/93 師子の誉れ「7・3」



 遠大なる人類の目的のために、仏法はある。

 何ゆえか満たされぬ生命を、悔いなき、満足しきった完成に向かって昇華させゆくために、信仰はある。

 それゆえに、私たちは、長く、あまりにも長く、広宣流布のために、戦わねばならない。

 一歩も後退できない。

 悲痛の人生の運命を変えゆくために!

 時代の闇を破り、天晴れたる七月三日!

 一九四五年(昭和二十年)のその日は、戦時中、軍部政府の弾圧と戦った、戸田城聖先生が出獄され、広宣流布に一人立たれた日である。

 それから十二年後(一九五七年)の、同じ七月三日、私も”師子”として、誉れある法難に連なったのである。

 千歳空港から大阪に向けて飛び立った私は、途中、乗り継ぎのために、羽田空港に降りた。

 空港の待合室には、戸田先生が待っておられた。大阪府警に出頭する私のために、衰弱した体で、わざわざ空港までおいでくださったのである。

 戦時下の獄中闘争で、牢獄がどのような場所か、知悉されていた先生は、病弱な私の体を心配された。私の肩に伸びた先生の手に、力がこもった。

 「死んではならんぞ。大作、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」

 深く、尊き師の慈愛に、私は高鳴る心臓の鼓動を抑えることができなかった。

 夕刻、私は自ら、真実と虚偽とを明確にするために、決意の極まる心をもって、大阪府警に出頭した。

 そして午後七時、待ち受けていたかのように、逮捕、投獄されたのである。戸田先生の出獄と、ほぼ同日同時刻であった。

 妙法とは、なんと不思議なる法則か。悲嘆の心は、豁然と開かれ、喜悦へと変わった。

 時に、私は二十九歳――。

 私の逮捕は、全くの冤罪であった。参院大阪地方区の補欠選挙(同年四月)で、最高責任者の私が、買収等の選挙違反を指示したという容疑である。

 熱心さのあまり、戸別訪問をしてしまい、逮捕された会員がいたことに、私は胸を痛めていたが、買収など、私とは全く関係のないことであった。

 だが、新聞各紙には「池田渉外部長を逮捕」の見出しが躍り、「創価学会の”電撃作戦”といわれる選挙違反に重要な役割を果していた疑い」などと、盛んに書き立てられた。

 当時、マスコミは、当局の意向をそのまま反映し、選挙違反は、学会の組織的犯行であり、学会は、反社会的団体であるかのようなイメージを流していったのである。

 勾留中、関西の友には、特に、多大なご心配をおかけした。一目、私に会いたいと、炎天下に、何時間も立っていらした方々もいたと伺った。

 申し訳ない限りである。

 当局は、逮捕した会員たちを脅し上げ、選挙違反は、ことごとく、私の指示であったとする虚偽の供述をさせ、罪を捏造していった。

 私への取り調べは、過酷を極めた。夕食も抜きで、深夜まで責め立てられたこともあった。手錠をかけられたまま、屋外に連れ出され、さらしもののようにされたこともあった。

 獄中で、私は御書を拝した。本も読んだ。ユゴーは、私に、「戦え! 負けるな!」と、励ましと勇気を送ってくれた。

 そのユゴーは亡命十九年。インドのネルーも投獄九回、獄窓約九年に及んでいる。

 いわんや、大聖人を思え! 牧口先生を思え! 戸田先生を思え!

 私は、断じて屈しなかった。創価の誇りがあった。

 すると検事は、遂に、罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕すると、言い出した。脅迫にも等しい言辞である。

 私はよい。いかなる迫害にも耐える。しかし、先生のお体は衰弱の極みにある。再度の投獄ともなれば、死にもつながりかねなかった。

 私の苦悩が始まった。

 身に覚えのない罪など、認められるはずはない。だが、わが師まで冤罪で逮捕され、まして獄死するような事態は、絶対に避けなければならない。

 ”権力の魔性”の陰険さ、恐ろしさを肌身で感じつつ、眠れぬ夜を過ごした。

 そして、決断した。

 ”ひとたびは、罪を認めるしかない。そして、裁判の場で、必ず、無実を証明して、正義を満天下に示すことが賢明かもしれない”と。

 その日から私の、まことの人権闘争が、「正義は必ず勝つ」との大逆転のドラマが開始されるのだ。

 戸田先生は、七月の十二日には、蔵前の旧国技館で東京大会を開かれ、私の即時釈放を要求された。

 また、足もともおぼつかぬ憔悴したお体で、手摺にしがみつくようにして階段を上り、大阪地検にも抗議に行かれた。後にその話を聞き、師のありがたさに、私は涙した。

 広宣流布とは”権力の魔性”との壮絶なる闘争である。メロドラマのような、その場限りの、浅はかな感傷の世界では断じてない。

 大聖人は、大難の嵐のなか、「本より存知の上」(御書951p)と、厳然と仰せられた。

 私は、恩師・戸田先生の弟子である。もとより「革命は死なり」と覚悟してきた。

 広宣流布とは、殉難を恐れぬ創価の勇者によってのみ、成就される聖業といえるのだ。

 青年よ、民衆の勝利のために”師子”となって立ち上がれ!

 そして、友のために走れ!

 何ものも恐れるな!

 出よ! 幾万、幾十万のわが門下たちよ!

 時代のすべては、やがて移り変わる。

 花が乱れ咲く時もあろう。

 悪魔たちが正義を葬り去ろうとする狂気の時代もあろう。

 しかし、黄金の道をつくれ!

 歩め! 極善の一歩を踏み出すのだ!

 創価の宝である、師弟不二なる若き弟子たちよ!