の偉人・新渡戸稲造博士も、こう言っている。
 広宣流布という最高無上の理想へ向け、一日一日の着実な成長が、何より大切である。その一歩一歩が、黄金の足跡と輝くのだ。
 戸田先生は語られた。
 「理想は天下国家を救うにあり、身近なものは足もとを固めていく──こういう生活をする立派な青年であってほしい」

自他共の幸福を!
 今夏、ロンドン五輪が開催されるイギリスでも、わが友の活躍は目覚ましい。
 ロンドンといえば、偉大な歴史家トインビー博士のご自宅に伺い、1年越しの対談を開始したのは40年前の1972年であった。対話が“人間精神の進歩”に及ぶと、博士は力説された。
 「(人間にとって)最も重要な課題は、自らのカルマ(業)をどう好転させるかということです。そのための唯一の方法は、自己超克への努力を増すことです」
 人間は、今の自分自身を乗り越えて、より強い自分へ、何ものにも負けない自身へと必ず成長できる。
 だからこそ、不断の自己鍛錬が大切なのだ。胸中に揺るがぬ「心の師」を抱いて、試練に挑むのだ。
 大聖人は「今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同1022?)と仰せである。
 自行化他の実践に徹して、わが人生も、友の人生も、願い通りに未来を開いていく──これが、一貫して変わらぬ創価の哲学であり、幸福への歩みである。
 60年前に私が広布の第一歩を印した関西でも、唱題と折伏を貫き通した同志は皆、見事な境涯革命を成し遂げていった。
 あの大震災の被災地や避難地域でも、日頃、地道に友に尽くしてきた同志が、誠実一路に“福光”の先駆となって、信頼を広げておられる。「変毒為薬」の模範の実証がここにある。
 心が強く朗らかであることは、幸福と勝利の条件である。自分のみならず、周囲の人をも護っていける。それは、一歩深くいえば、信心が強いということだ。
 この「自他共の心を強く朗らかにする」哲学を持ち、「自他共の幸福を築く生き方」を、我らは世界に広げているのだ。地涌の使命は何と誇り高く、何と希望に満ちていることか!
 学会は永遠に「御書根本」で進む。
 大聖人の思想と闘争の精髄が刻まれた「御義口伝」を、学生部代表と研鑽した日々も懐かしい。
 「心無所畏《しんむしょい》とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり」(同765?)と仰せだ。折伏精神に燃えた「心に畏るる所無し」の若鷲を、必ず鍛錬すると決意していた。以来50年。わが学生部の智勇の飛翔は頼もしい。

若さに不可能なし
 未来への鋭い見識をもって青年を大事にした先人の一人に、大阪出身の歌人与謝野晶子がいる。
 有名な一首に──
 「地はひとつ 大白蓮の花と見ぬ 雪のなかより 日ののぼる時」
 一面の雪原に旭日が昇った時、大地がまるで大輪の白蓮の花のように輝いている様子が詠われている。社会や地域に「幸の光」を送る、華陽の乙女の姿を彷彿とさせる。
 与謝野晶子は「『若さ』の前に不可能も無ければ、陰翳も無い、それは一切を突破する力であり、一切を明るくする太陽である」との名言も残している。
 その通りだ。学会においても、はつらつたる信強き女子部が「一切を明るくする太陽」であり、また、師子王たる男子部が「一切を突破する力」である。
        ◇
 先日、NASA(米航空宇宙局)の宇宙望遠鏡ケプラーが、生命誕生の可能性がある気温の惑星や、地球サイズの惑星を確認したことが報道されていた。
 「この大宇宙には、地球のような星が幾つもある。私は、その星の広宣流布のために働かなければいけないんだ。地球の広布は、わが弟子に任すよ」と呵々大笑されていた恩師の笑顔が思い起こされる。
 遠大な地球の広宣流布のために、いよいよ、青年が思う存分に無限の力を発揮する好機到来である。飛躍的に拡大すべき本年だ。
 その青年を皆で励まし、育てていきたい。
 わが地域の伸びゆく青年に接し、先輩たちも力を伸ばし、仲間を広げ、味方を
つくり、皆が威光勢力を増していっていただきたい。
 今年は辰年──。この「辰」は、時刻でいえば「午前八時」に当たる。また「夜明け」や「スクスク伸びる」意義もある。旭日の如き青年の息吹に通じる。
 私も「辰年」の生まれである。いよいよ思索を重ね、先手を打ち、厳然と指揮を執っていく決意だ。
 わが同志よ、後継の青年たちよ! 全員が偉大なる地涌の正義の旗を掲げ抜いていってくれ給え!
 現実社会は厳しくとも、仏にも匹敵する勇気と智慧で、人生を切り開いていってくれ給え!
 日本中、世界中の同志と共に、胸張り、楽しく、朗らかに、異体同心の前進を開始しよう!

 リサールの言葉は『ホセ・リサールと日本』所収の詩、加瀬正治郎訳(アポロン社)。ゲーテはフリーデンタール著『ゲーテー──その生涯と時代』平野雅史・森良文・小松原千里・三木正之訳(講談社)。新渡戸稲造は『自警録』(講談社)。与謝野晶子は『與謝野晶子全集』(文泉堂出版)の第1巻、及び第13巻。