132 永遠なれ 栄光の五月三日 下
戦い抜いた生命は五月晴れ
「絶対勝利の信心」を完璧に証明
勝ちまくれ
走りまくれと
万年の
後輩たちの
模範 創れや
御義口伝に「大願とは法華私通なり」(御書七三六ページ)と仰せである。
私は、故郷・大田を中心とした蒲田支部の同志と共に、一カ月に二百一世帯という、前代未聞の折伏を成し遂げた。
さらに当時、低迷を続け、馬鹿にされていた文京支部を、半年ほどで、月に四百三十一世帯の拡大ができる第一級の支部へと前進させた。
男子部の第一部隊は、一年で、当初の三倍に当たる千人の大結集をした。
牧口先生、戸田先生の郷土である北海道でも、札幌の日本一の夏季地方折伏をはじめ、破邪顕正の勝利の歴史をつくり上げていった。
戸田先生の会長就任五周年の五月には、大関西で月間・一万一千百十一世帯の金字塔を厳然と打ち立てた。
中国方面の山口県でも、十倍の飛躍をもたらした。
そして私が全青年部の先頭に立って戦い、七十五万世帯の達成を、師にご報告できたのは、昭和三十二年の十二月である。
ともあれ、御聖訓には──「よき師」と「よき弟子」と「よき法」の三つが合致すれば、必ず祈りを成就できると明言なされている(同五五〇ページ)。
広宣流布の師の一念と心を合わせ、「法華経の兵法」で戦うならば、断じて勝てるのだ。
私は、戸田先生にお仕えし抜いた十一年間を通して、この「絶対勝利の信心」を完壁に証明できたと自負している。
「もし誰か他の人が、自分より徳において、また最善のことを実行する力においてまさっているなら、その人に従い服することがりっぱで正しいことである」
師弟に徹することは、人間として最も正しく、最も強い生き方なのだ。
◇
負けるなと
断じて指揮とれ
師の声は
己の生命に
轟き残らむ
フランスの作家サン=テグジュペリの言葉に、「敗北はつくられてきたものを打ち壊す」とある。
敗北は崩壊だ。ゆえに戸田先生が逝去された後、私は先生の弟子として一歩も退かず、勝利また勝利の師子奮迅の指揮を執り続けた。
「推戴を急げ!」
会長職が不在だった学会にあって、第三代を推戴する声は既に澎湃と広がっていた。「第三代会長の推戴を急げ!
学会の首脳たちは何をしているのか!」
愛する関西からも、真剣な青年部からも、創価の母である婦人部からも。
なかでも真っ先に声を上げたのは、埼玉県の青年部員たちである。
それも、都市部だけでなく、郡部など、当時、交通の便のよくない地域から始まった。
「真の革命は地方で起こっている」とは、キューバの偉人ホセ・マルティの箴言だ。
◇
五月晴れ
創価と広布の
顔は
生きる喜び
楽しき旅路と
縁も深き神奈川の同志たちは、墨田区の両国・日大講堂での会長就任式の準備の一切を担ってくれた。
壇上の真上には、戸田先生の毅然たる遺影。
その左右には、先生の二首の和歌が大書され、掲げられていた。
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
「一度(ひとたび)は
死する命ぞ
恐れずに
仏の敵を
一人あますな」
屋外を飾る大看板。会場内五十カ所近くに飾られた花々。ちり一つ残すまいと、真剣に裸足のままで掃除をしてくださった婦人部や青年部の方々。そして女子部の友は、わざわざ菊花の胸章を探し回ってくれた。
来る年、来る年、五月三日を荘厳してくださる全同志の真心は、瞬時たりとも私の生命から離れることはない。
庶民のなかから、庶民のために、庶民の第一の味方として誕生した、第三代であるからだ。
前途は万々歳だ!
昭和三十五年の五月三日。
この日は火曜日であった。前夜の雷雨は上がり、朝が明けると、雲一つない五月晴れであった。
皆が青空を仰いで喜んだ。
◇
当日、私は、戸田先生の形見のモーニングを身につけた。入場前、妻が、静かに第三代の「会長」の胸章を整えてくれた。
その夜、大田区小林町の小さな小さな我が家に、何人かの友が訪ねてこられた。
赤飯はもとより、祝いの膳など何もない。普段と変わらぬ、つつましく静かな様子に、みな驚いたようである。
妻は後年、ある婦人部の同志に語っている。
「今日から池田家には主人はいなくなった、というのが偽らざる心境でした。
一周年の五月三日には『ああ命があったのか』と思いました。それは二年目、三年目の五月三日も同じでした」と。
戸田先生は、会長就任から七年にして、偉大なるご生涯の幕を閉じられた。
まして医師から三十歳まで生きられないと言われてきた私である。
昭和四十三年の五月三日。
「就任八周年」の日に、妻は初めて赤飯を用意してくれた。
◇
広宣の
勝利の本陣
三代城
同志の健康
祈らむ師匠は
昭和二十八年に移転した信濃町の旧学会本部で、戸田先生は十二畳の部屋を、ご自身の執務室とされた。
ほかに、より広い立派な部屋はあった。だが、それは牧口先生のための部屋と定め、そこに牧口先生のお写真を大切に置かれた。
これが、恩師記念室の原点である。
昭和三十八年、今の学会本部の建設に際し、私も「会長室は一番質素に」と厳命した。
会長室は、旧学会本部と、ほぼ同じ位置に、同じ十二畳の部屋として設置された。
この質素な一室で、私は、全同志のご健康とご多幸を祈り、また豊作であるよう、大地震がないよう、祈念し続けてきた。
創価の師弟は堂々勝ちたり
世界に輝く平和・教育・文化の光彩
たくましき
母の対話は
慈悲の曲
おお 名優に
まさる振舞い
御聖訓の通り、三類の強敵の嵐が吹き荒れるなか、迎えた五月三日が幾たびもあった。
しかし、いついかなる時も、私と共に、一切を耐え抜き、勝ち越えてくださったのが、創価の太陽の母たちである。
太陽の母に最敬礼
幾多の苦難を戦い抜いた堅塁・中部の母たちを讃えたくて、遠く名古屋の地域の婦人部総会に、急遽、駆けつけたこともある。
“世界で一番尊くて一番偉いのは、無名の創価のお母さん”と讃嘆した。
「人間の生命に価値を認めなくなるや否や、いかなるものも価値をもたなくなる」
「生命の尊厳」を誰よりも護ってくれるのは、尊貴な母たちである。この母たちを最大に尊重していくことが、「生命の世紀」を開くのだ。
偉大な母への最敬礼と限りない感謝を込めて、私は五月三日を「創価学会母の日」と制定させていただいた。本年で二十回目の佳節を迎える。
パラオ共和国のレメンゲサウ大統領もこの日を祝して、「誠に素晴らしき婦人部の皆さまが、それぞれの地域で、また世界の各地で、平和に多大な献身をされ、間断なく世界平和の運動を進めておられることに敬意を表します」と声を寄せてくださっている。
◇
栄光に
五月三日は
輝けり
創価の勝利は
未来へ 世界へ
仏教史上、五月三日は、法華経の精髄が中国から日本へ伝えられた甚深の日でもある。
御書には、唐(とう)の貞元(ていげん)二十一年(八〇五年)の五月三日に、日本の伝教大師が中国の天台山で、三大部(法華玄義(ほっけげんぎ)・法華文句(もんぐ)・摩訶止観(まかしかん))の根幹を伝授されたと記されている。
今、不思議にも千載の時を経て、大聖人正統の創価学会が、一閻浮提の広宣流布へ、常に新出発しゆく日が、この五月の三日なのである。
戸田先生は、常に堂々と言われた。
「私は二代だから、まだまだ小さく固まっていけばよい。次の三代で、社会へ、文化へ、世界へ、大きな布陣を敷いてくれ給え」と。
価値創造の大運動
仏教発祥の天地インドの大哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士と私は、「主・師・親の三徳」の現代的意義について語り合ったことがある。
すなわち「主の徳」とは、「人びとを護る力」であり、「平和」の行動である。
「師の徳」とは「人びとを導く智慧」であり、「教育」の実践である。
そして、「親の徳」とは、「人びとを慈しむ慈悲」であり、「文化」の創出である。
創価の平和・教育・文化の大運動は、仏法の極理を、現代世界における価値創造の法理として展開しているのだ。
対談集を発刊した、アメリカの未来学者ヘンダーソン博士も語ってくださった。
「五月三日は、全世界にとっても、まことに喜ばしい日であります。
池田SGI会長は『地球市民の思想』を、世界の主流の思想へと高められました。こうした国境を超えた運動こそが、狭い視野しか持てぬ政治等の指導者たちの存在を乗り越えゆく力となるのです」
中国言論界の雄・孫立川(そんりつせん)博士も論じてくださっている。
「歴史の潮流を民衆がつくるとするならば、人びとは大いなる転換点として、この日(一九六〇年五月三日、第三代会長就任の日)を歴史書に記すにちがいない。
勇気の対話こそ、池田先生が範を示した、人類を啓発する人間革命運動の唯一の方法であり、私もまた心から賛同する。
私は信じ、期待する。この延長線上にしか、戦争も殺戮もない時代は、できあがらない──と」
ありがたいご理解である。
ただ不惜身命で!
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書二三二ページ)
私は第三代会長に就任以来、尊厳なる創価学会を護り、師子奮迅で走り、不惜身命で戦い抜いた。
だからこそ学会は勝った。
人類の希望の大光となり、世界にそびえ立つ、民衆の正義の大城となったのだ。
南米パラグアイの文豪アップルヤードは綴った。
「私は明日を信ずる。直面している危機は、必ずや打ち勝つことができる」
地球社会の歓喜の明日を創りゆくことが、我ら創価の使命である。
さあ、共々に、五月の天空を仰ぎながら──
「世界の平和の柱」として、「青年の教育の眼目」として、そして「人類の文化の大船」として、強く美しき団結を光らせながら、希望と勝利に満ち満ちた新時代を開いていくのだ。
師に仕え
広布に生き抜く
わが生命
何と尊貴な
凱歌の日々かな
無量の歴史は
喜びと
悔いなき涙の
勝利で飾りぬ
いついつも
強敵 破りて
栄光の
広布の道を
開く嬉しさ
(随時、掲載いたします)