埼玉池田研修道場での名誉会長のスピーチ(上)



 美しき天地 我が青春の使命の大舞台
 大好きな埼玉 大恩ある埼玉
 世界の憧れの常勝埼玉を築け
一、五月晴れの完勝の大埼玉、おめでとう!(大拍手)
 皆様、ご苦労さまです。記念に和歌を贈りたい。
 日本中
  皆が見つめむ
   憧れて
  大埼玉の
    栄光輝け
埼玉の
 創価の全勝
  祈るらむ
 断固と勝ちゆけ
    勝ちまくれ
 また、全世界の広宣流布の前進と、研修道場の興隆の意義をこめて、地球儀を贈らせていただきたい。
 これは、東京の本部と、ここ埼玉にだけ置くものである(大拍手)。
 一、皆様の祈りに包まれて、久方ぶりに、大好きな埼玉県に足を運び、念願の埼玉の研修道場を訪問することができました。
 きらめく陽光も、吹きわたる薫風も、まことに、すがすがしい。
 まさに、緑と光あふれる「彩の国」である。
 先ほど、自然豊かな飯能(はんのう)の地を車で通った。
 飯能は、私にとって、忘れることのできない場所である。
 それは、終戦直後のことであった。
 日本は敗戦。
 惨めな焼け野原だけが残った。
 「増上慢だから負けた。傲慢は、最後は滅びるのである」──これが軍部と戦い抜かれた戸田先生の叫びであった。
 戦争は残酷だ 
 一、戦争は、本当に残酷だ。
 わが家は、4人の兄を次々と戦争にとられた。
 また、空襲が激しくなり、住んでいた家は強制疎開で取り壊され、引っ越した先の家も、すぐまた空襲に遭い、焼け出されてしまった。
 一家は皆、噴き上げる火のなかを、散々な思いで逃げ回ったのである。
 終戦後、まず3番目の兄が復員した。
 続いて、4番目の兄が戻り、さらに2番目の兄も帰ってきた。
 しかし、長兄は戦死であった。
 その悲報を受け取ったときの父と母の落胆した姿は、今も胸に焼き付いている。
 戦後の食糧難のとき、私の次兄が、しばしば訪れたのが、埼玉の飯能であった。
 そこに次兄の戦友がいたのである。
 その方が、とても、よくしてくださり、しよっちゅう、米や野菜を分けてくださった。
 次兄は、持ちきれないほどの食料を抱えて、笑顔で帰ってきた。
 そのおかげで、わが家は、皆、生きのびることができた。
 飯能の地は、わが家にとって、大恩の天地なのである。
 狭山茶の茶畑で 
 一、約10年前、私は、埼玉の入間文化会館を車で視察させていただいた。
 その折、有名な狭山(さやま)茶の茶畑で、写真を撮らせていただいたことも、忘れられない。(1996年1月28日)
 一、かつて、“関八州を制する者は、日本を制す”といわれた。
 なかんずく、大事なのが埼玉である。
 埼玉は、ますます発展していく。これからが本番である。
 一段と鉄桶の団結を固め、師弟直結の常勝埼玉を築いていただきたい。
 同時に、神奈川、千葉も大事だ。埼玉、神奈川、千葉で、首都圏を支えていくのである。
 心が通い合ってこそ異体同心! 
 一、リーダーは、どこまでも、同志のことを祈っていくのだ。
 具体的に祈り、誠実に尽くしていけば、必ず反応がある。仏法は「依正不二」なのだから。
 とにかく、祈る。
 そして、感じよく接していくことだ。
 自分の「大きい心」ができあがっていけば、自然と「大きい結果」が現れてくる。
 大事なのは、心の奥で本当に信頼し合えるかどうかである。
 「あの人は好きだ」「あの人となら一緒にやっていきたい」となっていかなければ、本当の異体同心ではない。
 権力でも、権威でも、組織でもない。
 人間としての心が通じ合うかどうかである。
 偉大な御仏意のままに、本当の人間の絆を、学会のなかにつくってきたのが、牧口先生であり、戸田先生であり、その直系の弟子の私である(大拍手)。
 清朗な心で偉大な目的へ 
 一、ここ大埼玉の「福徳と人材の城」で、私は、広宣流布のために奮闘される、尊き埼玉県の全同志に、真剣に題目を送らせていただいた。
 またいつも、皆様方のご健康とご多幸、勝利と栄光を祈り続けている。
 埼玉は、本当によく戦ってこられた。
 そして、見事に勝ち抜いてこられた。
 なかんずく埼玉の婦人部、女子部の皆様方は、あまりにも健気である。日蓮大聖人が、どれはど讃嘆しておられることか。
 御聖訓には仰せである。
 「女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して(あなたを)礼拝され、地神(大地の神)は、御足を大切に押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう」(御書13944ページ、通解)
 ありとあらゆる仏菩薩も、諸天善神も、必ず必ず、皆様方を讃えに讃え、護りに護る。
 研修道場も立派に荘厳してくださり、地元の皆様方、共栄会(守る会)の皆様方をはじめ、運営に当たってくださっている方々に、厚く厚く御礼を申し上げたい。
 アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは語った。
 「清朗な心と偉大な目的をいだいて仕事をすれば、時代はつねにそのひとのものになります」(酒本雅之訳『エマソン論文集(上)』岩波文庫)と。
 新時代を開きゆく、わが埼玉同志の晴れ姿を示すような言葉である。
 迫害の渦中に歩まれた道 
一、埼玉は、日蓮大聖人が、戦う魂を刻まれた天地である。
 ご存じの通り、埼玉を通る鎌倉街道の上道(上ノ道)は、日蓮大聖人が佐渡流罪の際、往復なされた宿縁の道である。「上道」の稗も立っている。
 相模国(現在の神奈川県の大部分)の依智(えち)を発ち、佐渡に向かわれたのは、文永8年(1271年)10月10日である。
 大聖人は、武蔵国・久米川(くめがわ)に立ち寄られたと仰せである。(御書には「武蔵の国久目河(くめがわ)の宿」(951ページ)と記されている)
 そして、この埼玉で、一歩また一歩、歩みを重ねられた。
 約2週間歩まれ、10月22日には越後(現在の新潟県の大部分)の寺泊に着かれていたのである。
 新暦では、11月20日から12月2日にかけてとなる。
 大聖人は、その道のりの厳しさを、次のように記されている。
 「鎌倉を出発してから、日々に強敵が加わってくるようであった」
 「野を行き、山を行くにも、かたわらの草木が風に吹かれてざわめくかすかな音も、敵が私を責めているのではないかと思われた」(同1052ページ、通解)
 しかし、「寺泊御書」では、「もとより覚悟の上なので、今初めて嘆くべきことでない」(同951ページ、通解)と、悠然と仰せになられている。あの忘れ得ぬ「川越地区講義」で、埼玉の同志と学んだ御聖訓である。
 そして大聖人は、足かけ4年の、命にも及ぶ佐渡流罪の大難を勝ち越えられて、再び鎌倉へ向かわれた。
 その道中は、文永11年(1274年)月13日から26日である。
 新暦では、4月28日から5月11日。
 今と同じ、新緑輝く季節のなか、大聖人は、この道場にほど近い道を歩まれ、鎌倉へと向かわれた。
 御書には、「鎌倉へ打ち入りぬ」(912ページ)と表現されている。
 それはまさしく、3度目の国主諫暁へ、まっしぐらに進まれる大闘争の歩みであられた。
 ともあれ、末法の御本仏であられる大聖人は、法難のゆえに、そしてまた法戦のために、山野を越えて進み続けられたのである。
 仏法では、仏道修行の際に「歩く」ことが「経行」として説かれている。
 大聖人は、「一切衆生法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(=歩いて)南無妙法蓮華経を弘通している。これは釈尊と同様である」(同816ページ、通解)と述懐なされた。
 皆様方が、広宣流布のために、労苦を厭わず、歩き、動くことは、この御本仏の「経行」に、そのまま、つながっているのである。どれほど尊い歩みであるか、計りしれない。
 仏と同じ力を 
 一、大聖人は、「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)と振り返っておられる。
 人と会い、人と語り、妙法の仏縁を結ぶ──これまた、皆様方が、毎日毎日、たゆみなく実践されていることだ。
 学会活動は、御本仏の御振る舞いに、すべて完壁に直結しているのである。
 戸田先生も、よく言われた。
 「仏の仰せ通りに行動すれば、仏の使いです。仏の使いは、仏と同じ力を発揮できるのです」
 この大確信に燃えて、広宣流布の一つ一つの戦いに、喜び勇んで飛び込んでいくことだ。そして思う存分に、わが生命の偉大なる仏の力を発揮していくことである。
 それが、自分自身の永遠不滅の「人間革命」の勝利と栄光の歴史となっていくからだ。
 戸田先生は、「広宣流布は、信頼と友情の対話から広がる」とも教えてくださった。
 どうか、蓮祖の歩まれた有縁の大地で、「希望の街道」を、「幸福の街道」を、そして「勝利の街道」を、明るく朗らかに、歩み、語り、進んでいっていただきたい(大拍手)
 創価の前進は人類のため!! 平和のために!!
 歩いて語って広布は進む
 大聖人 「他人とは比較にならないほど、私は人に会ってきた」
 苦悩があるから偉大になれる! 
 一、ドイツの哲学者ラィプニッツは記した。
 「苦悩はより大きな完全性への近道」(米山優訳「事物の根本的起源について」、『ライプニッツ著作集8』所収、工作舎)と。
 苦悩といっても、自分の小さなエゴのための苦悩ではない。
 もっと大きな苦悩、公のための苦悩のなかにこそ、偉大な人生がある。
 我ら創価の前進は、人類のため、世界の平和のためである。
 大聖人は、「さいわいを万里の外よりあつむベし」(御幸1492ページ)と仰せになられた。
 折伏にせよ、友好の拡大にせよ、我々の広布の活動は、苦難の道であっても、一切が自身の崩れざる幸福の土台となっていることを忘れてはならない。
 一、私も、若き日から、この埼玉の天地を走りに走ってきた。
 戸田先生の事業の苦境を打開するために!
 大仏法の生命哲理を、真剣な埼玉の同志と共に学ぶために!
 悪意と虚偽の報道を糾し、師と学会の正義を護り抜くために!
 そして、愛する埼玉の同志に勝利の力を贈りゆくために!
 それは「師弟の道」であり、「行学の道」であり、そして「仏法勝負の道」であった。
 今回で、埼玉への訪問は66回を数える。
 「6」には「具足」の意義がある。
 宿縁も深き埼玉の全同志が所願満足であるように、そして、広宣流布の要衝・埼玉の拡大と勝利が無量無辺に開けゆくように、私は真剣に強盛に祈り続けている。
 創価の師弟に世界が注目! 
 一、今、世界の知性が、創価の行動を正しく、また深く鋭く見つめ、評価してくださっている。
 先日(5月5日)、易明(いめい)副院長をはじめ代表をお迎えした中国の天津(てんしん)社会科学院では、『中日関係における周恩来池田大作』という研究書を発刊なされた。
 歴史文献に関して権威を持つ中央文献出版社からの発行である。
 光栄なことに、そこでは、戸田先生と私の師弟の歴史や、「戸田大学」の意義についても大きく光を当ててくださっており、感謝に堪えない。
 〈同書には、次のような一文がある。
 「(戸田会長の事業が破綻するという)逆境のなか、多くの人が、生活のために、戸田会長と創価学会から去っていった。しかし、池田大作は学業を断念して、戸田会長に付ききって、常随給仕し、共に苦難を乗り越えていった。
 池田大作は戸田会長と『師弟不二』の深遠なる絆を築いたのである。
 大は事業から、小は身辺の細々としたことまで、池田大作は全身全霊を注いで、恩師を支え抜いた。それは、まさに不惜身命の域に達するものであった」〉
 「必ず勝利してお応えします」 
 一、事業の窮地を切り開くために、先生と二人して埼玉の地を駆けずり回ったことも忘れられない。
 その悪戦苦闘の日々のなか、私は申し上げた。
 「私がすべてやります。先生は、お体をお休めください。私が断じて苦境を打開します。そして絶対に、先生に会長になっていただきます!」
 「何があっても、勝ってみせます。必ず勝利して先生にお応えしてまいります!」
 そのときの先生の会心の笑顔を、私は、きのうのことのように思い起こす。この師弟の苦闘のなかに、今日の学会の大発展の因が一切、刻まれていたのである。
 先生は、青年部によく言われた。
 「広宣流布は、言論戦なのだから、語りまくれ!」
 「我々は正しいのだ。ゆえに、ありのままに真実を叫べ!」
 「本当の仏法は、社会での大闘争にある。社会で勝負する。それが本当の革命ではないか。これが創価学会なんだよ」
 「戦うんだったら、断じて勝て!」
 その通りに、私たち青年部は、語り、叫び、戦い、そして勝ってきた。この学会精神の真髄を、埼玉青年部は、厳然と受け継いでいただきたい。
 師弟が根幹 
 一、師弟こそ、仏法の根幹である。真実の人間性の極致である。
 わが戸田先生は、仏法の上からも、人生の上からも、師弟の関係こそ、一つの正しい生き方の規範であることを厳しく教えられた。
 この人間の根本のつながりを疎かにして、真実の社会の繁栄、発展はない。それどころか、平和もなく、調和もない、畜生以下の無秩序の社会になりかねない。
 学会の「師弟の世界」こそ、本当の「人間性の世界」であり、真の「異体同心の世界」である。
 この麗しい学会を乗っ取ろうとか、自分の欲望のために利用したり、壊そうとする悪い人間が出たならば、徹して戦え! 叩き出していけ!──と恩師は厳しかった。
 異体同心でなければならない。その根幹が師弟である。だから、師弟を叫んでいくことが大事なのである。
 広宣流布とは、一面では、権力の魔性との壮絶な闘争である。
 魔性との戦いが、本当の信心の姿、学会の姿、広宣流布の姿である。
 アメリカの女性作家パール・バックのお母さんの言葉を、埼玉の友に贈りたい。
 「なにが起ころうと、立ち向かうよりほかに道はないのです。そう決心した瞬間、心はすっかり平静になった」(パール・バック著・木村治美訳『娘たちに愛をこめて』三笠書房)と。
 我らも、断じて恐れてはいけない!
広宣流布は権力の魔性との戦い
断じて恐れるな!
文豪の母 「立ち向かおう」と決めれば心は平静
 
 男性が立て! 
 一、きょう参加しておられる、平川主任女性部長、小熊関東婦人部長も、一番大変なところへ、よく通っていかれた。
 ナポレオンが、人生の晩年に、こう語ったことがある。
 「私は、女性と十分に対話できなかったことを後悔している。女性からは、男たちがあえて私に語ろうとしない多くのことを、学ぶことができる。女性には、まったく特別な独立性があるのだ」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社から)
 天才ナポレオンも、わが人生を振り返り、女性の智慧に学ぶことができなかったことを反省したのであろう。
 男性幹部は、絶対にそうなってはいけない。女性に学び、女性を尊重していくことだ。
 私は女性を大事にしてきた。大阪の戦いも、女性が力を発揮して勝利した。そういう学会に変えてきたのである。
 広布前進の原動力は、女性である。
 婦人部、女子部の皆さんが、一生懸命やってくださっているから、学会は勝ってきた。それを男性諸君は絶対に忘れてはならない。
 また女子部の皆さんは、活動で帰宅が遅くなることのないよう十分に注意心てもらいたい。
 周囲の幹部も、常に無事故を呼びかけ、大事な女子部を守るため、よくよく配慮していただきたいのである。
 ともあれ、今こそ、男性が勇敢に立ち上がる時ではないだろうか。
 男性の皆さん、どうだろうか!
〈「はい!」と会場の壮年・男子部から力強い返事があった〉
 共々に 師弟の道 希望の道 勝利の道を