各部最高協議会 上

新しい自分を 新しい挑戦を
「私が『やりたい』と思うことは全部できるのだ」=トルストイ
アメリカの心理学者=新年は自己変革を始めるチャンス



一、「人材・拡大の年」の開幕、大変におめでとう!(大拍手)
 きょうは、お正月の休みの中、また寒い中、本当にご苦労さまです。
 全国、全世界の尊き同志、また大切な友人の皆様方にも、新年のごあいさつを申し上げたい。
 年末から年始にかけて、学会本部には、各地から多くの方々がお見えになり、深き真心から新春を祝賀してくださいました。
 特に今年は、世界中で、私の80歳の誕生日を祝ってくださった。世界の各地からいただいた祝電や新年状も、過去最高の数となりました。
 この席をお借りして厚く御礼を申し上げます。
 さらに、年頭から日本一の新年の勤行会等の運営に当たってくださった創価班、牙城会、白蓮グループ、白樺グループなど、すべての役員の皆様方、本当にありがとうございました(大拍手)。
 心からの感謝を込めて、晴れわたる元日に詠んだ一首を捧げたい。



 創価
  朝日に輝く
     三色旗
   君も私も
    勝利に輝け



 この一年もまた、元気で、健康で、新たな黄金の歴史を築いてまいりたい(大拍手)。


 旭日のごとく 
 一、ご存じのように、「元日」は「年の最初の日」であり、「元旦」は「年の最初の日の朝」を指している。
 漢字で「元」は始まりを意味し、「旦」は太陽が地上に現れることを示しているとされる。
 また元旦・元日は、「日」「月」「年」の三つの「元」でもあるため、「元三」「三朝」「三元」「三始」ともいう。
 有名な「十字御書」の一節には、次のように仰せである。
 「正月の一日は日の始めであり、月の始めであり、年の始めであり、そして春の始めであります。これを正法をもって祝う人は、月が(その出る位置が)西から東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡って行くにしたがって明らかになるように、徳も勝り、また人々にも愛されるのです」(御書1491ページ、通解)
 日蓮大聖人は、正月の初めに真心の供養を届けられた門下の信心を、最大に賞讃された。
 年初より、広布のため、妙法のために尽くしゆく尊き友の福徳が、どれほど大きいか。そのことを深く確信していただきたい(大拍手)。


 「毎日が元旦」と 
 一、スイスの大教育者ペスタロッチは語った。
 「元日は、この一年間がわたしたちにとってどんな年になるか、そのいっさいが始まる日です」(佐藤正夫訳「新年講演」、『ぺスタロッチー全集第10巻』所収、平凡社
 元日を大切にしたペスタロッチは、自らが創立した学園で、毎年、この日に、新たな息吹で年頭のスピーチを行うのが常であった。
 1810年の元日、彼は、若き学園生たちに呼びかけた。
 「いっさいの悪に抵抗し、いっさいの善に味方する、心の勇敢な、精神の強い人間になってください」(同)
 さらに、ぺスタロッチはこう語った。
 「兄弟姉妹達よ、きょうは我々にとって新たな団結の日である。
 我々の事業は我々にとって新らしく、我々の目的は我々にとって新らしく、我々の力は新らしく、我々の意志は新らしくあれ!」(四本忠俊訳「学園講演集」、『ペスタロッチ全集第3巻』所収、玉川大学出版部。現代表記に改めた)
 指導者の新しい決意みなぎる、新しい声の響きが、新しい前進の力を生むのである。
 私が会談した高名な心理学者で、ハワイ大学名誉教授のアンソニー・マーセラ博士は、鋭く洞察しておられた。
 「私の専門である心理学的に言っても、一つの年が暮れ、新しい年の始まる瞬間は新鮮な決意をする大きな動機づけとなる。
 新年の始まった直後は世界中が、時の流れ、生命、そして生命の意味といったものに対して深遠でかつ強烈な意識を持つように思われる。更に、たとえどんなに小さな決意でさえも、宇宙大の確固たる確信となりうる。
 このように新年の決意というものは重要な意義を持つゆえに、軽視されるべきものではない。
 事実、新年に際して新しく変わろうとする努力は、生命の深くに根差した生まれ変わるという原初的な衝動に発していると主張する人もいる」
 「どんなに些細に思われる目標であっても、それはより大きな、人間の蘇生への欲求の一部とみなすことができる。
 それは一人一人の中にある、どんなに苦しい人生を歩んできても、どんなに自分自身の行動に失望しても、新年にはまた新しくスタートすることができる、自己変革ができるという実感である。
 このように、新年は自己の変革に挑戦する決意をする、またとないチャンスである」
 こうした観点からも、新たな前進を誓い合う学会の新年勤行会は、重要な意義をもっているといえよう。
 また、各国や各都市において、創価の師弟を祝賀してくださる行事が行われている。
 国によって、政治の体制も異なる。宗教も、文化も多様である。
 そのなかにあって、仏法を基調とした創価の平和・文化・教育の連帯が、SGIの良き市民の連帯が、これほど、理解と共感と信頼をもって受け入れられてきたことは、奇跡であるといっても過言ではない。
 ともあれ、南無妙法蓮華経は「久遠元初の法」である。それを唱え行じゆく、私たちの胸中には、久遠元初の仏の生命が赫々と輝いていく。
 御書には「久遠一念元初の妙法」を受け持つことは、「最極無上」の法を授かるということである、と示されている(867ページ)。
 妙法を受持し、広宣流布に生きゆく私たちにとっては、毎日が「久遠元初」であり、毎日が「元旦」である。ゆえに、常に元朝の旭日のごとく、清新な蘇生の光を放ちながら、日の出の勢いをもって向上していくことができるのだ。


 人類の灯台 
 一、ここで、先哲の言葉を皆様に贈りたい。
 ロシアの大文豪トルストイは述べている。
 「『自分には、これはできない』という言い方は誤りである。『今までは、これができなかった』と言うべきである。
 この現在の一瞬、私がやりたいと思うことは全部できるのだということを、私はまぎれもなく知っている」
 大事なのは「これから」だ。未来である。
 自身の壁を破り、新たな歴史を開きゆく一年でありたい。
 スイスの思想家ヒルティは綴った。
 「人間や境遇を測るのに財産をもってしてはならない」(斎藤栄治訳『ヒルティ著作集第2巻』白水社
 人間の偉大さは行動で決まる。大切なのは、人々のため、社会のために何をなしたかだ。
 ドイツの大哲学者ショーペンハウアーは述べている。

全国の役員の皆様、ありがとう!
日本一の集いから希望の出発

 「偉大な精神たちは、人類の灯台であって、これらがなければ、人類は怖るべき誤謬と荒廃の果てしない大海に没してしまうであろう」(細谷貞雄訳『知性について』岩波文庫
 ショーペンハウアーは、欧州でいち早く仏教に注目した人物の一人としても知られる。彼は、仏教が、生命への慈愛に満ちた、平和と寛容の宗教であることに着目していた。
 私と対談集を発刊した「欧州統合の父」クーデンホーフ・カレルギー伯爵も、“ショーペンハウアー仏教徒でした”と語っていた。
 そして、ショーベンハウアーの哲学から自身も影響を受けたと述べ、世界随一の平和の宗教である仏教が、新しい文明の形成に大きな役割を果たすだろうと期待を寄せてくださったのである。
 今、創価人間主義の哲学は、人類の「希望の灯台」として輝き、人々を照らしている。
 世界からの期待と賞讃は、ますます大きくなっているのである(大拍手)。


 学会を護り抜け 
 一、我らが目指す広宣流布の山の登はん。
 それは人類未到の壮大なる挑戦である。
 それはまた、一次元から言えば、仏と魔との熾烈な闘争にほかならない。ゆえに楽をして勝てるわけがない。
 人類の平和と幸福のために、広宣流布の団体である学会は、断じて負けてはならないのだ。
 そのためにリーダーの要諦を語っておきたい。
 学会のリーダーは、学会を護るために、命がけで戦うのだ。
 学会員に命がけで尽くすことだ。
 口先ではない。責任である。行動である。決意である。
 要するに、最高幹部が犠牲になって、苦労していく以外にない。
 これが栄えていく根本だ。
 どんなことがあっても、学会を護り、師匠の精神を護り抜く。
 それが創価三代に流れる師弟の心である。
 この一点があるかどうか。この一点を確立していかなければ、永続はできない。
 重要なことを、最高幹部の皆さんには申し上げておく。



平和の世紀を我らの手で
政治や宗教の差異を超えて 人間を結ぶSGIの"良き市民"の連帯
ドイツの哲学者=仏教の「生命への慈愛」に共鳴



 そして、青年を「使う」のではなく、青年に「尽くす」のだ。
 やらせるのではなく、幹部自らがやって見せて、正しく導いていくのである。
 私が対談したインドの大科学者スワミナサン博士(「パグウォッシュ会議」前会長)は語っておられた。
 「青年を育てあげるべきです。青年に嫉妬を抱かず、青年を育てるように努め、そして青年の成長を認めるべきなのです」と。
 青年に嫉妬する──そんな低次元の幹部など必要ない。
 学会は、全世界に、そして宇宙にまでも、永遠に広宣流布をしていく団体である。全然、スケールが違う。
 広々と大きな心で青年を包み、育てていってもらいたい。



 幹部はいたが… 
 一、恩師の戸田先生も、青年である私に、すべてを託された。
 戸田先生の時代にも、幹部は大勢いた。
 しかし、戸田先生が事業に失敗され、窮地に陥ると、周りは一変した。
 そそくさと逃げ出す者。
 「戸田のバカ野郎!」と文句を言う者。
 戸田先生が誹謗中傷されるのを見て、卑劣な笑いを浮かべる者すらいた。
 その根底は、偉大な先生への焼きもちであり、醜い保身と畜生根性であった。
 仏法は「不惜身命」ではないか。
 法華経の行者に、難や迫害は当然ではないか。
 それなのに、なぜ幹部は先生を護らないのか。戦わないのか。何を甘えているのか。
 「沈黙することはその敵にわが身を結びつけるほどの卑しい下劣さである」(中山昌樹訳『ダンテ全集第4巻』日本図書センター)との詩聖ダンテの叫びが、若き私の胸に、こだましていた。
 戸田先生は、常々、「怖いのは内部だ」と言われていたが、その通りの無慈悲な情けない姿であった。
 私は戦った。
 青年らしく、弟子らしく、先生を厳然とお護りした。
 月給もなく、真冬でもシャツ一校で、借金の返済に駆けずり回った。
 嘘八百の人間には、どこへでも出かけていって抗議をした。
 早朝でも深夜でも、何かあれば、隼のごとく、先生のもとに飛んで行った。
 そんな弟子は、だれ一人いなかった。
 この嵐の中で、戸田先生は、28歳も年下の私に全幅の信頼を寄せてくださったのである。
 「だれも信用できない。信用できるのはお前だけだよ」と。
 大難と戦う師匠を支えたのは、名のある幹部や名士ではなかった。無名の一青年であった。
 一番信頼できるのは、いつも純粋な会員の方々である。それが広布の歴史の真実である。



 師の命を継いで 
 一、当時、肺を病んでいた私を心配され、戸田先生は、「大作は30まで生きられない」と号泣された。
 また先生は、「私の命をやる」とまで言われ、「大作が生き長らえるように」と祈ってくださったのである。
 私は折伏もやった。不可能と言われた「大阪の戦い」にも勝った。
 先生亡き後も、先生の心を継いで、死にものぐるいで働いた。
 そして、今、愛する同志とともに、日本一、世界一の創価学会を築き上げたことを、わが恩師に、謹んでご報告申し上げたいのである(大拍手)。
 戸田先生にいただいた命によって、80まで生きることができた。
 妻とともに健康で戦うことができた。
 今は先生への報恩感謝の心でいっぱいである。
 これが創価の師弟である。美しき生命の結合である。
 この心を、私は、信頼する創価の青年に託していきたい。



リーダーが獅子吼せよ
声を惜しむな! 語りまくれ!

アフリカの智慧に学べ                                     夜は長くとも昼は必ずやってくる                                困難の時の友人が最善の友人                                 真の友情とは誠実さに満ちている



 真実は黄金のごとく輝く! 
 一、さて、話を世界に向けてみたい。
 「アフリカは未来の国であります」「世界の将来はアフリカで決定されるだろう」(野間寛二郎訳『自由のための自由』理論社
 これは、ガーナ独立の指導者エンクルマ初代大統領の確信であった。
 私も同じ信条である。
 私自身、「21世紀はアフリカの世紀である」と一貫して主張してきた。
 1960年(昭和35年)、アフリカ大陸で17の国が独立を果たした。この年の10月、私は、ニューヨークの国連本部を訪れた。
 そこで、新たに国連に加盟した、はつらつとしたアフリカ諸国の代表の姿を目の当たりにしたことも懐かしい。
 今年は、「日本アフリカ交流年」である。
 それに先駆けて、先日、創価国際友好会館に、在東京アフリカ外交団の代表として、9カ国の駐日大使の方々をお迎えすることができた。
 光栄にも、まことに意義深き「感謝状」を賜り、深い歴史を刻ませていただいた。
 人類の母なる大地・アフリカの英知の言葉は、まことに味わい深い。
 ここで、その一端として今回、お越しくださった9カ国にゆかりの格言を紹介させていただきたい。
 まず、セネガル共和国の格言。
 「真実は、黄金のようなものである」
 ガボン共和国の格言。
 「針が通らなければ、糸は続かない」。道を開く人が大事なのである。
 コンゴ民主共和国の格言。
 「どんなに夜が長くとも、昼は必ずやってくる」
 ザンビア共和国の格言。
 「太陽が昇っている間に、夜のための薪を集めなさい」。未来のため、勝利のために、周到な準備を、というのである。
 ジンバブエ共和国の格言。
 「私たちは果実を食べる時、花に感謝する」。私たちも真の恩人を忘れてはならない。
 エリトリア国の格言。
 「卵は、少しずつかえってくる」。日々の地道な努力が大切である。
 ケニア共和国をはじめスワヒリ語の格言。
 「勇気は、決意の産物である」
 ルワンダ共和国の格言。
 「困難の時に訪ねてくる友人が、最善の友人である」
 最後にエジプト・アラブ共和国の格言。
 「真の友情とは、誠実さに満ちていることである」
 アフリカの同志の活躍も発展も目覚ましい。
 私も、アフリカ大陸との友情を一段と深めながら、「アフリカの世紀」の前進に、さらに貢献していく決心である。


 一、ここで御聖訓を拝したい。
 「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわ(破)る」(御書1316ページ)と仰せである。
 一年また一年、一日また一日、師子王の心をみなぎらせて、妙法を朗々と唱え、そして新鮮な音声を発しゆくことだ。
 その師子吼こそが、わが正義の陣列を勇気づけ、邪悪の魔軍を退散させていくからである。
 ともあれ、かの大教育者ぺスタロッチも、元日より、さっそうと、声高らかに青年を励ましていった。
 リーダーは、声を惜しんではならない。
 語って語って語りまくることだ。
 しゃべって、しやべって、しやべりまくることだ。
リーダーの「確信の声」「安心の声」「正義の声」が新たな時代を開くのである(大拍手)。
    (下に続く)