ドクター部・白樺会・白樺グループ合同研修会(上)

さあ民衆の中へ生き生きと!

ナイチンゲール 着々と 地に足をつけて 謙虚に歩む人が勝る
目の前の山を一つずつ越えよ
友に動き、友に語り、後継者を育成

 池田名誉会長は11日、全国最高協議会に続いて行われたドクター部、白樺会、白樺グループの合同研修会に記念のスピーチを贈った。

    ◇


 一、きょうはご苦労さま!
 皆様は、厳しい暑さが続くなか、夏季友好期間を有意義に使い、生き生きと、民衆の中へ「対話の波」を起こしておられる。
 ある時は遥かな水平線を眺めながら、ある時は天の川を見上げながら、爽やかな「友好の波」を広げておられる。本当に尊いことだ。
 きょう集われたドクター部、白樺会、白樺グループの皆さんは、学会の大事な存在である。多くの人々の「生命の尊厳」を守っておられる日々の仕事に、心から感謝申し上げたい。
 私はこれまで、著名な心臓外科医で、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長であるウンガ一博士と語らいを重ねてきた。その内容が今月、対談集『人間主義の旗を──寛容・慈悲・対話』(東洋哲学研究所)として発刊される予定である。
 きょうは、博士が語られた内容のいくつかを通して、皆様とともに学び合いたい。

 「対話と信頼が不可欠の基盤」
 一、ウンガ一博士は、「『対話と信頼』こそが、医療現場にとって不可欠の基盤なのです」と語っておられる。
 これは、医療の世界に限らない、普遍的な道理であろう。広宣流布の戦いも、結局は「個々の対話」であり、「個々の信頼」が根本である。
 また博士は、「行動」の重要性を強調された。
 「(心臓外科医という)仕事がら、即断・即決が求められます。できるだけ早く決断し、行動に移す訓練を受けてきました。哲学的思考をもてあそぶのではなく、大切なのは行動です」
 「他人と触れあうためには、自分から積極的に出向かなければなりません。他人が来てくれるのを待っていてはいけないのです。そして、それには自分自身が確固たる見解をもっことが必要です」
 示唆深い言葉である。学会活動において、どのようにすれば皆が幸福になるのかを「考えに考え抜く努力」は、当然必要であり、リーダーの責務である。
 そのうえで、あれこれ悩むだけでなく、勇気をもって一歩動く。まず、行動する。そうすれば、思わぬ展望が広がることがある。
 「看護の近代化」を推し進めたナイチンゲールは、「真の信仰とは、その最高の形においては《生活》に表われてくるものなのです。真の信仰とは、今自分がしているすべてのことに全力をつくして打ち込むことなのです」と綴った(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第3巻』現代社)。
 また、このようにも訴えている。
 「『着々と』──毎日少しずつ──地に足をつけて注意深く、そして謙虚に歩む看護婦のほうが、なまじ気転のきく『才女』などよりも、現実の場面において看護を展開することにおいては、ずっと勝るといったことも、少なくはありません」(同)
 まったくその通りだ。
 広宣流布は、社会のあらゆる分野、次元にわたっている。ゆえに、実証を勝ちとるためには、目の前の課題に打ち込み、誠実に、一つずつ、山を越えていくしかない。

 全体観に立った人格光る医師に
 一、イギリスの歴史学者トインビー博士は、私との対談で、医師の条件について語られていた。
 「医者は冷静な技術者であると同時に、情け深い、思いやりのある友人でもなければなりません」
 そして、「愛情深さと冷徹さとを一つの心に同居させることは、はたして可能でしょうか」と問われた。
 たしかに、愛情と冷静さを兼ね備えるのは難しい。続けてトインビー博士と私は、医療行為の根底には、何らかの宗教的な信条が必要である、ということを語り合ったのである。
 ウンガ一博士も次のようにおっしゃった。
 「私にとって、『宗教』とは人間の本質です」

ナイチンゲール
 真の信仰とは今、自分がしているすべてに全力を尽くして打ち込むこと

 「多くの患者が本当に苦しいときに宗教に拠り所を見出していることを、私は医者として実見してきたのです」
 「宗教が、生命の永遠の価値を基盤とするとき、その宗教は文化形成の核となります」
 また博士は「私のいう『医師』とは、人間性豊かな医者です。全体観に立った人格の光る医師です」とも述べられた。
 ある一つの分野に詳しいことで、かえって「全体」の動きを見失う場合がある。それでは本末転倒だ。
 "これだけは負けない"という、キラリと光る何かを持ち、同時に、全体観に立って指揮を執る。そういう実力が、学会のリーダーには必要である。信心で、その力を鍛えるのだ。
 ロシアの大作家チェーホフは、近代社会に生きる人間の、心の闇と希望を見事に描いた。モスクワ大学医学部出身の医師でもあった。
 彼は「人間は信仰をもっている者か、または信仰を求めている者でなければならない、そうでなければ空っぽの人間だ」と記した(神西清池田健太郎訳「紙片によるメモ」、『チェーホフ全集14』所収、中央公論社)。
 またある登場人物に「なんのために生きるのか、それを知ること、──さもないと、何もかもくだらない、根なし草になってしまうわ」と語らせている(神西清沢「三人姉妹」、同『全集12』所収)。
 信心こそ、成長のための「根」だ。根が深ければ、大樹が育つ。信心を貫くところに、人生の勝利の花々が、万朶(ばんだ)と咲き薫るのである。

 生命に対する「畏敬の念」 
 一、またウンガ一博士は、医師の体験に基づく生命観を論じ合うなかで、述べられた。
 「私自身としてはとくに、『生命がいつ始まり、いつ終わるのか』という問題に、医学者としてかかわっております」
 「医者や科学者として生命にかかわっておりますと、生命に対する『畏敬の念』をもたずにはいられません」
 率直な実感であろうと思う。
 学会のリーダーは、人々に勇気と希望を与える"宿命転換のドクター"ともいうべき存在だ。その陣頭に立ってきた私もまた、博士の言葉に深い共感を覚える。
 博士は、臨終の姿と、人の振る舞いについても述べられた。
 「非常に満足し、幸せな人生を歩んだ人や、心が平穏で、自信をもって人生を全うした人は、よい生命状態で亡くなったといえるのではないでしょうか。その人が、もし生まれ変わるのであれば、よい生命状態で生まれてくるでしょう」
 死は、間違いなく、すべての人に訪れる。人生の最終章であり、そのとき、一切の虚飾は、はぎ取られる。残るのは、その人自身の生命の実像のみである。
 私は、信心根本で生き抜いた方々の、荘厳なる臨終の姿を、数多く見てきた。
 妙法を信じ、広布のため、人のために尽くした分だけ、自らの生命が輝いていく。その福徳は、ご家族、そして子孫末代にまで広がっていく。それが、仏法の大原則なのである。

ウンガー博士
 自分から積極的に出向かねばならない。他人が来るのを待っていてはいけない。

 「聖職者たちは脅しにかかる」 
 一、ウンガ一博士は、学会の歴史も深く理解してくださっている。
 「戸田城聖第二代会長は、第二次世界大戦中、平和のために行動し、牢獄での不自由と困難をわが身に引き寄せられました。
 それを原点として、創価学会が、とくに『核兵器のない世界』のために真剣に取り組んでこられたことに、敬意を表します」
 見る人は、見ている。
 さらに、聖職者の悪弊について、「自分たちの権威が弱くなることを、すぐに恐れる」「彼らはその一方で、すべての恐れる者がそうするように、脅しに訴えかけます」と指摘された。
 古今東西宗教改革は、聖職者の腐敗、権威主義との闘争でもあった。
 私たちは日顕宗の"衣の暴力"を打ち破り、民衆勝利の凱歌を上げた。人権の歴史上、また日本の精神風土において、どれほど意義深き民衆運動か。皆さんは、誇り高く進んでいただきたい(大拍手)。
 〈ウンガ一博士は対談集のなかで次のようにも語り、SGI(創価学会インタナショナル)と池田名誉会長の行動を評価している。
 「池田会長が『対話』を通して、ご自身の信念を示すのみならず、さまざまな宗教や文化的背景をもっ人々の声に積極的に耳を傾けておられることは、大変に素晴らしいことです。その発言、理念のすべてが、世界の差し迫った課題である『平和の実現』に貢献するものです。
 とともに、ご自身のあらゆる友人の方々に、"創造的な人生を築き、価値ある人生を歩む"ために戦うよう励ましておられる。
 この事実に、私は心から共感しているのです」
 「SGIという国際的ネットワークは、『生命の価値』を基盤として、『平和の文化』の構築へ、力強い人道的行動を日々、重ねておられる。私は心から敬意を表します。平和のために努力する人であれば、だれもが、貴会の運動に心から賛同するでしょう」〉

 「よい仕事」が「団結心」を育む 
 一、きょうの参加者には、女性の方々も多い。さらにナイチンゲールの言葉を紹介したい。
 彼女は、看護においては、「よい仕事」を皆で一緒に成し遂げ、目的や行為を共有することによって、「共感のきずな(団結心)を育むこと」が重要だと述べている(前掲『ナイチンゲール著作集第2巻』)。
 まさに、「異体同心」の精神である。団結の心がなければ、バラバラになってしまう。同志とともに、また、先輩が後輩と一緒に祈り、一緒に動くなかでこそ、団結は深まる。後継者も育つ。
 また、次のようにも教えている。
 「この仕事にあっては、どんな小さなことでも、決してとるに足りない些細なことだなどと考えてはなりません。
 反対に、この仕事以外にあっては、すべて個人的ないざこざや感情のこじれなどは、とるに足りない些細なことであると考えなさい」(同『著作集第3巻』)。
 これも、重要な指摘であると思う。
 広宣流布の前進においても、わずかな動きや異常も見逃さない。そうしたこまやかな配慮、精神力が、勝利への大きな流れを支えてきた。
 最後に、アメリカの社会福祉事業家ヘレン・ケラーの言葉を贈りたい。
 「楽観主義とは、ものごとを達成へと導く信念です。希望なくしては何事も成就することはできません」
 「偉大なる哲学者、そして偉大なる行動の人たちは、皆、楽観主義者だったのです」
 日蓮大聖人の仏法こそ、最高に力強い楽観主義の哲学である。無敵の生命力をわき立たせる希望である。
 まだまだ暑さが続く地域が多い。くれぐれも「健康第一」で、はつらつと題目をあげながら、下半期の勝利へ、朗らかに進んでまいりたい(大拍手)。
 (2007・8・11)