095 「札幌・夏の陣」から50年



―― 短期決戦はスピードで勝て! ――

―― 偉大な「民衆の力」を天下に示しゆけ ―― 

 将軍ナポレオンは叫んだ。

 「私は、二時間でできることに、二日もかけるようなことはしない!」

 「どんなに大きな仕事でも、それが成功するかどうかは、間一髪の差である」

 私の胸に去来する五十年前の夏、十日間で歴史は動いた。

 それは、「札幌・夏の陣」と語り継がれる、昭和三十年の歴史的な闘争であ

った。

 八月十六日から、十日間の勝負だった。

 短期決戦である。

 私は、夏季指導の北海道派遣隊の責任者として、三百八十八世帯という「日

本一の折伏」を成し遂げた。

 戸田先生は笑みを湛えながら、「大作、またやったな。日本一の大法戦の歴

史を飾り残したな」と言われた。

 私は嬉しかった。

     ◇

 短期決戦の第一の要諦は、「団結」である。

 戦いが短ければ、短いほど、気を引き締め、結束しゆくことだ。

 私と北海道の同志は、断じて戸田先生の悲願である「七十五万世帯」を達成

してみせるとの「弟子の強き一念」で、尊く固く結ばれていた。

 広宣流布の戦いで「勝負」を決するのは、人数の大小ではない。誓願を共に

した「異体同心の団結」である。

 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法

華経ひろまりなんと覚へ候」(御書一四六三ページ)

 暴虐の限りを尽くした「殷の紂王」の軍勢七十万騎は、八百人の諸侯が結束

した「周の武王」の軍に敗れた。

 悪辣な紂王に無理やり駆り出された殷の兵士は戦意がなく、武器を逆さまに

持ち、周の軍勢に道を開けたという。

 ともあれ、周の武王の大勝利は、団結と勢いの勝利であった。

     ◇

 第二の要諦は「スタートダッシュ」である。

 陸上のトラック競技は、短距離になるほど、スタートが重要になる。

 百メートル競走も、号砲が鳴る、ぴんと張りつめた瞬間に、勝敗の分かれ目

がある。

 五十年前、札幌駅に降り立った瞬間から、私の闘魂は燃えたぎっていた。

 「戦いは、勝ったよ!」

 出迎えてくださった方々への、私の第一声だった。

 初日からフル回転である。

 戦いの拠点となる宿舎に到着した時には、成果を書きこむ「棒グラフ」まで

用意できていた。準備万端である。

 「先んずれば人を制す」だ。

 後手に回った場合、負担も。手間も二倍になる。先制攻撃の場合、手間は半

分、効果は二倍である。

 戸田先生も、よくおっしゃっていた。

 「いくら大艦隊であっても、戦場への到着が遅ければ、スピードが勝る精鋭

には、絶対に勝てない」

 短期決戦であるほど、戦いは「先手必勝」である。

 敵だって苦しい。時間がない条件は同じだ。

 先に手を打った方が、必ず勝つ。相手も準備は不十分であり、ここに大きな

チャンスがあるからだ。

 機先を制した方が、一切の主導権を握り、庶民の心をつかみ、嵐のような喝

采に包まれるものだ。

     ◇

 第三に、短期決戦は、中心者の「鋭き一念」で決まる。

 私は「札幌・夏の陣」を前に、ひたすら祈り、智慧を絞り抜いた。

 具体的な作戦に墓づき、矢継ぎ早に手を打った。

 当時は通信手段も限られ、連絡の大半が手紙である。

 私は、東京での闘争と同時並行で、寸暇を惜しんで筆を執った。

 時間との競争にしのぎを削り、全精魂を傾けて、北海道の友に手紙を書き続

けた。

 同志の必死の奮闘の一切を勝利に直結させるとの一念で、万全の準備を進め

て、札幌に向かった。

 戦いの勝利の方程式は、「忍耐」と「執念」である。

 「つねに気落ちを知らず、断固たる、戦いをやめぬ人間の魂」――大詩人ホ

イットマンが歌い上げた、この不屈の闘魂こそ、我らの闘争精神である。

 絶対に勝つという一念を燃え上がらせることである。

 戸田先生も、「ケンカだって、一つでも多く石を投げた方が勝つよ」と、常

に強気だった。

 そして、最後は、智慧の戦いである。敵を倒すまで戦い抜く、猛烈なる執念

である。

 「勝つべくして勝つ」ことが、学会の戦いであった。

 リーダーは、どこまでも同志を励ましながら、「勝利を決する厳然たる祈り」

で、どこまでもどこまでも、断固として進みゆくことだ。

 いずれにせよ、短期決戦は、ゴールまで全速力で走り抜く以外にない。百メ

ートル競走なら、世界レベルの争いで約十秒。

 脇目もふらず、力を出し切るしかない。周りの様子などに振り回されては、

絶対に勝てるはずがない。

 恐れることはない。戦いはやってみなければ分からない。五分と五分だ。勢

いがある方が勝つ。強気で攻めた方が勝つ。

 中国革命の父孫文は語った。

 「およそ、何事であれ、天の理に順い、人の情に応じ、世界の潮流に適い、

社会の必要に合し、しかも、先知先覚者が志を決めて行なえば、断じて成就せ

ぬものはない」

     ◇

 弘安二年、日興上人は、捕らえられた熱原の農民信徒の状況について、鎌倉

から身延の日蓮大聖人へ、急報を伝えられた。

 十月十五日の夕刻に使者に託された知らせは、十七日の酉時(午後六時頃)に

届いた。

 大聖人は、即座に筆を執られた。

 「彼ら(熱原の門下)が御勘気を受けた時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

と唱えたとのこと、これは、全くただごとではない」(同一四五五ページ、通解)

 「必ず、わずかの間に、賞罰がはっきりするであろう」(同)

 今こそ変毒為薬の時と、弟子を最大に励まされている。

 この御手紙が認められたのは「十月十七日戌時」。

 日興上人の報告が届いてから二時間後の、午後八時頃である。

 御手紙の最後では、重ねて、仰せである。

 「恐れてはならない。心を強くもっていけば、必ず現証があらわれる」(同)

 大聖人の電光石火の御振る舞いが、正義の反転攻勢へとつながったのである。

 戦いは、厳しい局面になるほど、スピードが求められる。

 素早く手を打つことで、魔を打ち破っていける。会員を守っていける。

 スピードのない幹部は、無責任である。臆病である。無慈悲である。

 いざという時の電光石火のスピードこそ、勝利の鉄則であるからだ。

     ◇

 かつて戸田先生は、朝鮮戦争(韓国戦争)の渦中、戦火に包まれた韓・朝鮮半

島の人びとの苦悩を思いやられ、慈しみの念を抱かれながら、こう話しておら

れた。

 「『どっちの味方だ』と聞かれ、驚いた顔をして、『ごはんの味方で、家の

あるほうへつきます』と、平気で答える人もいるのではなかろうか」

 どこまでも、我ら人間の幸福を第一に考え、その実現のために戦い抜かれた

先生であられた。

 いつの時代も、ともすればイデオロギー等が優先され、最も大事な人間の幸

福は、ないがしろにされてきた。

 「国民大衆の幸福」こそ、政治の根本であるはずだ。これこそ、永遠に正し

き普遍の政治の原理であらねばならない。今の時代は、その政治の根本を忘れ

ている。

 蓮祖は「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(同一五九五ページ)と仰せで

ある。

 ゆえに、わが学会は、「民の力」を強め、「民の力」を天下に示すために戦

ってきたのだ。

 その闘争は、時には困難を極めることもあった。しかし困難に遭った時こそ、

人間の真価がわかる。

 「いざ鎌倉」の時に、本物の人物か否かが明確にわかるものなのである。

 私は「疾風知勁草」(疾風に勁草を知る)という言葉が、青春時代から好きで

あった。

 激しい風に吹かれて初めて、強い草であるか否かを知ることができるという

のだ。

 この言葉は、後漢光武帝が激闘した時に、他の兵士が皆、逃げ去るなか、

ただ一人、王覇という一兵士が、最後まで残ったことに由来する格言である。

 学会に臆病者はいらない!

 いかなる疾風にも、御本尊を抱きしめ、いかなる事態にあっても、恐れなく

厳然と立ち向かっていくことだ。

 強くまた強く、正しくまた正しく、そして朗らかな人生を進みゆくことだ。

 君よ、痛快に、また愉快に、連戦連勝の指揮をとってくれ給え!

 創立七十五周年の偉大にして意義ある歴史を、栄光と完勝で飾っていってく

れ給え!

 世界的な広がりをもつ、我ら創価の「黄金時代」を謳歌しゆく大音楽を響か

せていってくれ給え!

2005年(平成17年)8月18日(木)掲載