功徳について

伸一は、日蓮大聖人の仏法こそ、経文のうえからも法理のうえからも、最高の教えであることを訴えるとともに、その功徳は、「冥益」となって現れることを述べていった。

「功徳には、祈りの結果が、直ちに目に見える利益、つまり顕益と、目には見えない利益である、冥益とがあります。大聖人の仏法は、このうち、冥益が主となって、私たちに幸福をもたらしてくれます。

 ある場合には信心してすぐに病気が治るということもありますが、本当の功徳とは、信心をしたら大金が手に入ったとかいうものではありません。『棚からボタモチ』のような、自分は何もせず、どこからか幸運が舞い込んでくるのが功徳だとしたら、かえって、人間を堕落させてしまいます。

 では、冥益とは何か。

たとえば、木というものは、毎日、見ていても、何も変化しないように見えますが、五年、十年、二十年と信心に励むうちに、次第に、罪障を消滅し、宿命を転換し、福運を積み、大利益を得ることができるのが冥益であり、それが大聖人の仏法の真実の功徳なのであります。」

 多くのメンバーが、功徳といえば「顕益」と思い込んできた。それだけに、「冥益」の話に、驚いた人もいた。伸一は、皆に、正しい信仰観を確立してほしかったのである。

「冥益といえば、言い換えれば、信仰によって、生命力と智慧を涌現し、人格を磨き、自らを人間革命して、崩れざる幸福境涯を築くということでもあります。

したがって、焦らず、弛まず、木が大地に深く根を張って、大樹に育っていくように、学会とともに、広布とともに生き抜き、自らの生命を、磨き、鍛えていっていただきたいのです。そうして、十年、二十年、三十年とたった時には、考えもしなかった幸福境涯にいなることは間違いない、と断言しておきます。」

『新・人間革命』 第8巻 布陣