全国最高協議会 6



退くな! 恐れるな! 最後の勝利を

創価は『皆を歓喜させる』世界
 一、妙法の世界は宇宙大である。あらゆる人を味方にし、平和と幸福の哲学
を教え、歓喜させる世界である。
 友に喜びを贈る。そのためにリーダーはいる。
 小さな自分の感情で、皆に嫌な思いをさせるのは、透徹した信心のリーダー
とはいえない。
 虚栄を捨てることだ。
 何ものをも恐れない、大きな境涯を、自分自身が開いていくのだ。
 学会は「信心の博士の城」だ。「哲学の実践者の学校」である。
 御本尊の前では特別な人間などいない。一人ひとりが平等に尊い
 権力者は民衆を見下し「烏合の衆」と言う。我らは誇りも高き「広宣流布
衆」である。
 皆が使命の人である。心合わせて前進したい。
 学会活動は、やった分だけ得である。大福運を積み、友を救い、人間革命し
ていける。祈りに祈り、一人ひとりを励ましながら、聡明に、勝って楽しく、
わが人生の歴史をつづっていきたい。

エマソン
  毅然と頭を上げよ! 至る所で真実を語れ

 一、アメリカ・ルネサンスの哲人、エマソンの言葉が私は好きだ。
 「毅然として頭を上げるがよい。私の生命は飾り物ではなく、それを生きる
ために与えられたのだ。私は至るところで真実を、まったき真実を語ることを、
自分の義務だと思う。私は、人々が私のことをどう思うかということでなく、
私の真の使命は何かということを真剣に考えなければならない」(北御門二郎
訳)
 人は人。自分は自分。頭を上げて、胸を張り、わが使命を毅然と果たしゆく
ことだ。

◎ラ・フォンテーヌ
  フランス学士院会員の詩人
     "権力者の愚行が諸悪の根源"

■「我々青年は!」
 一、人生は毎日が新しい出発である。
 私は先日、退職する方に「"去って去らず"の心で」と励ましを贈った。
 「一生、いな永遠に同志だ。一緒に戦おう!」――温かく声をかけながら、
ともに進みたい。
 年齢は重ねても、若々しく、広宣流布を目指す前進のリズムをつくってまい
りたい。
 人生に定年はない。
 信心に定年はない。
 広宣流布へ戦う心が、青年の証である。
 牧口先生は70歳を超えても、「われわれ青年は」と、弟子たちに呼びかけ
られた。
 人間の心は微妙だ。子どもも大きくなり、経済的にも安定した。そこそこに、
やっておけばいい――そういう心では、人生の最終章は立派に飾れない。
 戦う心を失えば、50歳でも"老人"だ。
 炎の心で前進する80歳の"青年"もいるのだ。
 広宣流布の戦いに遠慮など必要ない。自由自在に、生き生きと、生涯、創価
の同志とともに歩み抜いてまいりたい。
 一、かつて私は、フランス学士院から招請を受け、講演を行った。
 〈1989年6月14日、「東西における芸術と精神性」と題して〉
 知性の最高峰として名高い同学士院の会員に、詩人のラ・フォンテーヌがい
る。
 彼の有名な「寓話」に、こうあった。
 「いつの世にも庶民は苦しんできたのだ、おえらがたの愚劣な行ないのため
に」(今野一雄訳)
 権力者の愚かな行動。これこそ諸悪の根源だ。そのせいで、どれだけ民衆が
苦しんできたか。
 21世紀こそ、その転倒を正す時である。
 「寓話」には、こういう警句もあった。
 「他者を陥れんと考える者はしばしば己れ自身を陥れる」
 「恩知らずはみんな、いずれみじめな死に方をする」(同)
 嫉妬の人間、忘恩の人間は、自らの人生を破壊しているのである。
 人生、総仕上げが大事だ。ひとたび決めた、わが道を、生涯、走り抜くこと
だ。まずは2005年を目指して、敢然と、勝利の指揮をとっていただきたい。

■難を乗り越えよ
 一、日蓮大聖人は、流罪された佐渡で、弟子たちに厳しく仰せである。
 「日蓮を信じているようであった者たちが、日蓮がこのような身になると疑
いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教え諭して自分は賢
いと思っている。こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄にいるで
あろうことは不憫としか言いようがない」(御書960ページ、通解)
 戸田先生は語っておられた。戦時中、牧口先生が投獄された時のことである。
 師のそばにいた大幹部が退転した。ある者は、大恩ある師匠を「牧口の野郎」
と罵倒し、去っていった。
 一番の弟子のような顔をしながら、大難を受けると、手の平を返すように師
匠を誹謗する。恩を仇で返す。これこそ敵の中の敵ではないか。
 戸田先生は叫んだ。
 「よし、俺が牧口先生の仇を討ってやる!」
 また、牢に入れられ、退転した大幹部もいた。その一人は、面会に来た夫人
が、信心をやめて早く牢から出るように手の平に書いて見せた。そして退転し
たのである。
 戦後、そのことに話が及んだ時、戸田先生の怒りは、すさまじかった。
 「こんな人間が、創価学会員か! 牧口先生を裏切るとは!」
 悔しくて悔しくてならない、あの先生の姿が忘れられない。
 大聖人は、「もし恩を知り、心ある人々であるならば、(私が)杖で2回叩
かれるうち、自分が1回は代わりに叩かれるべきではないか」(同1450ペ
ージ、通解)と仰せである。
 その御精神と反対に、恩師を裏切り、学会を裏切り、自らの信念を裏切った
人生の最後が、どれだけ惨めか。それは、皆さまがよく知っておられる通りで
ある。
 広布の途上には大難がある。それを乗り越えるのだ!――この深き心で戸田
先生が徹底して鍛えてくださったのが私であった。青年部に未来を託されたの
である。
 日蓮大聖人は仰せである。「この法門についた人は数多くいるけれども、公
私ともに大難がたびたび重なってきたので、一年、二年はついてきたものの、
後々には、皆、あるいは退転し、あるいは反逆の矢を射た。また、あるいは身
は堕ちなくても心は堕ち、あるいは心は堕ちなくても身は堕ちてしまった」(同
1180ページ、通解)
 そうしたなか、あなたは信心が深かったから、退転することなく、勝利の実
証を示していると、大聖人は、模範の門下を賞讃しておられる。
 信心の根が深ければ、人生の栄光の枝は、必ず豊かに茂っていく。

■難があるから成長できる
 一、敵がいるから、成長できる。自分自身が強くなる。大難に打ち勝って、
仏になるのだ。
 大聖人は仰せである。
 「釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見
ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである」
(同917ページ、通解)
 大難の真っただ中で、こうも仰せである。
 「仏になる道は、必ず身命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるであろ
うと思われる」(同891ページ、通解)
 死身弘法の人。その人こそ、真実の法華経の行者である。
 大聖人は宣言された。
 「日蓮は、世界第一の法華経の行者である。その日蓮を謗り、怨む者の味方
になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう」(同266ページ、通
解)
 御本仏の大確信が轟いている。
 「第六天の魔王が私(日蓮大聖人)の身に入ろうとしても、かねてからの用
心が深いので身に寄せつけない。ゆえに、天魔は力及ばずに、王や臣下をはじ
めとして良観などの愚かな法師たちに取りついて、日蓮を怨むのである」(同
1340ページ、通解)
 「真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となるなら
ば、三類の敵人が必ず現れるのである」(同501ページ、通解)
 正義ゆえに迫害されるのは、最高の名誉だ。いいかげんな、遊び半分の覚悟
では、大事は成し遂げられない。憎まれ、けなされ、迫害されても、毅然と進
むのが、真実の信仰者である。
 難こそ誉れ。
 難こそ安楽。
 これが日蓮大聖人の師子吼であられた。
 その魂を継いだ世界一の戸田先生に仏法を学んだ私である。人間の真実は、
すぐわかるつもりだ。
 本当に広布のために戦った人間を、最高に讃えたい。永遠に守りたい。
 御聖訓には、こうも教えられている。「種々の大難が雨のように降り、雲の
ようにわいても、法華経のためであるので、苦をも苦とも思わない」(同11
12ページ、通解)
 「法華経の中で仏(釈尊)は次のように説かれています。
 私(釈尊)が死去したのち、後の五百歳に、すなわち二千二百余年が過ぎて、
この法華経が全世界に広宣流布する時、天魔が人の身に入り代わって、この法
華経を弘めさせまいとして、たまたま(法華経を)信じる者に対し、あるいは
罵り、暴力を振るい、住む所を追放し、あるいは殺すなどのことをするであろ
う。
 その時、まず先陣を切って戦う人は、三世十方の仏を供養するのと同じ功徳
を得るであろう」(同1415ページ、通解)
 広宣流布こそ、永遠の世界平和の道である。その先陣を切る功徳は無量無辺
である。

団結こそ無敵の力!!

■勇気で勝て! 祈りが武器!
 一、勇気!――これが人生に勝つ鍵である。
 チャーチルの伝記の著者、ビベスコ公爵夫人は書いている。
 「勇気には、もうこれで充分ということは決してない。勇気は私たちみんな
に、ひとりひとりに必要だ。すべての形の、すべての変化の、すべての種類の
勇気が、私たちの性格により、また条件によって必要だ。私たちには毎日勇気
がいる」(安堂信也訳)
 苦しい時、つらい時、それを乗り越える力は、勇気だ。
 大聖人は仰せである。
 「一生が過ぎゆくのは、わずかな間であるから、どんなに三類の強敵が重な
ろうとも、決して退く心を起こしてはならない。恐れる心を起こしてはならな
い」(御書504ページ、通解)
 人生は、勝つか、負けるかである。大事なのは、百の論議よりも「勝つ」こ
とだ。一生懸命に祈り、苦難を乗り越え勝利した――その数々の実証は、創価
の歴史に燦然と輝いている。
 祈りが武器である。真剣に、祈って祈って祈り抜き、努力を貫き、勝つしか
ない。目指すは「勝利」の二字しかない。
 中国の女性リーダーの宋慶齢(そうけいれい)さんは言った。
 「全国のあらゆる力の団結は、われわれの無敵の力の源泉なのです」
 「最後の勝利が必ずわれわれの側にあることは、疑いの余地がありません」
(仁木ふみ子訳)
 最後の勝利を我らの手に! その日を目指し、異体同心の仲良き団結で前進
したい(大拍手)。
(2003・8・5)