356創価の乙女に贈る


―― 平和の博士・女子部の皆様へ ――

―― 「女性の新世紀」へ 希望と幸福の人生を ――




 黄金の日々の人生を生き抜くためには、正義の精神を、聡明な行動を、わが
胸に脈打たせていかねばならない。
 老後の人生も、若々しく送るためには、青春時代の生き生きとした対話の連
続を忘れてはならない。
 誰人たりとも、気高い使命を持って生き抜く人は、天の意志を持った人であ
る。
 その人こそ、崇高な栄光の青春と、勝利の人生を果たしゆくことができるの
だ。
 貴女よ!避けるべきものを知ることだ。
 無知蒙昧であっては、真実の幸福の道を歩めない。
 荘厳なる一生を歩み見つめる、信仰の尊さを見失ってはならない。
 人生を、決して疎かにしてはならない。
 胸を裂かれゆく、いかなる暗然とした局面が来ても、喜んで立ち上がり、喜
んで生き抜く、尊貴な幸福の王座の自分を、信仰でつくることだ。
 来る日も来る日も、活気あふれる、わが友のなかに入り、友と共に賑やかに、
平和と幸福の目標に、勇んで進みゆくことだ。
 その天真の姿勢のなかに、幸福と勝利の命運は決まる。
     ◇
 有名な「諸法実相抄」には仰せである。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌
の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書一三六〇ページ)
 既に七百三十年前の文永十年(一二七三年)に、男女の同権と平等が、高ら
かに宣言されているのだ。
 御聖訓には、さらに記されている。
 「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こ
えたり」(同一一三四ページ)
 仏法の眼から見れば、「広宣流布」に生きゆく女性ほど、尊い存在はない。
 今、日本列島を包んで、幸福と平和のスクラムを広げゆく創価の乙女たちを、
日蓮大聖人も、また三世十方の仏・菩薩も、どれほど讃嘆しておられることで
あろうか。
     ◇
 花々も、毎日、成長している。あらゆる緑の木々も、成長している。
 人生もまた、成長である。
 その希望と努力を重ねながら、最上の幸福の自身の運命を築くことだ。決し
て性急な跳躍をしてはならない。
 自分自身の輝く天命を果たすために、誇り高く魂を光らせ、美しく身を伸ば
し、喜びの日も悲しみの日も、気高き生命の光を放ちながら、断固として富め
る使命の大地を歩みゆくのだ。
 憂鬱な人生よ、去れ!
 悲惨な人生よ、去れ!
 愚かな人生よ、去れ!
 無駄な道を歩むな!
 絶望しゆく道を歩むな!
 賢く生き抜いてこそ、青春だ。それが勝利の人生の土台を創ることを、忘れ
まい。
 「汝は、偉大な使命を果たすために生まれてきたのだと常に考えよ」
 これは、十九世紀のイギリスの指導者ディズレーリの言葉である。
     ◇
 いかなる有名人になり、見目形が美しくとも、心こそが大切である。
 「心の弱い人」に、幸福はあり得ない。
 「心の汚れた人」に、幸福はあり得ない。
 「心の強い人」に、幸福は宿る。
 「心の清き人」に、福運は宿る。
 これは鉄則であるはずだ。
 幸福になるために、信仰がある。
 「小野の小町・衣通姫が花の姿も無常の風に散り」(四七九ページ)とは、
御書の一節である。
 諸行は無常である。絶世の美を誇る女性たりとも、生老病死の厳しき流転を
逃れることはできない。
 だからこそ、心の奥の宮殿を開き、「常楽我浄」という崩れざる幸福境涯を
築いていくのである。
 そのためには、若き日の仏道修行が、どうしても大事になってくる。
     ◇
 善と悪とが分別でき得ぬ、複雑な葛藤の世紀だ。
 「善」には、小善、中善、大善と、あるかも知れない。しかし、その善の真
実の実体は、凡夫にはわからない。
 多くの高低浅深の哲学があり、人間を悪道に迷わせ不幸にする、低級な宗教
もある。
 ある思想に騙され、ある宗教に騙され、ある政治家に騙され、そしてまた、
多くの縁するものに騙され、さまよい悩んでいるのが、人生だ。
 ゆえに、仏の出現があった。仏法の誕生があったのである。
     ◇
 "私は、妙法の力で苦悩の衆生を救ってまいります"
 これが、法華経に登場する乙女の誓願であった。
 一人の女性が、この幸福の王道を毅然と歩みゆく時、すべてが変わる。
 わが創価の女子部こそ、善の中の極善に生き抜く、平和哲学の若き探究者で
あり、実践者である。
 御聖訓には「女子(おなご)は門をひらく」(御書一五六六ページ)と説か
れる。
 娘が太陽のように輝けば、一家は明るく栄える。
 娘が福運の滋養を積めば、父も母も、幸福に包まれる。一族も、友人も、地
域も、そして社会も、希望の方向へ、力強く回転する。
 大聖人は「この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」
(同一二三一ページ)とお約束である。
     ◇
 戸田先生も、今日の「女性の時代」の到来を、いち早く見抜かれていた。
 先生は、言われた。
 「これからの時代、若い女性の力が大事になる。
 若い女性は、老若男女の誰にも受け入れられ、違和感なくとけ込んで、話し
合うことができるからだ」
 女性こそ、対話の旗手であり、言論戦の選手である。
 よく戸田先生は、女子部の代表に指導された。
 「今こそ、貴女たちが学会の正義と真実を、大いに語っていきなさい」
 若き彼女たちは、近隣の家々に走り、また多くの友人たちの家に行き、さら
には親戚・親類の家々を歩いて、仏法を説いた。
 その歴史が、やがて世論を動かし、ご存じの通りの新時代が到来したのであ
る。
     ◇
 "勇気は恐怖よりはるかに爽快である"――こう論じた、アメリカの女性社会運動
家で、大統領夫人であったエレノア・ルーズベルトは語っている。
 「どこに行っても逃げて歩いていたなら、自信は失われるばかりである。勝
利はかち取らなければならない。不可能と思うことをやらなければならない」
 常に、強く生き抜け!
 強くあれ!強くあれ!
 「人生は仏と魔との戦いである」と、釈尊は示した。
 蓮祖は、「仏法は勝負である」と説かれた。
 負けぬために、正しき信仰がある。
 勝つために、正義の信仰がある。
 「勝ちとることがむずかしければむずかしいほど、勝利はいっそう甘味であ
り、永久だと、わたしは心から信じている」
 朗らかな『赤毛のアン』の物語で名高い、女性作家モンゴメリの言葉である。
     ◇
 「開目抄」に引かれた「心地観経」の一文には、「過去の因を知らんと欲せ
ば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書
二三一ページ)と説かれている。
 わが女子部の一人ひとりが、今を生き抜き、現在「この時」に勝利すること
が、一生を決定し、未来永遠の勝利を決定づけていくのだ。
 幸福の博士!
 日本一の女子部、万歳!
 賢明なる女子部の日本一の連帯、万歳!
 平和の博士!
 世界一の哲学と勝利の連帯の女子部、万歳!
 一人も悔いなき青春を!
 一人ももれなく幸福の人生を!
 尊き広宣流布に生き抜く、女子部の皆様よ!

2003年(平成15年)11月5日(水)掲載