新しき熱と力を!


さあ!「青年学会 勝利の年」へ
無限の可能性を信じ一人立て!



常勝の 波を起こせよ 君が指揮

 新たなる
  歴史を開けや
       青春道

 満々たる「ニューパワー(新しき力)」をみなぎらせながら、新たな「創価」の大前進は始まった。
 先月、世界の言論界の闘士である国際通信社IPSのサビオ名誉会長も、創価の青年に温かく語りかけてくださった。
 「皆さんの行動次第で、新しい社会が生まれてくるのです。皆さんが今の社会を変革し、ぜひ、新しいアイデアで、新しい世界を創り上げていただきたい。これが私の夢です」と。
 「創価」すなわち「価値創造」しゆく青年力こそ、人類の希望なのだ。
 2012年「青年学会 拡大の年」から
 2013年「青年学会 勝利の年」へ──。
 学会は、いやまして青年力の勢いを増し、異体同心の創価家族の連帯で、断固と勝ち進んでいくのだ。
 「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書1165?)である。
 私も、今のヤング男子部の友と同じ年代の時、恩師の事業難を懸命に打開する戦いの中で、この御聖訓を拝して、日記に綴った。
 「今月も、自分に勝ち、境遇に勝ち、社会への前進の勝利をしるしたい」と。
 試練の烈風に向かって「自身に勝つ」青年が一切の勝利を開くのだ。

“華陽”の青春乱舞
 日蓮大聖人は、南条時光のお母さんに、こう語りかけておられる。
 「此の経を持《たも》つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る」(同1580ページ)と。
 仏法の広大無辺の慈悲の世界には、いささかの差別もなければ、一人の例外もない。誰人たりとも、必ず幸福の境涯を開き、わが生命を妙法蓮華の当体と咲き薫らせていくことができる。
 今、フレッシュな華陽リーダーたちが、若い世代に友情を広げ、仏縁を結んでいることが、いかに素晴らしいか。
 「女子は門をひら(開)く」(同1566ページ)と仰せの通り、一人の妙法受持の乙女から、友人にも、家族にも、地域にも、社会にも、そして未来にも、どれだけ希望と歓喜の門が開かれるか、計り知れない。
 日本全国、さらに全世界からの華陽の乙女たちの健気な報告に、私も妻も、心を弾ませる毎日である。
 現実は、思うようにいかないことも、落胆するようなことも多いに違いない。
 しかし、女性の門下への御書に「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(1403ページ)とあるように、題目を唱える生命は、どんな悩みにも、どんな行き詰まりにも、もはや絶対に負けない光を帯びているのだ。
 信仰とは、無限の希望である。ゆえに、何があっても、華陽のスクラムは仲良く賢く励まし合い、明るく朗らかに歌声を響かせながら、思う存分に青春を乱舞していただきたい。
        ◇
 アメリカの人道の母エレノア・ルーズべルト夫人が、「新しいフロンティア(開拓最前線)」は「人間の精神」なりと意義づけ、訴えていたことがある。
 「私たちは、自分自身の心の中にある光りがあかあかと消すことのできない炎をもって燃えるのでなければ、他の人たちの心に永続する光りを投じることは、できないのである」
 どこか遠くではない。青年自身の胸中にこそ、いまだ開拓されていない、豊穣な精神の大地がある。無尽蔵にして持続可能な生命のエネルギーが眠っている。
 その内なるフロンティアに挑み、生命の宝蔵を開け放っていくことは、21世紀の青年たちに託された壮大な冒険といってよい。
 妙法とは、「生死の闇」を照らし晴らすとともに、「煩悩の薪」を焼いて幸福前進の力に転じゆく究極の智慧の炎である。
 若くして、この哲理の炎を抱いた創価の青年が、鮮烈な生命の大光をもって、人びとの心を照らし、一次代の新天地まで映し出していくのだ。
 わが東北の誉れの同志も、希望の開拓を勇敢に忍耐強く進めてくれている。
 先日、私と妻の大切な友人で、アメリカ・エマソン協会の会長を務められたサーラ・ワイダー博士(コルゲート大学教授)が、東北の被災地を訪ねられた。
 昨年の東日本大震災の折、真っ先に、お見舞いの励ましを送ってくださった博士である。博士は、被災した女性たちと膝詰めで懇談され、語られていた。
 「東北の皆様は詩人です。何と力強い言葉を話されるのでしょうか。本来ならば、激励を受ける立場の皆様が一番、人びとを励ましています。『心の財』を持たれる東北の皆様こそ、“世界の財”です」と。

「極限」への挑戦
 このたび日本の「第54次南極地域観測隊」の夏隊員として、わが創価大学工学部の黒沢則夫教授が参加されることになった。
 思えば、東北・秋田出身の白瀬矗《のぶ》中尉が、当初の北極踏破の夢を転じて、日本人の探検隊として初めて南極に挑み、南緯80度5分の地点(大和《やまと》雪原《ゆきはら》と命名)まで進んだのは、1912年1月のことであった。
 百瀬隊の偉業から100年に当たる本年、日本の観測隊は11月に出発し、その後、オーストラリアから観測船「しらせ」で南極に向かう予定である。
 実り多き観測を、私たちも心から祈りたい。
        ◇
 さて、昨年(2011年)は、北欧ノルウェーアムンゼン探検隊による、「南極点への人類初到達」(1911年12月14日)から100周年──。
 このアムンゼンが最初に目指していたのも、実は「南極点」ではなく、正反対の「北極点」であった。
 ところが、準備に取り組む最中に、アメリカの探検家による北極点到達のニュースが飛び込んできた。
 それまで入念に計画を練り、多くの人びとの支援を仰ぎながら、準備を積み上げてきた“北極一番乗り”の目標が、一瞬にして消えてしまったのである。
 だが、アムンゼンは右往左往も、意気消沈も、しなかった。即座に北から南へ、180度、方向を転じて、一段と戦う魂を燃え上がらせたのだ。
 まず南極点を踏破し、しかるのち北極点を目指す──最終目的は同じだが、さらに遠大な計画に拡大したのである。
 実際、彼は南極点到達の15年後に、飛行船で北極海横断の探検に挑戦した。そして見事“南北両極点到達”の夢を実現している。

誓願に生き抜け
 たとえ、途中で環境や条件の変化があっても、めげるどころか、ぱっと頭を切り換え、新たなチャレンジに、それまで以上の勢いでぶつかっていく。
 自ら定めた「誓願」だけは揺らいだりしない。断じて勝ってみせるという「闘魂」は、いよいよ燃え上がらせていく。
 本来、青年の若さとは、何ものにも屈しない逞しい生命のバネを持っている。
 「新たな課題に挑みゆく勇気」そして「眼前の壁を突破する力」こそ、我ら創価の青年の師子の魂だ。
 ここに、威風堂々と「青年学会の勝利」を開く原動力がある。
 大聖人は、「大願とは法華弘通なり」(御書736ページ)と仰せである。
 我らは、との大誓願の道をまっしぐらに進む。
        ◇
 アムンゼンを生んだノルウェーを私が初訪問したのは、1964年(昭和39年)の10月であった。
 当時、ノルウェー創価の同志は、若き地区部長夫妻を含めて3人しかいなかった。おそらく“世界最小の地区”であっただろう。
 地区の誕生から1年9カ月──遅々として弘教の進まぬ現実に、地区部長の青年は悪戦苦闘していた。
 仏法に縁のなかった社会で、理解を広げることが、どんなに困難なことか。
 だが、広宣流布という希望の大航海は、どこまでも眼前の一人を真剣に励まし、本物の人材に育てていく以外にない。そこから、必ず「二人・三人・百人と次第に」流布していくことが、未来永遠に変わらざる「地涌の義」である(同1360ページ)。
 私は、地区部長の青年に真心込めて語った。
 「あなたは、このノルウェーの地で、人生の幸福の大輪を咲かせていってください。それぞれの国で、誰か一人が立ち上がれば、幸福の波が広がっていきます。あなたが立てばいいんです」
 半世紀が経った現在、ノルウェーSGIの地涌の陣列は、和楽と福徳の「本部」へ発展し、多くの力ある人材が躍り出ている。
 あの青年地区部長も、ノルウェー社会に根を張り、和食レストランの事業など、立派な信頼と勝利の実証を示されてきた。
 一切は「一人立つ」ことから始まる。一人であっても、人間は実に豊富な力を秘めている。その無限の可能性を信じ、自らが一人立つ。そして、一人また一人と誠実に善きつながりを結んでいくことだ。
 そこに、広宣流布と立正安国へ、新たな勝利の波が生まれることを忘れまい。

 常勝の
  波を起こせよ
   君が指揮

 ルーズベルトの言葉は『エリノア・ルーズヴェルト自叙伝』坂西志保訳(時事通信社)。アムンゼンに関しては『南極点征服』谷口善也訳(中央公論新社)、『南極点』中田修訳(朝日新聞社)などを参照。

前進! 広布の大航海へ敢然と
努力・執念・団結で未来を開け

青年部 ありて師弟は 勝利かな

 悠然と
  平和の大海
   晴れやかに
  勝利の人生
    この船 楽しく

 若き日の読書は、心の冒険である。知性の大海原へ心躍る探求の航海に船出していくことだ。
 わが未来部の英才たちが、活発に良書に取り組みながら、成長している姿が、何よりも嬉しい。

壮大なロマンの旅
 南極点初到達を成し遂げたノルウェーアムンゼンが、探検家を志す動機となったのも、少年時代に読んだ極地探検記であった。
 さらに16歳のアムンゼンは、“グリーンランド横断”を成功させた、祖国の極地探検の先駆者ナンセンの雄姿を目撃した。
 偉大な先達の存在が青年の夢を鼓舞したのだ。その後もナンセンは、若きアムンゼンを激励し続けた。
 偉業の陰には、真心の励ましがある。
 伸びゆく創価の若き命に、慈父の如く、悲母の如く、温かなエールを送ってくださる壮年部・婦人部の皆様方に感謝は尽きない。
 アムンゼンが南極探検に用いたフラム号は、ナンセンが北極海で使ったのを最初として、既に2度の極地探検を重ねた船であった。
 かつて師匠が冒険に挑んだ船を弟子が引き継ぎ、その3度目の探検となる、新たな夢の海へ乗り出したのだ。なんと壮大なる師弟のロマンの旅ではないか。
 ノルウェー語の「フラム」とは、「前へ」──「前進」という意味である。
 まさに、その名の如く、未踏の地へ「前進、前進!」と進み続けたのである。
 私も、ノルウェー訪問の折、このフラム号を間近に仰ぎ見た。
 首都オスロ市にある「フラム号博物館」に展示された名高い船は、幾多の激戦を勝ち越えてきた偉大な老将軍のようであった。
        ◇
 わが誇りの「波涛会」(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)のキャプテンたちも、雄々しく奮闘してくれている。
 25年前、低迷する海運業界に希望の光を送ろうと開始した“海の男の写真展”も、英国ロンドンの国際海事機関の本部をはじめ、世界14カ国で1000回以上の開催を重ねてきた。
 持続は力である。
 今年も、原点の地・横浜市山下公園で、伝統の写真展「波涛を越えて」が盛大に行われた。地元の神奈川の友も、また、研修で来日中のSGI(創価学会インタナショナル)の友も、雄大な作品を前に心広々と語らいを弾ませた。
 また開催期間中、多くの市民の方々が鑑賞され、波涛会のメンバーは颯爽と心の交流を結んだのである。

創価の大船《たいせん》は進む
 日蓮大聖人は、「此の経を一文一句なりとも聴聞して神《たましい》にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(御書1448?)と仰せになられた。
 「生老病死」の苦悩が渦巻く現実社会にあって、「常楽我浄」という幸福と平和の航路を、自他共に切り開いていくのが、私たちの対話運動である。
 時代の荒波が高ければ高いほど、我ら創価の大船は、いやまして堂々と悠々と邁進していくのだ。
 ノルウェーの国民詩人ビョルンソンは綴っている。
 「開拓者に勇気があればあるほど、続くものは多くなる」
 勇気の青年こそ、新航路に挑みゆく開拓者だ。止まることを知らぬ、誇り高き「前進号」なのである。
        ◇
 アムンゼンとその同志たちは、金石《きんせき》のような堅固な意志で、南極点踏破の夢を引き寄せるための万全の準備を整えた。
 「強い意志こそ、目的達成には不可欠のもの」とは、若き日からの彼の確信であった。その「意志」とは、平凡な日常の中で、目的遂行のための必要なあらゆる努力と準備を、正確な時計のように着々と進める真剣な執念といってよい。
 「相構て相構て心を翻へさず」(御書1528ページ)
 これは、青年門下の南条時光への御聖訓である。
 その時々の気分で変わるものは、意志ではない。ましてや誓願ではない。
 何があろうが、一歩また一歩と挑戦し続ける信念こそ、大事を成就する要諦である。

あとは一致協力だ
 アムンゼンは語った。
 「基礎が確固として置かれた。あとはただ『一致協力』があればよかった」
 準備の次は、チームの「団結」が最も重要だというのである。
 「われわれは団結することによってこんなに遠くまでくることができた」
 私たちの胸に迫る、大探検家の感慨である。
 学会の大発展も、世界広布の夢も、師弟不二と異体同心の団結によって、初めて現実のものとなった。
 恩師・戸田城聖先生が、男子部の人材グループ・水滸会と共に、東京・奥多摩の氷川で行《おこな》ってくださった最初の野外研修の折のことである(昭和29年)。
 騎馬戦の際には、先生は身を乗り出して熱心に観戦され、だんだん勝ち残りの騎馬が絞られていくのをご覧になりながら、一言、鋭く言い放たれた。
 「よく見ていなさい。どんな戦いでも、団結した方が勝つよ」
 団結即勝利──これが、万般に通ずる真理である。
 愛するアフリカの同志が鮮烈に示してくれている通り、「イタイドウシン(異体同心)!」即「ビクトワール(勝利)!」なのだ。
 わが創価の青年部は、この勝利の大道を愉快に聡明に走り抜いてもらいたい。
      ◇
 先日、ロシア連邦サハ共和国から、来日中のガブィシェヴァ副首相、また、首都ヤクーツク市のニコラエフ市長のご一行が、民音文化センターにお越しくださった。
 気温が冬はマイナス60度、夏は40度という厳しい自然環境にも負けない、強く豊かな人間性あふれる文化と教育の大国である。
 私たちも、深い交流を結ばせていただいてきた。
 1999年の3月、ヴラーソフ首相(当時)を聖教新聞社にお迎えした際には、首相がかつて「立正安国論」を手にし、読まれていたことが話題になった。
 首相は、その感想をこう語ってくださった。
 「ずっと昔に書かれた書であるのに、そこに記された、国を安穏にするための理論的結論は、今の私たちの国づくりに、まさに当てはまるものです」
 胸に染み入るようなその言葉を、私は今もって忘れることができない。
 命に及ぶ大難をも覚悟の上で、大聖人が「但《ただ》偏《ひとえ》に国の為 法の為 人の為にして身の為に之を申さず」(御書35ページ)と、苦しむ民衆のために尽くし抜かれた「立正安国」の大精神──それは、21世紀の世界を照らす希望の光源であると、私たちは確信している。
      ◇
 わが青春
  一生涯の
    幸福の
  土台なるかと
    明るく生き抜け

 人生自体が“未知への探検”の連続である。
 思いもよらぬ嵐に襲われる時もある。だが、その苦闘の中にこそ、大いなる勝利への突破口が秘められている。
 目標を見失わない限り、無駄な日は一日たりともない。日々、価値ある黄金の一日となり、希望がわき、成長もできるのだ。
 先般、南米ペルーの女子学生部員が、若者の幸福観をテーマにアンケートを実施した。その調査結果は、「日蓮仏法を実践する青年が、幸福で有意義な青春を送っている」ことを示すものであったという。彼女の真摯な研究は、優秀論文の表彰も受けたと報告が寄せられている。
 この乙女は、ペルー全土で行われている平和展示、環境展示の企画・運営を担う、学生部のグループの中心者の一人でもある。
 正しき哲学の光を、縁する同世代の友の胸中に注ぐのだ。平和と幸福の世紀を共に創ろうと、誠実に呼びかけていくのだ。
 大文豪ゲーテは歌った。
 「決心して、まずできそうなことを敢然と、
 たぶさ(=前髪)をとってひっ摑《つか》まえるんです。
 そうすれば、決心した以上手離すことじゃない、
 そして必然の勢、先へ仕事をすすめることになる」

君らが民衆の希望
 55年前(昭和32年)の秋、戸田先生は大阪市内で行われた西日本体育大会に出席された。私も、青年部の室長として、運営の全責任を担った。
 席上、戸田先生は、生き生きと躍動する青年の雄姿を、それはそれは喜ばれ、「日本の民衆」「東洋の民衆」に平和を贈りゆくのは、創価の青年であることを宣言された。
 なればこそ、「世界の民衆」のために、若人のさらなる成長を強く望まれてやまなかったのである。
 「願わくは、教学に、信心に、自分の職業に、いまの熱と力をこめて、りっぱな青年になってもらいたいと思う」
 人びとの心を温め、社会を前進させる若き「熱」と「力」は、まぎれもなく今も青年のものだ。君たちこそ民衆の希望なのである。
 ゆえに、青年を先頭に、青年と共に、我ら創価青年学会は新たな広宣流布への大航海に躍り出るのだ。
 さあ、新時代の大海へ!
 君たち、貴女たちの熱と力で、勇気と智慧で、新たなる希望の夜明けを開こうではないか!

 青年部
  ありて師弟は
      勝利かな

 ビョルンソンの言葉は『ノーベル賞文学全集19』所収「人の力を超えるもの」毛利三彌訳(主婦の友社)。アムンゼンは、最初がエドワール・カリック著『アムンゼン』新関岳雄・松谷健二訳(白水社)、2番目は『南極点』中田修訳(朝日新聞社)、3番目は『南極点征服』谷口善也訳(中央公論新社)。ゲーテは『ファウスト』相良守峯訳(岩波書店)。