222 新世紀の電源地・埼玉




 「勝つ」と決めた一念ほど強いものはない。 フランスの哲人アランも、こう言っている。 「人間が道を切り拓いていくための原動力は自分自身の意志のなかにしか見つからない」(山崎庸一郎訳)

 ちょうど五十年前の、一九五一年(昭和二十六年)九月のことである。 私は、夕暮れの池袋駅から東武東上線に乗った。 電車は板橋を抜け、今の地名で、和光、朝霞、新座、志木、富士見、上福岡と、家々に明かりが灯る埼玉の天地を走り、やがて川越に着いた。 埼玉の志木支部川越地区の「地区講義」を担当するためであった。

 過日も紹介した通り、戸田先生は会長就任後、命を削って「法華経の方便品・寿量品講義」や「御書講義」を開始してくださった。 それと合わせて、私たち弟子の中から、まず二十四人を「講義部員」に任命し、一人ひとりが、組織の第一線で、御書講義を担当するよう命ぜられたのである。

 地区講義を担当することになった講師には、私も含めて青年が多かった。 現場第一である。実戦第一である。 これが、稀有の師であられる戸田先生の、弟子たちに対する訓練であった。 それだけに、先生がしてくださる、担当者への事前の講義は峻厳であった。

 先生は、講師の根本精神をこう教えてくださった。 「ただ講義すればいいというものではないぞ。皆に信心の楔を打ってくるんだ!」 「戸田の名代として、毅然として行ってきなさい!」 その言葉は、私たちの胸に突き刺さった。 当時、私は、教学部の助師で、男子部の班長であった。年齢は二十三歳。あまりにも若かった。 しかし、わが胸には?戸田先生の名代なのだ″と、誉れ高き使命の炎が燃え立っていた。 師弟不二の師匠に仕え、甚深の心を体して、私たちは広宣流布地涌の戦士として戦える。この世の人生にあって、これ以上の名誉と誇りがあろうか!

 私が講義した御書は、次のような諸御抄であった。 「日厳尼御前御返事」「佐渡御書」「治病大小権実違目」「聖人御難事」「如説修行抄」「松野殿御返事」「生死一大事血脈抄」「三大秘法禀承事」「阿仏房尼御前御返事」「日女御前御返事」「寺泊御書」などである。一回一回の真剣な講義が、同志の勇気の源泉となり、人間革命の力となり、世界広布への絶大なるエネルギーとなっていった。

 だからこそ、毎回毎回の講義は必死であった。真摯に研鑚に励み、題目をしっかり唱え、満々たる生命力で臨んだ。 最初のころは、まだ、御書全集が発刊される前であり、参加者の中には、拝読御書の教科書でもある『大白蓮華』さえも持っていない人がいた。

 しかし、耳からでもよい、皮膚からでもよい、日蓮大仏法の精髄を五体に刻んでほしかった。これしか、広布の闘士はできないからだ。 ある日、参加者に「わかりましたか」と伺うと、一人の壮年の元気ある声が返ってきた。 「いや、本当に感動し、気持ちがよかったです。勇気が湧いてきました」 また、一人の壮年が、 「戦います! 私たちは、すごい仏法を、目の覚める思いで自分のものにできました」と。何か、生命で感じてくださったようであった。

 徳川時代には、この川越の城は江戸城の「北の守り」として、大変に重要視されていたようだ。 ゆえに代々の城主は、必ず重臣譜代大名が赴任したと伝えられている。 ともあれ、私は、埼玉の洋々たる未来に思いを馳せた。

 多くの人びとの居住の場所は、東京から、やがて緑豊かな埼玉へと移り、大発展するにちがいない。 そして、埼玉が東京を動かし、全国の広布の原動力となる日が、きっとやって来る。 新しき世紀の広宣流布の大電源地は、必ず、ここ埼玉になると! 私は一人、決意した。

 戸田先生の膝下で戦う弟子として、ここ埼玉の大地に、常勝不滅なる民衆の強固な城を築いてみせると、心に誓った。 私が、あの妙法流布の?川越街道″を通いに通った青春の日々は、足かけ三年にもわたった。一九五三年(昭和二十八年)二月十日は、私が日記にも記した、川越での忘れ得ぬ講義となった。多数の受講者が参加してくださった。

 私が訓練した人は、必ず、その天地で、広宣流布の人材になると、心ひそかに確信を持っていた。また、そうなりゆくことを、深く祈った。 時来りて、埼玉の同志の躍り出る勢いは、朝日の昇るごとく、本当に嬉しかった。

 以来、広宣流布への消えることなき、この光道は、大宮、上尾、熊谷へ、川口、浦和へ、さらに所沢、越谷、三郷、春日部、久喜へと、煌々と光り渡っていったことは、皆様、ご存じの通りである。

 当時、皆で学んだ「阿仏房尼御前御返事」には、次のような一節があった。 「弥 信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにく(憎)まばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり」(御書一三〇八?) 私は訴えていった。

 経文に照らし、御書に照らし、正法正義を叫べば、必ず迫害がある。非難、中傷のつぶてを浴びる。 それは、正義の証明なのである。ゆえに絶対に臆してはならない。 「憎むなら憎むがいい!自分は何も恐れないぞ」と、いよいよ信心の炎を燃やすことだ! いよいよ正義を叫ぶことだ! その人が「如説修行の人」なのである。 御本仏・蓮祖の御指南に一分の誤りもないのだ。

一九九一年(平成三年)の暮れ、私は、浦和の埼玉文化会館を訪問した。 かの邪知と腐敗の日顕宗から破門通告書が届き、如説修行の学会が?魂の独立″を宣言してから、最初の本部幹部会である。その幹部会と合同して、われらの埼玉総会は、堂々と開催されたのである。

 それは、今、懐かしく振り返ると、私が川越に地区講義に入ってより四十年の節目であった。 大埼玉は、あらゆる邪悪の敵を破りに破った。日本最大の広宣流布の県として、模範中の模範となって、誇りも高く、善戦している。 皆が、人材だ。 皆が、学会の柱となった。 「鉄桶の埼玉」は、永遠の歴史に、必ず残るだろう。その大功徳もまた、永遠であるにちがいない。

 私が青春時代から愛読してきた、ドイツの詩人ノバーリスは言った。 「不安は、人を傷つける ー勇気は、人を強くする」(前田敬作訳) 広宣流布とは、勇敢なる正義の大言論戦である。 確信ある言葉! 明快なる主張! 胸のすくような痛烈な破折! 相手の心を揺さぶる慈悲と道理の光! わが同志の心に、君の友の胸に、厳然と「正義を打ち立てる」戦いだ。

 埼玉の同志よ、正義の旗を掲げて、堂々と社会に打って出てくれ絶え! 大仏法の旭日よ、昇れ! その言論戦が、わが地域を安んじ、社会・国家を安んじていく、尊き「立正安国」の行動になるのである。

 「人の心は、狭い世界に閉じこもっていてはいけない」(後藤雄介訳)とは、キューバ独立の英雄ホセ・マルティの言葉である。 本年のこの五月一日、浦和・大宮・与野の三市が合併し、新しき百万都市「さいたま市」が誕生した。いな、出発した。

 大埼玉の?不沈の大軍艦″は、荒波をけって、決然と船出した。

 埼玉の同志に、栄光あれ! 勝利あれ! と、私は喝采を送りたい。

 さあ、二十一世紀! 「彩の国」が絢爛と輝きわたる「埼玉の世紀」だ。

 いざや行け! いざや勝て! 鉄桶の団結・埼玉の勇者たちよ! 勝って、日本中の同志に、喜びの勝利の万歳の波を創ってくれ給え!