師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生 池田大作




わが師は

 偉大なる知性の人であった。

 慈愛深き人生であられた。

 厳しかった。

 優しかった。

 その胸には常に

 張り裂(さ)けんばかりに

 邪悪に対する

 闘争心が燃えていた。

 正義の人であった。

 私は

 若き十九歳の時に

 この偉大な師匠と

 巡り会った。

 その場所は

 大田区であった。

 一瞬にして私は

 師子の胸に抱かれた。

 わが身を捨てて

 大法(だいほう)と正義に戦い抜く

 この師のもとに座して

 涙を流した。

 高貴な信念が

 常に燃え上がっている

 人生であられた。

 深い信仰の心に

 燃え上がる慈悲を感じた。

 来る日も来る日も

 苦難の連続であった。

 邪悪との戦いであった。

 信念の道を歩む

 闘争であった。

 中傷批判の波は

 激しかった。

 「創価」といえば

 多くの人びとが

 必ず悪口中傷した。

 いな 無認識のままに

 一番大事な信念を持つ人を

 嫌う風潮の日本の

 心の小さい人びとは

 みな横を向いて

 笑って悪口を投げかけた。

 そのなかを

 わが師・戸田城聖

 ある時は笑顔で

 ある時は厳しい口調で

 そしてまた

 ある時は朗らかに

 大声で笑いながら

 広宣流布の指揮を執った。

 何も恐れなかった。

 透徹した眼光の師であった。

 いかなる嘘も偽(いつわ)りも

 決して見逃(みのが)さなかった。

 ひとたび

 弾劾(だんがい)の師子吼が放たれるや

 いかなる傲岸不遜(ごうがんふそん)な悪人も

 恐れ戦(おのの)き震え上がった。

 春風(しゅんぷう)の笑(え)みの師であった。

 悲哀と絶望に凍(い)てつく

 庶民の心を温かく とかした。

 太陽のごとく

 大らかに万人(ばんにん)を包まれた。

 勇気と希望の光を放って

 無窮(むきゅう)の生きる力を贈られた。

  師弟不二

   この絆(きずな)にて

      広布かな

 ともあれ師弟は

 永遠にして不滅である。

 師弟は

 過去から現在へ

 そして未来を貫(つらぬ)く

 生命の金剛(こんごう)の結合である。

 法華経の化城喩品(けじょうゆほん)第七には

 「在在(いたるところ)の諸仏の土(ど)に

  常に師と倶(とも)に生(しょう)ず」と

 峻厳に記されている。

 我らは常に

 いつの世も

 いかなる時代も

 師と共に生まれ

 師と共に戦い

 師と共に勝って

 誉(ほま)れの広宣流布

 大道(だいどう)を歩み抜くのだ。

 「大難なくば

  法華経の行者にはあらじ」との

 如説修行の先師・

 牧口常三郎先生に

 戸田先生は仕え

 尽くしに尽くされた。

 法難の牢獄にまで

 勇(いさ)み お供(とも)なされた。

 戦時中 正義のわが師は

 二年間 牢獄に入れられた。

 最極の正しき大善人を

 国家は いじめ抜いたのだ。

 初代の会長は獄死した。

 わが師・戸田城聖は断固と

 この敵(かたき)討ちを決意した。

 人間の王者は怒(おこ)った。

 自ら岩窟王(がんくつおう)になって

 崇高な師をいじめた悪逆の敵と

 断じて戦い抜いてみせると

 宣言した。

 これは有名な歴史である。

 獄中にあって

 「仏とは生命なり」

 「われ地涌の菩薩なり」

 と大吾(だいご)され

 焼け野原の東京で

 妙法流布の大願に

 ただ一人 立たれた。

 死身弘法を決意せる師は

 正義の旗持つ若人(わこうど)を求め

 不惜身命の弟子の出現を

 待ちに待っていた。

  恩師あり

   妙法ありて

      わが一生

 昭和二十二年の八月十四日

 今生(こんじょう)の師弟の出会いあり。

 この日この時

 久遠の師弟の魂は

 固く強く結ばれ

 「不二(ふに)の詩(うた)」を奏(かな)でながら

 創価の新しき大車輪は

 回転し始めたのだ。

 わが誉れの青春譜(ふ)の

 幕は切って落とされた。

 昭和三十三年の四月二日

 恩師の御逝去のその日まで

 十一星霜

 三千八百八十五日にわたり

 師事し常随給仕(じょうずいきゅうじ)せり。

 一年ごとに

 弟子は増えてきた。

 それと比例して

 いわれなき迫害も

 一段と高まってきた。

 「真実の法華経

  如説修行の行者の

  師弟檀那(だんな)とならんには

  三類の敵人(てきじん)決定(けつじょう)せり」

 師弟の道は

 嵐の道であった。

 恐ろしきは人の心よ!

 先生の事業は破綻(はたん)し

 莫大な借財(しゃくざい)が襲いかかった。

 世間の非難の集中砲火(ほうか)に

 先生の大恩を受けた

 最高幹部を先頭に

 手のひらを返すがごとく

 忘恩にも裏切り去った。

 嘲(あざ)笑って立ち去った。

 すべての弟子の心も

 揺れ動いた。

 多くの幹部たちまでが

 卑劣にも去っていった。

 私は悔(くや)し涙で

 今に見ろ! と

 彼らを軽蔑した。

 一人の愛(まな)弟子は宣言した。

 −−−私は

 いかなる処罰を受けようとも

 最善を尽くし抜いて

 師をお守りして

 この一生を終えるのだ。

 一切の財産もいらない。

 師の命ずるままに

 私の生命を捧げる。

 なんと意気地(いくじ)なき弟子たちよ!

 なんと卑怯(ひきょう)な弟子らよ!

 なんと増上慢の愚者どもよ!

 なんと卑劣極まる者たちよ!

 彼らには

 人間の真髄の振る舞いなど

 まったくない。

 邪(じゃ)となって臆病に狂い

 動き回っていった。

 弟子は叫んだ。

 荘重(そうちょう)に誓いを

 天下に放つがごとく

 師子吼した。

 下劣な愚かな輩(やから)よ!

 永劫に君たちを

 諸天は絶対に助けない。

 哀れな君たちよ!

 気の毒なお前たちよ!

 盗賊(とうぞく)が断罪を

 宣告されるよりも

 もっと 恥(はじ)と苦しみは

 続行していくにちがいない。

 真(まこと)の信心なき彼らは

 先生を師とは仰げなかった。

 本有無作(ほんぬむさ)なる

 先生の振る舞いを

 軽んじて

 広宣流布の師たる内証(ないしょう)を

 知ろうとはしなかった。

 日興上人は仰せである。

 「この法門は

  師弟子(しでし)をただして仏になる」

 直(じき)弟子は激怒した。

 いな ただ一人 覚悟したのだ。

 命を賭(と)して

 師匠を厳護することを!

 死して後世に

 弟子の模範を示すことを!

 私の胸を病んでいた。

 喀血(かっけつ)も続いていた。

 阿修羅のごとく

 一心不乱に戦い続けた。

 私の心を見抜き

 先生は言われた。

 「大作!

  お前は死のうとしている。

  俺に命をくれようとしている。

  それは困る。

  断じて生き抜け!

  俺の命と交換するんだ」

 師匠は

 弟子を心から愛した。

 弟子は

 師匠を心から尊敬した。

 それは

 荘厳なる師弟の劇であった。

 マハトマ・ガンジーは言った。

 「弟子は

  わが子以上である。

  弟子たることは

  第二の誕生である」

 私には

 弟子の誇りがあった。

 誰が見ていなくてもよい。

 誰が知らなくともよい。

 広宣流布の大師匠のもと

 大仏法を真実に行じゆく

 そして戦い抜く誇りを持って

 突進(とっしん)した。

 私には悔いがない。

 師弟を師弟のままに貫(つらぬ)き

 戦い抜いてきたことを

 絶対に後悔しない。

 私は勝ったのだ!

 ある日ある時

 打開策に行き詰まり

 土砂降りの雨の中を

 師と共に二人して

 歩みながら

 私は申し上げた。

 「必ず将来

  先生にお乗りいただく

  車も購入します。

  学会もビルを建てます!」

 先生は

 黙って頷(うなず)かれた。

 その目に

 涙が光っていた。

 私はお誓いした。

 「負債は

  すべて私が返済します。

  そして先生には

  学会の会長として

  広宣流布の指揮を

  執っていただきます」

 言葉に尽くせぬ

 苦難の連続であった。

 明日をも知れぬ

 疾風怒濤(しっぷうどとう)の日々であった。

 そのなかで師匠は

 ただ一人の弟子を信じて

 次々と

 広宣流布の構想の翼を広げ

 その実現を託(たく)した。

 「学会も新聞を出そう!」

 「大学をつくろう!

  創価大学だ!」

 師匠の絶対の信頼−−−

 これに勝(まさ)る光栄があろうか!

 おお!

 そして迎えた

 あの第二代会長就任の

 晴れわたる

 昭和二十六年の五月三日!

 師弟の栄光こそ

 弟子の随喜(ずいき)であった。

 先生は

 断言なされた。

 会員七十五万世帯の達成を!

 それは

 断じて勝ち取らねばならぬ

 わが青春の誓願となった。

 真の弟子への

 師の期待はあまりにも大きい。

 それゆえに

 来る日も

 また来る日も

 獅子が わが子を

 谷底へ突き落とすがごとき

 厳愛の訓練が続いた。

 四六時中

 常在戦場(じょうざいせんじょう)の師である。

 幾たびとなく

 真夜中に呼び出しも受けた。

 隼(はやぶさ)のごとく馳(は)せ参じるのが

 常(つね)であった。

 側(そば)に私を呼んでは

 「勝つことを

  千里の外(そと)に決する」

 勝利への作戦会議が

 二人だけで繰り返された。

 困難を極める戦いは

 すべて私に命じられた。

 「わが弟子ならば

  断じて勝て!

  勝って当然だ」

 慰労(いろう)の言葉など皆無(かいむ)であった。

 勝つことが

 真の弟子の証(あか)しであるからだ。

 私は走った。

 一切をなげうち

 無我夢中で戦い抜いた。

 蒲田で 文京で 札幌で

 大阪で 山口で 夕張で・・・・・・

 行く先々で

 未聞(みもん)の勝利の旗を打ち立て

 広宣流布の活路を開いた。

 師は最高首脳に

 語っておられた。

 「大作が行ったところは

  すべて大発展している。

  すべて大勝利している。

  この現証を見よ!」

 師匠と共に進めば

 生命は燃え上がる!

 師を思えば

 勇気が出る!

 力が湧く!

 智慧は尽きない!

 戸田先生は

 民衆の幸福と平和のために

 立正安国の戦いを起こされた。

 それは−−−

 「山に山をかさね

  波に波をたたみ

  難に難を加え

  非に非をます」

 権力の魔性との

 大闘争であった。

 大難来たり。

 昭和三十二年の夏

 北に夕張炭労事件起こり

 西に大阪事件起こる。

 若き闘将は

 北海の大地に

 民衆勝利の歌を轟(とどろ)かせ

 そして自ら

 大阪府警へと向かった。

 忘れまじ

 その途次(とじ)の羽田空港

 逝去九カ月前の

 衰弱の激しき師は

 牢に赴(おもむ)く弟子に言った。

 「もしも もしも

  お前が死ぬようなことになったら

  私も すぐに駆けつけて

  お前の上にうつぶして

  一緒に死ぬからな」

 なん尊き慈愛の言葉か!

 それが師匠の心なのだ。

 私は心で泣いた。

 「先生のお身体(からだ)には

  指一本 触れさせぬ」

 無実の容疑で捕(と)らわれた私は

 一身に難を受けた。

 だが弟子は

 創価の正義を天下に示した。

 先生亡きあとの

 昭和三十七年一月

 法廷闘争に勝利し

 私は無罪判決を勝ち取った。

 重大なる広布の使命の

 全責任を抱(いだ)いた

 後悔なき

 名誉ある人生が仏法なのだ。

 嫉妬の

 卑劣極まる虚言(きょげん)など

 誰が信ずるか!

 これが

 世界の王者の

 勝利への絶叫であった。

 有名になった強欲な

 多くの弟子は

 先生から去った。

 代議士にしてもらい

 そしてまた

 学会の重要な役職にありながら

 その大恩も踏みにじった

 卑怯(ひきょう)な連中は

 みな立ち去っていった。

 わが師は

 よく言われた。

 増上慢

 成り下がった弟子は

 もはや弟子ではなくして

 恩知らずの敵である。

 蓮祖の時代にあっても

 日興上人 ただ お一人が

 清流に立ち上がられた。

 他の五老僧らは

 みな濁流に流された。

 あの戦争中

 時の権力に怯(おび)えて

 多くの幹部が

 退転していった。

 戸田先生お一人が

 師の心を心として

 厳然(げんぜん)と立ち上がった。

 偉大なる大師匠である

 戸田先生の弟子たる私は

 師に出会った十九歳の時から

 師の亡くなられるまで

 来る日も来る日も

 朝から真夜中まで

 常に先生のお近くでお仕(つか)えした。

 それはそれは

 悪戦苦闘の師を

 お守りしながら

 現在の学会の大発展の

 基盤を作り上げたのだ。

 これが

 師弟の実相であることを

 叫びたい。

 いま私は

 次の真の弟子の道を

 青年たちに託(たく)したい。

 これが大発展への

 方程式であるからだ。

 ありとあらゆる

 三類の強敵の

 怒涛(どとう)の中にあって

 私は一切を乗り切り

 すべてを完勝した。

 勝って師の笑顔が

 見たかったのである。

 ゆえに私にとって

 永遠の師匠・戸田先生と

 苦楽を共にし

 歴史を創り上げた日々は

 すべてが勝利であり

 光り輝いている。

 私は断固と勝利した。

 一切に勝利した。

 この実像が

 師弟不二

 信力(しんりき)・行力なのだ。

 ああ!

 恩師と共に過ごし来た

 あの日あの時は

 すべてが

 また すべてが

 私にとっては

 輝く黄金の思い出となっている。

 師は−−−

 仏法の王者であられた。

 闘争の王者であった。

 正義の王者であった。

 これこそ

 人間指導者の大賢人だ!

 この王者と共に

 月月・日日に

 私は

 青春の不朽(ふきゅう)の歴史を

 綴(つづ)ることができた。

 恩師は

 あまりにも偉大であり

 私は幸福者(もの)であった。

 いな 師も弟子も

 永遠不滅の

 幸福と勝利の生命が

 輝きわたって

 流転してゆくにちがいない。


  師を念(おも)い

   師をば語りて

       世界まで

 私は

 一切の誓いを実現した。

 師の構想の種子(しゅし)から

 天空高く生い茂る

 壮大なる大樹を育て上げた。

 創価の会館は

 民衆の大城(だいじょう)となりて

 全国 全世界に林立(りんりつ)し

 聖教新聞

 言論の大城となった。

 創価大学 創価学園

 世界も注目する

 教育の大城となった。

 「戸田の命よりも

 大切なり」と言われた

 創価の組織は

 仏法史上

 いな人類史上に輝く

 世界百九十カ国・地域への

 壮大なる平和と文化と教育の

 広がりとなった。

 釈尊の未来記

 そして

 日蓮大聖人の

 「仏法西還(せいかん)」という悲願は

 完全に成就した。

 「一閻浮提(いちえんぶだい)広宣流布」という

 仏法の究極の予見である

 人類の新しき平和の朝が

 輝き始まってきたのは

 皆様ご存じの通りだ。

 私は

 戸田大学の卒業生である。

 師匠は

 戸田先生お一人

 弟子は

 私ただ一人であった。

 約十年間

 万般にわたる教育を

 なさってくださった。

 その戸田大学の卒業生には

 世界の大学・学術機関からの

 知性の宝冠(ほうかん)は二百を超えた。

 名誉市民の称号は

 四百六十を数えるに至った。

 「世界一の壮挙(そうきょ)である」と

 著名な識者の方々は

 誉(ほ)め讃えてくださっている。

 これは

 すべてにわたって

 恩師・戸田先生の

 凱歌(がいか)の栄誉であられる。

 師匠の勝利は

 弟子の勝利。

 弟子の勝利が

 師匠の勝利なのだ。

 全生命を賭(と)しながら

 一生涯

 師匠に仕えきった者が

 次の師匠となる。

 これが

 仏法の方程式だ。

 これが

 師弟不二である。

 人間にとって

 師弟に勝(まさ)るものはない。

 師を持たぬ者は

 人間の愚者と

 なってしまうからだ。

 師を持たぬ者は

 勝手気ままな

 驕慢(きょうまん)になってしまうからだ。

 一家に親子があるごとく

 社会には師弟が

 必ずあるものだ。

 それが古(いにしえ)より

 世界万般の鉄則であった。

  師の恩を

   遂に果たせり

       今世(こんぜ)かな

 私の心には

 いつも いつでも

 笑顔輝く戸田先生がいる。

 いまもなお

 「先生なら どうされるか」

 師との対話の日々の連続である。

 いかに暗黒の時代に遭遇しても

 偉大なる師を念(おも)うときに

 必ず一本の光の大道(だいどう)が

 広がってくるのだ。

 ああ!

 師匠は鑑(かがみ)である。

 師匠は希望である。

 師匠は力である。

 心に師を持つ人生には

 絶対に逡巡(しゅんじゅん)はない。

 心に師を持つ人生には

 断じて敗北はない。

 おお!

 わが恩師

 戸田先生!

 世界第一の師匠

 戸田先生!

 永遠の人生の師

 戸田先生!

 弟子・池田大作

 晴れ晴れと勝ちたり。

 師弟不二の詩(うた)を

 不滅の歴史と残したり。

  一段と

   決意深まる

      師弟かな

 今日も晴れ晴れと

 妙法流布の正義の大道を!

 私は絶対に

 後悔の人生をつくらない。

 凛々(りんりん)たる勇気で

 価値ある勝利の歴史を

 勇み歩んでいくのだ。

 これが

 仏法であるからだ。

 これが

 師弟の道の法則であるからだ。

 二〇〇七年二月四日 立春の日

  わが師・戸田城聖先生の

  百七回目の誕生日を祝して

  創価学会本部・師弟会館にて

      世界桂冠詩人

        池田大作