(277)不二の旅立ち「8・24」?
師と共に「世界平和」へ飛翔
大難の嵐を越え 正義の55星霜
ドイツの詩人ヘッセの言葉は、有名である。
「悩みから力がわき、健康が生まれる」「悩みは、ねばり強くし、鍛える」(高橋健二訳) 昭和二十二年の八月十四日の夜。私が人生の師と仰いだ戸田先生と、大田区の座談会場でお会いしてより、満五十五年。
その時の確信に満ち満ちた師の宣言。師の「立正安国諭」の理路整然たる講義。
私は、即座に?戸田の弟子″たることを決意した。そして、私の広宣流布への師弟不二の誓いと行動は、完壁なる魂となり、いやがうえにも燃え上がった。
この日の世界広布へと旅立つ峻厳なる儀式は、今もって、私の生命より消えることばない。
わが師は、日蓮仏法の広宣流布の大願の道を堂々と開 き、潔く本懐を達成して、悠然として霊山へ選られた。
弟子である私も、御聖訓通り、無数の邪悪な中傷批判を受けながら、正義の戦闘を貫 とおき通して五十五年。
師と同じ正道をまっしぐらに進んできた。一日たりとも、休むことはなかった。
わが同志も、同じく戦ってくださった。
私たちは戦った。そして勝った。一つも後悔がない。
私は、慈愛に満ちた人生の師である戸田城聖先生に、第一の弟子としての誇りをもって、いつでも三世にわたりて、お会いできることを最極の誉れとして、生き抜いている。
私は勝った。
私は断じて負けなかった。
断じて弟子が勝つ。これが、日蓮仏法の精髄であるからだ。そして、創価学会の真髄であり、師弟不ニの根本であるからだ。
今再び、広宣流布の決意の入信記念日である八月二十四日を、同志でもある私たち夫妻して、ますます、健康で、勇み立つ思いで迎えることができた。
激しき法戦を戦い抜いてきた、わが愛する同志!
その健気な友の健康と勝利と幸福を祈りに祈って、ここに五十五年の歴史を勝ち飾った。
◇
「善を信ずるためには、それをなし始めなければならない」(原久一郎訳) 文豪トルストイの含蓄の深い箴言である。
その日、昭和二十二年の八月二十四日は、暑い日曜日であった。
入信を決意し、大田区から向かった杉並区にある寺院までの道のりは、肺病と肋膜を病んだ私には、随分と遠く辛く、感じられたものだ。
入信の儀式の勤行も唱題も、それは長く感じた。慣れない長時間の正座で、足は痺れた。
この日の苦しかった複雑な印象は、今も思い出される。
確かに御聖訓に、「浅きは易く深きは難し」「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(御書五〇九?)と説かれる通りだ。
この時、私は、深遠な仏法の哲理を、十分に納得できたわけではない。
家族も大反対であった。
ただ私は、表層の次元を超克して、戸田城聖という人格に魅了されてならなかったのである。
「体当たりで、私にぶつかってこい 青年らしく勉強し、勇敢に実践してみたまえ!」 先生は、私を信じてくださった。
私もまた、青年の直感で、「戦争中、平和のため、仏法のために投獄された、この人にはついていける」と確信したのであった。
その意味において、八月二十四日は、まさしく「戸田大学」への入学の日であった。
真実の人生のすべては、「師弟」から始まるのである。
戸田先生と私が最初に出会った座談会で、先生が講義しておられたのは、「立正安国論」であった。
ちなみに、その「立正安国論」が鎌倉幕府に提出された文応元年の七月十六日は、当時の西暦であるユリウス暦では、一二六〇年の八月二十四日に当たるようだ。
この八月二十四日に、私は、世界の「立正安国」をめざす、創価の平和運動に勇んで身を投じたのである。
◇
蓮祖は、仰せになった。
「魔競はずは正法と知るべからず」(同一〇八七?) 「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(同一四四八?) 迫害こそ、正法正義の証であると、断言されている。激しき嵐の如き大難なくしては、真実の妙法広布の実践者とはいえないのだ。
大聖人も「立正安国論」を天下に宣言された直後に、あの「松葉ケ谷の大法難」、また翌年には「伊豆流罪の大法難」を受けておられる。
さらに、その後も、「小松原の大法難」、そして「竜の口の頸の座・佐渡流罪の大法難」と打ち続いた。
まさしく「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(同二〇〇?)であられた。
「如説修行抄」には、「此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし 況滅度後の大難の三類甚しかるべしと」(同五〇一?)
――この信心を始めた日から、末法では釈尊の在世以上の大難が起こり、甚だしい三類の強敵が現れることを覚悟せよと、仰せである。
入信間もなく、この御聖訓の一節が、わが生命に激しく轟き広がった。
私は覚悟し、決意した。ゆえに、今もって、いかなる中傷批判も恐れない。
私は、無数の悪口罵言に負けなかった。
戦時中、仏法のゆえに、初代の牧口常三部会長は投獄され、獄死。二代の戸田城聖会長は、投獄二年。
素晴らしき不惜身命の鑑であられる。
師は、当然のこととして、この激流の迫害を乗り越え、勝ち越え、断固として殉教の歴史を飾られた。
永遠の誉れの勝利の大勲章は、輝き光っている。
この現実の姿は、私の心に深く、今なお、宝の如く、常勝不敗の決意として輝いている。
◇
入会から一年余の九月。
侘しく粗末な西神田の学会本部では、戸田先生の法華経の講義があった。
受講生となった私は、大田の職場より、その講義に馳せ参じた。
疲れきった我が身を励ましながら、青年らしく求道の道を走った。どんなに多忙でも、必ず講義に出席した。
法華経の文底の法門が難解であったことは否めないが、戸田先生の確信ある甚深無量の仏法の講義には身震いし、感動を覚えた。
人はどうあれ、社会はどうあれ、自身の正しき信念に生きゆくことは、最高に尊い。
ますます荒れ狂い、不透明な未来に向かって、人生の深き意義を覚知し、平和と繁栄のために、自身の使命と責務を果たしゆく原動力たる信仰を持つことは、なんと偉大なことか。
現実の歴史にあって、それぞれの時代、それぞれの世界も、その時の高次元の宗教によって文明が開花し、平和が創造されたことは、事実である。その方程式は普遍だ。
三十年前、トインビー博士は、私との対談で言われた。
「未来の宗教は、『人類の生存を深刻に脅かす諸悪』と対決し、諸悪を克服する力を人類に与えるものでなくてはならない」
まったく、その通りだ。そして、「だからこそ、その宗教を実践する、あなたに会いたかった」との博士の言葉は、私の胸中に響いて離れない。