関西最高協議会(上)
一、常勝関西、万歳!
常勝関西、おめでとう!(大拍手)
7年ぶりに、大好きな関西の地に、ついに来ることができました。お元気な皆様にお会いできて、うれしい! 本当にうれしい!(大拍手)
わが関西は、1年ごとに大発展し、それはそれは、盤石にして完璧なる「常勝不敗の大城」をつくり上げてこられた。
素晴らしい大関西になった。
21世紀に入ってからも、関西の同志は、あらゆる広宣流布の戦いを、一切、威風堂々の完全勝利で勝ってくださった。私は、心から、うれしく思っております。
これからも、関西が、ありとあらゆる次元から見て、日本全国、いな、全世界の模範となり、手本となって、広宣流布のために、光り輝く創価の大前進をされゆくことを祈りたい。
常勝第2幕を!
一、仏法は勝負である。
勝てば、皆が歓喜し、誇りにあふれる。
負ければ、人にみくびられ、ばかにされる。
戦うからには、断じて勝たねばならない。
ともあれ、きょうは、久方ぶりに、関西の最高協議会に参加することができた。
関西は、「わが家」である。家族の集いである。楽しくやりましょう!
栄光の「常勝第2幕」が晴れ晴れと開かれたことを、互いに喜び合いたい(大拍手)。
一、「新しい時代」である。「新しい発想」で、「新しい人材」に光を当てながら、「新しい陣列」を築き上げたところが、必ず勝利する。
どうか、今回はお会いできなくとも、思い出多き同志の方々に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
「関西」と聞くと、あの友、この友の懐かしいお顔が、すぐに思い浮かぶ。
今も、草創の同志が、第一線でかくしゃくと頑張ってくださっている。さらに、後継のご家族が立派に戦っておられる。私は本当にうれしい。
さすが関西と、喝采を贈りたいのである(大拍手)。
また、とくに、深き真心で、題目を送ってくださっている婦人部、女子部の皆さま方、本当にありがとう!
この真剣な同志の題目に勝る力はない。
まさに大関西の常勝城ができ上がった。
私と妻も、大阪、京都、滋賀、福井、兵庫、奈良、和歌山の関西7府県の限りない大発展、そして、愛する全同志の無事安穏と幸福常勝を、心からお祈りしています。
きょうは、記念の一首をお贈りしたい。
強くあれ!
一、人生には、喜びの山もあれば、苦しみの坂もある。
何が本当の幸福となるのか。
たとえ、幸せそうな結婚をしても、現実は、不幸のどん底という場合もある。一方、独身で毅然と幸福を勝ちとっておられる方々も多い。
所詮は、だれかに幸福にしてもらうのではない。自分自身が強くなるしかないのだ。
そして、創価学会という麗しき"家族"のなかで、広宣流布に生き抜いていく。これ以上の幸福はないことを知っていただきたい。
ともどもに、仲良き関西家族として、わが人生を勝ち抜いていきましょう! 頼むよ!
一、仏法の根本は、「恩を知り」「恩に報いる」ことである。
信心の世界で、学会に、先輩に、お世話になってきた分、妙法に尽くし、同志に尽くしていく。それが創価学会の心である。
反対に、同志のおかげで社会的に偉くしてもらったにもかかわらず、見えっ張りになり、有頂天になって、創価学会を下に見るならば、何という増上慢か!
こうした恩知らずを、関西は絶対に許してはならない。
わが身を削って
一、私は、戸田先生に報恩の誠を尽くしてきた。ご家族も真剣にお護りしてきた。
一点の悔いもなく「師弟の道」を歩んできたと、私は、御本尊の前で誓って申し上げることができる。
わが師が苦境にあったときである。師匠が難に遭い、苦しんでいるのを、面白がって見ている幹部がいた。
師匠を倒せば、自分が威張れる。そういう醜い魂胆の幹部もいた。
人間の心は怖い。心で決まる。「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である。
私にとって信用できるのは、戸田先生だけであった。
希望の神戸に芸術の大城
饒先生 「美事な復興の姿に心から感動」
中国文学の母
風よもっと吹け 若き心を試すがよい
風よもっと強く 汝に鍛えられ力を得る
苦難の烈風のなか、戸田先生は私に言われた。
「君が一人いればいいんだ!」「大作、頼んだぞ!」と。
私は、一人、敢然として、忘恩の人間、裏切りの輩と戦い抜いてきた。
宗門と退転者が結託した、学会乗っ取りの陰謀も、断固と打ち返し、勝ってきた。
書いて書いて書き続けて、著作の印税も、学会や創価学園、創価大学などのために使ってきた。
疲れ切った体で、夜遅くまで、小説や詩を口述し、それを、妻が書き取ってくれたことも、たびたびである。
いずれにせよ、自分のために何かを残そうという考えなど、まったくなかった。
わが身を削って、世界一、宇宙一の人間主義の組織をつくってきたのである。
大切な関西の皆さんだからこそ、明快に申し上げておく(大拍手)。
関西が師弟の心を護り抜け
一、牧口先生と戸田先生。
戸田先生と私。
ここにのみ真実の師弟がある。
そして、いよいよ関西に、本物の「師弟」の人材城を築き上げていく時である。
東京など、はるかに見おろして(笑い)、関西が一段と模範になっていく時代に入ったと、私は宣言したい(大拍手)。
関西が、私の後を継いで、「師弟」を叫びきっていくのだ。
関西が、一致団結して、本当の「師弟の魂」を護っていくのだ。
それが、わが関西の決心であり、誓いであっていただきたい。
関西の皆さん、頼みます!
なんの遠慮もいらない。常勝関西の大前進で、全国を、全世界を揺り動かしていただきたい!(大拍手)
一、「世界の関西」である。
今回、SGIの秋季研修会に来日された、世界60カ国・地域220人の広宣流布の指導者の方々も、喜び勇んで関西に集われる。全世界の同志にとって、大関西は憧れの天地である。
この関西から、世界広宣流布の新時代へ、スクラムも固く、新たな、晴れ晴れとした勝利の一歩を踏み出しゆく意義は、計り知れない。
運営の皆様方にも、さまざま、お世話になります。心から御礼申し上げます。
日中国交正常化35周年を祝福!
一、ここ関西池田記念会館から、車で約50分──。
先般、神戸の関西国際文化センターで開催された、中国の学術界・芸術界の至宝であられる、国学大師の饒宗頤先生の芸術展も、おかげさまで大成功であった。
中国と日本の「国交正常化35周年」を慶祝するにふさわしい、まことに歴史的な展覧会となり、改めて感謝申し上げたい。〈開幕式は10月2日。同28日に閉幕〉
饒先生も心から喜ばれ、関西の皆様方に御礼の思いを述べておられた。
じつは、世界各地へ学究の歩みを運ばれた饒先生が、海外への第一歩を印したのは、日本の神戸であった。
それは、1954年(昭和29年)の春のことである。
その思い出深き関西での展覧会に来日された饒先生は、今回の滞在中、6篇の詩をつくられた。
その中で、饒先生は、法華経の[如来寿量品第16」の「我浄土不毀」(我が浄土は毀れず)の経文を踏まえて、詠まれている。
「崎嶇(険しい道)こそ浄土であると心に刻む」と。
その心情を、饒先生は私に語ってくださった。
「今回、最も感動したことは、神戸の方々が大震災を乗り越えて、美事に復興されたことです。
そして大地震を経ながらも、希望のシンボルとして、創価学会があのように素晴らしい文化の城(関西国際文化センター)を築いたことです。
私は、復興に向けてのお話を聞きながら、『崎嶇(険しい道)こそ浄土である』と感じたのです。
私が『崎嶇(険しい道)』の二文字を使ったのは、『繁栄』も容易なことではないと言いたいためです。
歴史に残るような偉大なことは、大きな艱難があって、それを乗り越えて成し遂げられる。
これは、学問や芸術についても同じであり、はじめに『崎嶇(険しい道)』ありきなのです。
これが私自身の体験から言えることであり、強く感じていることです」と。まことに、味わい深いお話である。
「東洋のレオナルド・ダ・ヴインチ」とも謳われる饒先生は、わが大関西の強さの本質を、鋭く、また的確に洞察されている。
「浄土」と言い、「寂光土」と言っても、何の苦難も、何の障害もない世界のことを言うのでは決してない。
それは、いかなる艱難にも断じて負けない、いな、艱難があればあるほど燃え上がる、人間生命の常勝不敗の一念にこそあるのだ。
この不敗の一念こそ、わが「関西魂」であり、わが「関西スピリット」である(大拍手)。
また饒先生は、法華経の「我が浄土は毀れず」について、火の海にも焼けない「浄土」とは」「心の中にあるもの」とも語っておられた。
ともあれ、どんな厳しい戦いにあっても、断固として乗り越え、勝ち越えてみせる、関西の大行進が、世界に、そして人類に、どれはど大きな「勇気」と「希望」を贈り続けゆくことか。
その使命と栄光を、誇り高く、朗らかに自覚しながら、厳然と勝利また勝利の歴史を重ねてまいりたい(大拍手)。
自分を変えたい 他の人に学ぽう
一、饒先生は、はつらつと語られていた。
「私は、80年以上にわたり書をしたためてきましたが、今でも師匠が必要だ、他の人に学ぼう、より多くの分野を学ぽうと思っています。こうした心により、力も増してくると思います」
「自分は90歳になりましたが、いまだに満足していません。まだ自分を改革したい。だから、自分の作品は変化が多い。最近、どんどん違ってきています」と。
生ある限り、惰性を排し、停滞を打ち破って向上を止めない。
創造の生命を躍動させて、「自己変革」を続け、「人間革命」の旅路を続けゆく人が、人生の勝利王だ。
その究極の推進力こそ「師弟の道」なのである。
法華経の「如来寿量品」には、「未曾暫廃(未だ曾て暫くも廃せず)」とも説かれる。
戸田先生も、よく言われた。
「仏が『未曾暫廃』であられたのだから、使命に生き抜く私も頑張らなければならない」と。
もちろん、青年こそ「未曾暫廃」であらねばならない。
また、関西は、綿宝会の同志も意気軒高であられる。
ますます、お元気で! お達者で!──と祈りつつ、一首を贈りたい。
真心の
また真心の
三世まで
変わらぬ心は
仏になるらむ
丁寧な言葉細かい配慮
一、先日、「中華全国婦女連合会(婦女連)」の代表団が来日された。王乃坤団長(婦女連の書記処書記)はじめ一行の方々は、大阪、兵庫を訪問し、関西婦人部の皆さん方と交流された。
聡明な女性指導者である王団長は、感嘆しておられた。
「婦人部のリーダーの皆さんは、とても元気で、太陽のような輝かしい笑顔、礼儀正しく、言葉遣いも親切・丁寧です。細かいところまで配慮される姿勢を、私たちも学ばせていただきました。池田先生の指導通りに行動され、他者のために尽くされる姿勢を感じました」
地道な婦人部の皆様方の誠実な、人間性の極地の振る舞いこそ、友好を広げ、平和の文化を創出していく力である。
戸田先生は言われていた。「広宣流布は、女性の力でできる。『女性は偉大なり』である」と。
心を動かすのは、策ではない。行動せずして、ただ会議だけを重ねているのは、空転である。
私は一つ、また一つと、基本を大切にして、誠心誠意、言葉を尽くし、相手の幸福のために手を打ってきた。だからこそ今日の学会がある。この一点を、後継のリーダーの皆様は知らねばならない。
王団長は、東京牧口記念会館の芳名録に「創価精神 永世相伝」(創価の精神を、ともに永遠に伝え広めていきましょう)と記してくださった。深い友誼と理解に、心から感謝申し上げたい(大拍手)。
〈王団長は、こうも語っている。
「英知が光り輝く高邁な人格者──それが池田先生です。
先生は、創価学会の婦人部に信頼を寄せ、励ましを送り続けられています。婦人部の皆さんはとても幸福だと思います。
創価学会には婦人部が設置され、女性会館が建設されています。創価女子短期大学もあります。先生が、どれだけ女性に対して尊敬の念を持たれているかが分かります。
先生がここまで信頼されるのも、婦人部の皆さんが、各分野で活躍をされ、大きな役割を果たしておられるからだと感じます。先生の平和・文化・教育の理念を実現するために、多大な貢献をなされているからです」〉
花華絢爛!幸の婦人部
一、私ども夫婦が深い交友を結ばせていただいた偉大なる女性に、中国文学の母・謝冰心先生がおられる。
私と妻は、1980年(昭和55年)4月、静岡と北京で、2度、お会いした。
〈2004年9月に、「冰心文学館」から名誉会長に同館の「名誉館長」、名誉会長夫人に「愛心大使」の称号が贈られた〉
謝冰心先生は謳われた。
「風よ もっと吹け!
若き心を試すがよい。
風よ もっと強く吹け!
汝に鍛えられて、我らは、濁悪の社会と戦う力を蓄えるのだ」
関西婦人部、女子部に光る学会精神もまた同じだ。
きょう私は、晴れ晴れとした心で、関西婦人部の皆様に詠み贈りたい。
常勝の
大関西を
飾りたる
花華絢爛
幸の婦人部
一、苦楽を共に戦い続けてきた、関西の草創の同志が、私の心から離れることはない。
亡くなられた忘れ得ぬ大功労の方々には、懇ろに追善の題目を送らせていただいている。今朝も、妻とともに真剣に唱題をさせていただいた。
関西の同志は、どの友も懐かしい。
初代の大阪支部長だった白木義一郎さんのことを、私は「義っちゃん、義っちゃん」と呼んでいた。
白木さんは、初代の大阪支部婦人部長を務めた文夫人とともに、「常勝関西」の土台をつくりあげてくださった。
関西の皆様に思いを致せば、尽きることがない。ここでは、代表の方々のお名前をあげさせていただく。
矢迫久子さん(大阪支部常任委員)。
沖本泰幸さん(大阪支部・支部幹事)。
玉置正一さん(初代松島支部長)。
大井満利さん(第2代大阪支部長)。
立花仁六さん(理事)。
佐伯幸一さん(大阪支部・初代地区部長)。
川坂久子さん(初代堺支部婦人部長)。
福生伊八さん(旧関西本部の初代管理者)。
京都の宮下芳郎さん(初代京都支部長)。
丸鈴子さん(初代京都支部婦人部長)。
広谷キヌさん(第2代京都支部婦人部長)。
滋賀の田中喜代三さん(本部指導長)。
福井の刀根新兵衛さん(初代敦賀支部長)。
兵庫の浦嶋秀雄さん(初代湊川支部長)。
北角巌さん(初代神港支部長)。
幸田龍一さん(初代西宮支部長)。
岡本富夫さん・京子さん夫妻(初代梅田支部長・支部婦人部長)。
奈良の有馬猶二郎さん(初代奈良支部長)。
和歌山の坂井増蔵さん(田辺支部・支部幹事)。
草創の創価の父母たちの心を受け継いで戦う、後継の皆様方に、私は贈りたい。
父母も
いつも微笑み
見つめなむ
あなたの法戦
勝利の指揮をば