人生の基礎工事を深く盤石に
私の一身は、令法久住のため、広宣流布のために捧げている。いわゆる栄誉とか、名聞名利は、決して望んでいない。ひたすら、次代の指導者を輩出して、この大偉業を受け継いでもらいたいだけである。
偉大な仕事をする場合は、それだけの労力と非難がつきものである。恐れてはならない。一切の偉業は後世の歴史家が証明するものである。いな、大御本尊が一切を裁かれることであろう。
そのためにも、勉強をしなくてはならない。体験をつまなくてはならない。苦労をしなければならない。それを避けては真実の仏法の指導者にも、民衆の指導者にもなれない。虚像の人間になるな。実像の力ある広布の人材になってもらいたい。われわれの偉業は、前代未聞の開拓であり、建設である。歴史上かつてない大正法を基調とした平和社会への変革であるがゆえに、その本義を知らぬ人々からの非難は当然であるといってよい。
非難に負け、非難を恐れる人々は、もはや妙法の革命児という名に値しない。未来に大成するには、信心の基本即人生の規範を深く知り、実践していくことが肝要である。高層建築を作るには、それだけの基礎工事が深く盤石でなければならないのと同じである。青年時代は、その基礎工事の土台作りの作業と知るべきである。
伸一会は、いうなれば二十一世紀の学会のリーダーである。その使命と責任を忘れてはならない。したがって、法友を慈しみ、信心根本に忍耐の人であっていただきたい。すぐに、感情的になる人は、人々が離れてしまうからだ。
協調しあうということ、連帯しあうということは、社会にあっても、人間世界にあっても、まことに大切なことである。仏法は社会の中に顕現しなければならない。その意味においても、指導者たるものは、この点を留意するべきである。協調、連帯ができぬようであるならば、指導者の資格はなくなってしまうことを知るべきである。
【昭和53年1月5日 第6回伸一会総会】