婦人部・女子部最高協議会〔下〕

 人間革命は勝利と幸福の最先端
【池田名誉会長のスピーチ】
 一、創価大学の重宝のなかに、パール・バックが友人にあてた直筆書簡がある。
 彼女は、アメリカ人女性初のノーベル文学賞を受賞した作家である。『大地』や『母の肖像』などの名作で知られる。
 私が第3代会長に就任した1960年の5月に来日し、東京にも、関西等にも訪れている。
 重い知的障害をもつお嬢さんを慈しみ、懸命に育てながら、数々の作品を書き残した。
 世の中にはびこる差別や偏見、暴力に対して、心の底から正義の怒りを燃やし、平和運動にも邁進した。
 彼女は、ある小説の登場人物に、こう語らせている。
 「恐れることが人間を弱くしてしまうんだ」(『ノーベル賞文学全集7』所収「大津波」佐藤亮一訳、主婦の友社
 その通りである。
 「臆病」であってはならない。強く強く生き抜かねばならない。
 日蓮大聖人は、「祈りが叶わないというのは、ちょうど弓が強いのに弦(つる)が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものである」(御書1138頁、通解)と仰せである。
 「勇気」こそ、幸福と勝利の人生を切り開く力の源なのである。

 母から正義を学んだパール・バック
  心に「悪」を詰め込むな 全力で「善」を広げよ!

■毅然たる母の声
 一、パール・バックは強く、誇り高き正義の信条に生きた。それは、母から学び、譲り受けたものであった。
 母は、低俗な雑誌など絶対に読まなかった。
 なぜか?
 「くだらないことが書いてある」
 「心の中にクズを詰めこみたくはありませんからね。口の中にゴミを入れられないのと同じことですよ」(木村治美訳『娘たちに愛をこめて』三笠書房
 こう毅然と母は言い放ったのである。
 悪を鋭く見破る賢明な母の言葉は、子どもの心を、正しく、強く、育んでいく。
 一、パール・バックは訴えた。
 「私たちは全力を出して、悪の大波を善の力強い波で押しとどめなければなりません」(同)
 その通りだ。
 彼女は「世の中には腐敗や堕落があるにもかかわらず、人の善意は広がっていくことができるし、またじじつ広がっている」(伊藤隆二訳『母よ嘆くなかれ』法政大学出版局)と強く実感していた。
 悪人は保身や利害で、たやすく野合する。
 だからこそ、それを圧倒する善の連帯を広げゆくことだ。ここにのみ、未来の希望は開かれる。

■「弥(いよ)弥(いよ)」の心で!
 一、人々を不幸にし、社会を衰亡させる邪悪な思想に対して、大聖人は峻厳であられた。
 「責めても猶あまりあり禁めても亦たらず」(御書495頁)と徹底した言論闘争を叫ばれた。
 また、日蓮大聖人は、迫害の渦中にあった、武蔵国の門下、池上兄弟に、こう仰せである。
 「これから後も、どのようなことがあっても、少しも信心がたゆんではならない。いよいよ強く(仏の敵を)責めていきなさい。たとえ命に及ぶようなことがあっても、少しも恐れてはならない」(御書1090頁、通解) 
 この厳愛の指導ありて、兄弟は、勝利の実証をつかんでいくのである。
 ともあれ、万物が躍動する弥生3月 ―― 。
 私たちは、 「弥弥」の生命の勢いで、幸福と平和のスクラムを、野に咲く花のように、明(めい)朗(ろう)闊(かっ)達(たつ)に広げていきましょう!(大拍手)

■「師弟」ありて嵐を勝ち越え
 一、叫ぶべきときに、堂々と正義を叫びきる。
 そこに、人間の真価が永遠に光り輝く。
 一番苦しんできた民衆とともに立ち上がり、世界に友情の橋をかけてきたのが、誇り高き創価の前進である。
 最も正しい、最も賞讃すべき民衆運動を、かえって妬み、誹謗する。
 間違っているのは、妬むほうである。
 “いかなる相手であろうと、私は断固として破折してみせる!” ―― この革命精神こそ、創価のリーダーの魂でなければならない。
 一、師弟の道は峻厳である。
 牧口先生、戸田先生は命をかけて広宣流布のために戦い抜かれた。
 第3代の私もまた、あらゆる迫害の嵐を乗り越えて、広布のため、妙法流布のために生き抜いてきた。尊き同志とともに、今日の世界的な学会を築いてきた。
 初代、2代、3代の会長が、大聖人の御遺命のままに戦い、「師弟の道」に徹し抜いてきたからこそ、創価学会は大発展を遂げたのである。
 この「師弟」の一点を忘れて、広宣流布はない。
 かりにも「自分が偉い」などと慢心を起こし、師弟の精神を忘れれば、そこから狂いが生じていく。信心の正しい軌道から外れていく。
 厳しいようだが、未来のために、あえて言い残しておきたい。
 一、戸田先生は、組織の中で派閥をつくる者を絶対に許さなかった。
 自分を中心にして師匠を見下し、会員を利用するような人間が出れば、学会が破壊されてしまう。清浄な信心の世界が壊されてしまうからだ。

■「信心」で団結!
 一、組織において、会員同士でも「気が合う」「合わない」といった相性の問題があるかもしれない。しかし、大切なことは、広布のため、学会のために「信心」で団結することである。
 大聖人は、池上兄弟の弟・宗長にあてた御手紙で、次のように仰せである。
 「こう言うと恐縮ですが、兄弟二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いと思って(心を合わせて)いきなさい。
 もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸仏・諸天等の)加護がどうなってしまうかと考えていきなさい(仲が悪いと功徳を消してしまいます)」(同l108頁、通解)
 団結がなければ最高の力を出し切ることはできない。敵に打ち勝つこともできない。
 学会は、信心を根本とした異体同心の団結で、永遠に前進してまいりたい(大拍手)。
 
カミュの小説『ペスト』は呼びかける
  「無理だ」というより先ずやって見ろ 決して明日に延ばすな

■なぜ大惨事が起こったのか?
 一、20世紀を代表するフランスの作家に、ノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュがいる。
 先日、カミュの世界的な名作である『ペスト』の日本語訳の初版本を、創価学園の「学園優秀会」の代表が届けてくださった。学園出身の大学生等で、良き兄として、後輩の栄光寮生の育成に尽力してきたメンバーである。
 『ペスト』は、私も青春時代に愛読した懐かしい一書だ。
 カミュは、鋭い言論でナチスと戦ったレジスタンスの闘士である。その彼が、第2次世界大戦が終結して間もない1947年に発表したのが、この小説であった。
 題名に掲げられた「ペスト」は、急性伝染性の病気である。死亡率が高く、史上、数々の大惨事をもたらしてきた。
 しかし作者カミュは、この「ペスト」を単なる疫病としてだけでなく、人間を虐げ、蝕み、滅ぼしていく「不正や悪」の象徴として綴ったのである。
 物語では、ペストに見舞われた都市で、犠牲者が広がっていく様相と、その惨事に立ち向かって勇敢に戦う人々の姿が描かれている。
 若き英才の諸君に心から感謝し、この名作を通して語っておきたい。
 〈以下の引用は、届けられた創元社刊の『ペスト』(宮崎嶺雄訳)から。現代表記に改めた〉

■「無責任」が被害を拡大
 一、小説の舞台は、北アフリカアルジェリアの都市オラン。
 ある日、悪疫ペストの発生を示す兆候が現れた。やがて少しずつ、犠牲者が出始める。
 しかし、本来なら、いち早く正確な情報を集め、都市を挙げて対策を行うべき責任を持つ人々が、なかなか徹底的な対策を講じようとしなかった。
 その様子を、物語では鋭く、綿密に描いている。
 この都市の医師組合の会長は、“自分には対策を講ずる資格がない。権力もない”と、即座に手を打たなかった。
 県知事もまた、“社会に騒ぎを起こしたくない。総督府にも命令を仰がないといけない”と、迅速な行動を怠った。
 新聞は、事態を軽く見て、真実を広く知らせようとしなかった。
 多くの人々は、自分は大丈夫だろうと行動を起こさなかった。また、皆、不安を感じながらも、真実から逃げようとした ―― 。
 カミュは、「みんな自分のことを考えていた」と描写している。
 その「自己保身」と「無責任」と「無関心」の蔓延が、悪疫ペストの拡大を許してしまったのだ。
 小説の中で、ある人物が「決して明日に延ばすな」との格言を語る場面がある。
 悪は絶対に放置してはならない。電光石火で手を打つことが、皆を守ることになる。

■「あらゆることをやるのだ! 」
 一、ペストの拡大によって、ついに都市は外部から遮断される。患者の増大に、当局の対応は追いつかなくなった。
 そのとき、タルーという青年が、医師のリウーとともに、有志で保健隊を結成。悪疫ペストとの戦いを開始した。
 それは、人々の心に巣食う“あきらめ”との戦いでもあった。
 保健隊の結成について「そんなことはなんの役にも立ちませんよ。ペストなんて、とても手に負えるしろものじゃないですからね」と言う人に、青年タルーは毅然と答える。
 「それはわからないでしょうね、あらゆることをやってみた上でないと」
 あきらめることは簡単である。むしろ、何も行動しない人間が、一番、早くあきらめる。
 しかし真の勇者は、最後まで執念をもって戦い、行動するものだ。「あらゆることをやってみる」ものだ。

■同苦と誠実で困難と闘う
 一、ペストの蔓延。それは、いつ終わるともしれない、死と悲惨の極限の状況であった。
 そのなかを懸命に戦い続けた中心者の医師リウーについて、小説では、こう綴られている。
 「公明な心の掟に従って、彼は断乎として犠牲者の側に与し、人々や市民たちと一緒になって、彼等が共通にもっている唯一の確実なもの、即ち愛と苦痛と追放とを味わおうとした。従って、市民たちの苦悶の一つとして、彼が共にしなかったものはなく、いかなる情況も、同時に彼自身の情況でなかったものはないのである」
 仏法の「同苦」の精神にも通じる行動といえよう。
 また、青年タルーは、「心の平和に到達するためにとるべき道」について聞かれ、それは「共感ということだ」と語っている。
 彼らは、「自分さえよければいい」という利己主義を振り捨てた。
 人の苦しみに同苦し、人のために行動する。その「共感」と「連帯」に生きるなかにこそ、自分自身の「心の平和」もあることを知っていたのである。わが学会の尊き同志の姿をほうふつさせる。
 さらにまた、リウーは訴えた。
 「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」
 真の誠実とは、人々のために、なし得る限りのことをなすことである。自らの使命に生ききることだ。

■根気で勝ち抜け
 一、物語には、若い新聞記者も登場する。
 この青年は、当初、ペストに侵された都市から脱出し、愛する人に再会するという、わが身の幸福ばかりを考えていた。
 しかし、医師リウーたちの献身の姿に心打たれ、同志に加わる。そして、ようやく得た脱出のチャンスもなげうって、行動を続けた。
 青年は言った。
 「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかも知れないんです」
 この青年の心の革命が、物語の重要なテーマの一つでもある。
 本年は、「青年・拡大の年」である。
 創価の青年による「人間革命」の大運動は、地域を潤し、社会を照らす、人生の勝利と幸福のための最先端の活動だ。
 その連帯の拡大こそ、21世紀の大いなる希望である。
 私は皆さまに、この小説の「根気強さは結局あらゆるものに打ち克つ」との一節を贈りたい。
 あらゆる波浪を越えて、根気強く、粘り強く進むことだ。
 絶えざる前進こそが、一切の困難を打ち破る。新たな歴史を築きゆく原動力なのである。
 一、皆さまが、どれほどの苦労をされながら、学会のリーダーとして、友のため、広布のために活動しておられるか。私はよく存じ上げているつもりである。
 尊き同志が、どうしたら元気に、幸福に、生き生きと前進していけるか。けなげな友に、どう励ましの光を贈っていくか。そのことを、私はだれよりも真剣に考えている。行動している。
 皆さまも、家庭や仕事、子どもの問題など、現実の生活においては、さまざまな悩みがあると思う。
 しかし、どんな問題や困難も、妙法を根本としていくならば、必ず乗り越えていくことができる。一番、いい形で解決していくことができる。
 それが仏法である。
 世間の眼ではわからなくても、信心の眼で見るならば、すべてに意味がある。また、すべてがいい方向へと生かされていくのである。

  「師と共に!」その心に栄冠
 《ノーベル平和賞のマータイ博士》「困難が人間を強くする」
  万物は皆動いている行動!歴史に名を残せ

広宣流布の祈り
 一、私が創価学会の会長に就任して、まず祈ったのは、「豊作であるように。飢饉がないように」「大地震がないように」ということであった。
 学会員の友が、また国民が、苦しむことがないようにと祈ってきた。
 さらに、学会員が、一人も残らず、裕福になるように、無事故で安穏な生活であるように、健康長寿で大満足の幸福な人生でありますようにと、一貫して祈ってきた。
 今も毎日、一生懸命、祈っている。あらゆる手を尽くしている。
 同志のために私はいる。それが私の人生だと決めているからだ。
 一、日蓮大聖人の大願は、広宣流布、すなわち全世界の平和であった。
 御聖訓には、こう仰せである。
 「日蓮は、生まれたときから今にいたるまで、一日片時も心の休まることはない。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりである」(御書1558頁、通解)
 真剣勝負の一日一日であられた。国主を厳しく諌暁されるときも、家族を亡くした婦人を温かく励まされるときも、その御心は「全民衆の幸福」という一点に注がれていたのである。
 私たちも「さあ広宣流布しよう!」「民衆を苦しめる邪悪と戦おう!」「創価学会を大発展させよう!」と祈りに祈り、心を合わせて進みたい。
 一、自分の我見や、高慢な心で、決して道を誤ってはいけない。
 大聖人は「日蓮の弟子たちのなかで、法門をよく知っているかのような人たちが、かえって間違いを犯しているようである」(同1546頁、通解)と戒めておられる。
 どうか、あの「熱原の三烈士」のごとく、「広布の鑑」と讃えられる偉大なる人生の劇を、見事に飾っていただきたい。勇敢なる先駆者として、生きて生きて生き抜いていただきたい。

■魔を打ち破れ! 智慧と勇気で 
 一、ここで、「法華経」を拝したい。
 「普(ふ)賢(げん)菩(ぼ)薩(さつ)勧(かん)発(ぼつ)品(ほん)」で、釈尊普賢菩薩に呼びかける一節である。
 「普賢よ、もし如来の入滅の後、後の五百歳に、もしある人が法華経を受持し、読誦している者を見たならば、まさにこのように思うべきである。
 『この人は、久しからずして、まさに道場にいたり、多くの魔を打ち破り、無上の悟りを得、法輪を転じ(=教えを説き)、法の鼓(つづみ)を打ち鳴らし、法の法(ほ)螺(ら)貝(がい)を吹き、法の雨を降らせるであろう。まさに天・人の大衆の中の師子の法座の上に坐るであろう』と」
 これは、重要な一節である。
「普賢」の「普」には「普し」の義がある。「賢」は「賢い」と読む通り、「智慧」を表している。
 本日は詳しい意義は略すが、わかりやすく言えば、仏の偉大な智慧が、全宇宙にあまねく及んで尽きないことを象徴していると言えよう。
 広布の指導者もまた、「普く、賢く」なければいけない。
 仏法と社会の一切に通じ、人々を指導し、悪を破折していける智慧を磨いていくことである。それを怠っては、本当の信心ではない。

■躍動する生命
 一、「如来の入滅」の「如来」とは、ご存じの通り、仏のことである。仏の尊称(=十号)の一つであり、「真如より到来せし者」等の意がある。
 この宇宙は、一瞬の停滞もなく動いている。森(しん)羅(ら)万(ばん)象(しょう)、あらゆる存在が、変化、変化を続けている。
 「如来」とは、如如として来る、瞬間瞬間の躍動する生命を表しているとも言えよう。その偉大なる生命力の当体こそ、仏なのである。
 妙法は、大宇宙を貫く至高の法則である。
 南無妙法蓮華経を唱えながら、広布に生き抜いていけば、最も正しく、最も価値ある「安穏と勝利の道」を、三世永遠に歩んでいくことができる。
 また、一切衆生には本来、仏の生命が備わっている。ゆえに仏法では、あらゆる生命を尊貴なものとして敬っていくことを教えている。
 ともあれ、我々も、停滞してはいけない。回転し、律動し、変化し続ける大宇宙とともに、妙法を唱えながら、広布のために動くことである。戦い続けることである。そうしていくなかで、わが生命に、何ものにも負けることのない、最も力強く清浄な「如来」の生命を湧現していけるのである。

■福徳は永遠!
 一、普賢品に説かれる「この人」とは、別しては、末法法華経の行者である日蓮大聖人のことであられる。総じては、大聖人の御遺命のままに、広宣流布に邁進する、我々門下一同のことと拝せよう。
 普賢品では、先の文に続いて、仏の滅後の末法において、法華経を受持する人を、最大に敬っていくべきことを教えている。
 経文に、「もしこの経典を受持する者を見たならば、まさに起って遠く迎えるべきことは、まさに仏を敬うが如くすべきである」と説かれている。
 大聖人は、御義口伝の中で、これこそ「最上第一の相伝」(御書781頁)であると明言されている。
 日夜、懸命に広布に励む人を、“仏のごとく”敬え ―― これこそ、仏法の根本の思想なのである。普賢品の短い一節には、甚深の意義が込められている。
 「法華経」は、末法広宣流布を明かした、重要な“予言書”でもある。
 生涯、広布に尽くし抜いた人は、生々世々、自らが願った国や地域に生まれ、それぞれの地で、福徳にあふれた勝利者となり、歴史に名を残す指導者となっていくことは間違いない。
 普賢品の経文を拝し、そのように確信して、誇らかに前進してまいりたい。

 《アメリカ実践哲学協会 マリノフ会長》
世界の対立を克服する思想は仏教の中に 
すべての人間は尊いと宣言

■「皆、同じ人間」と
 一、先日、アメリカの哲学者、ルー・マリノブ博士からご連絡をいただいた。アメリカ実践哲学協会の会長であり、世界的なベストセラーの著者としても知られる方である。
 博士は今、世界の対立を克服するための哲学として、「中道」思想の研究に力を注いでいる。
 ギリシャアリストテレスの哲学や、儒教など世界の思想、宗教を探究。そのなかで博士が高く評価し、期待を寄せているのが、仏教、なかんずく、日蓮大聖人の中道の思想である。
 「中道」とは、「人間主義」ともいえよう。
 マリノフ博士は語っておられる。
 「世界の対立を克服するために、私たちは共通の基盤を持たねばなりません。根底に、人間としての共通の基盤を持たねばならないのです。
 そして、その基盤は、仏法によってこそ築けると私は考えております。なぜなら、仏法こそが、すべての人間は自身の内に悟りを秘めた存在であると、力強く宣言した思想であるからです」
 現代の社会は、人間を単なる「手段」にしてしまった。「人間を人間として見られない」世界になってしまった ―― そのように憂える多くの知性は、創価の哲学運動こそ「精神の復興」に不可欠であり、人々を「真実の人生の目的」に目覚めさせていく力があると、大きな期待を寄せているのである。 、

■苦難こそ宿命転換のチャンス
 一、終わりに、御聖訓を拝したい。
 大聖人が、池上兄弟に贈られた「兄弟抄」の一節である。
 とくに最後の部分で、難と戦う兄弟の夫人が、強き信心で夫を支え、力を合わせて進むよう激励されている。
 「ご夫人がたが力を合わせて夫の信心を諫めるならば、竜女の跡を継ぎ、末代悪世の女人の成仏の手本となられることでしょう。このように信心強盛であるならば、たとえどのようなことがあろうとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹女・釈迦・多宝に申し上げ、次の世には、必ず成仏させましょう。『心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない』とは六波羅蜜経の文です。たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(御書1088頁、通解)
 苦難のときこそ、宿命転換を成し遂げ、一生成仏を決定づけることができる。
 大変なときに、一歩も引かずに勇気ある信心を貫き通した人が、仏の大境涯を開き、永遠の大福運を積むことができる。
 だからこそ、労苦を惜しまず、歯を食いしばり、思い切り戦い抜くことだ。すべてが自身の三世にわたる生命の勝利、一家眷属の万代の栄光となって輝いていく。
 どうか、「末代悪世の女人の成仏の手本」と、大聖人から讃えられる名誉と功徳の歴史を、朗らかに、晴れ晴れと残していっていただきたい。

■「日蓮と同じく」
 一、大聖人は仰せである。
 「このような者(=日本第一の法華経の行者である日蓮大聖人)の弟子檀那となる人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じく法華経を弘めるべきである」(同903頁、通解)
 偉大な使命を持った皆さまである。深き「宿縁」を最高の誇りとして、広布の大道を歩み抜いていただきたい。
 私は全婦人部、全女子部の皆さま方が、ますます健康で、幸福であられることを、妻とともに、真剣に祈っています。
 最後に、先日お会いした、「アフリカの環境の母」マータイ博士の「困難が人間を強くする」との言葉を贈り、私のスピーチを結びたい。
 お元気で!  きょうは本当にありがとう!(大拍手)
(2005・3・11)