首都圏代表協議会での 名誉会長のスピーチ (下)
電光石火! スピードで勝て
「どうしたら皆がやりやすいか」心を砕け
進軍も攻撃も速かった信長 迅速に的確な手を
一、人生は戦いだ。生涯、前進である。
ノーベル文学賞を受賞した、イギリスの劇作家バーナード・ショーは語った。
「私は、完全燃焼して、死んでいきたい。激務であればあるほど、私はより生きるからである。
私は人生そのものに喜びを感ずるのだ」
織田信長が今川義元の軍勢を正面から攻めようとしたとき、家臣たちは"道が進みづらい"とか、"味方が少ないことが敵にわかってしまう"などと、必死に止めた。
しかし信長は、決然と前進した。この戦で、彼は叫んでいる。
「小勢だからといって大敵を恐れるな」
「何としても敵を圧倒し追い崩せ」
「戦いに勝ちさえすれば、この場に参加したものは家の面目、末代までの高名であるぞ。ひたすらに励めよ」(太田和泉守牛一著、榊由潤訳『信長公記(上)』ニュートンブレス)
じつは「小勢」とはいえ、信長が率いた2000の軍勢は鍛え抜かれた精鋭であった。そのような薫陶を受けていない今川勢は、信長勢の一丸となっての猛攻に、大混乱となった。
信長の執念の大音声を放っての陣頭指揮のもと、信長勢は今川義元の本陣をめがけて、猛然と攻めて攻めて攻め抜いた。
戸田先生は、この一戦の勝因について、こう喝破されていた。
「どんなに多勢でも、団結がなければ戦には負ける。信長軍は少数であったが、『敵の大将を討つ!』という明確な目標に向かって団結したから勝ったのだ」と。
団結こそ、勝利の根本の力である。
なかんずく、「破邪」の一念で一丸となった異体同心の団結ほど、強いものはない。
大聖人は仰せである。
「昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。
しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立つことがなかったという。
それからのち、人々は李広将軍のことを石虎将軍と呼ぶようになった」(御書1186ページ、通解)
「破邪顕正」の執念の団結で戦い、幾たびも、広宣流布の勝利の歴史を打ち立ててこられたのが、わが誉れの中部の同志である(大拍手)。
人材を生かせ 人材を育てよ
鍛えた精鋭は番軍に勝る!
天下統一の力
一、桶狭間では、信長自身が集め、鍛錬した人材が活躍した。
信長は、家柄や出身地にかかわらず、力のある者を用い、育て、生かしていったといわれる。
「人材の登用」を原動力の一つとして、戦に勝ち、時代を変革し、天下統一を目指したのである。
天下統一を成し遂げた太閤・豊臣秀吉も、後の加賀百万石の大名・前田利家なども、信長が抜擢した人材である。
私が若き日に語り合った山岡荘八氏は、小説で「何よりも人材の発揮をもって第一とし、そこに革命の基点をおいている」と、信長について記されている(『織田信長』講談社)。
戸田先生は、「身分・地位が大切な時代が終焉し、下から天下を取る事ができた。実力主義の時代である」「時代の転換期であった」と、信長の時代を俯瞰されていた。
現在も、時代の転換期である。
新しい人間を育てて、新しい学会をつくっていくのだ。
人材を見つけ、人材を大切にし、人材を生かし切ったところが勝つ時代である。
一つがだめなら次へ、また次へ
一、山岡氏の小説の中で、信長は戒めている。
「油断をしてはならぬぞ。人間には気のゆるみがいちばん毒じゃ」
さらに、「彼(信長)は、いかなる場合にも前進をやめないのだ。一つの道がふさがれると、次の通路を求め、さらにそれが塞がれると、以前に数倍する強烈さで第三の道をめざしてゆく」とも描かれている(同)。
信長の生涯は、油断のできない戦いの連続であった。信長を敵視する包囲網が敷かれたこともあった。
そうしたなか、一時の失敗や苦境に流されることなく、どんどん手を打ち、速やかに戦いを進めて、勝ち抜いた。
約200年前の韓国の思想家である丁若●(チョンヤンギョン)は、こう語っている。
「貧しさと困窮と苦労は、人の心を鍛え、知恵と見識を広げてくれるものである。それは、世界や事物に対する真実と偽りを正しく見抜く力を与える長所をもっている」
苦難の連続を生き抜いた信長。彼の戦いの特徴は「スピード」にあった。
「行動を起こす早さ」「進軍する早さ」「攻撃する早さ」が指摘されている。(谷口克広著『信長の天下布武への道』吉川弘文館)
戸田先生も、敵につけいる隙を与えない、信長の戦いの「スピード」に注目された。
学会も電光石火のスピードで勝ってきた。
関西と中部の"大連合"で前進
一、さらに、戸田先生は、信長について「外交的にも手腕があった」とも評価されていた。
信長は、あらゆる外交の方法を用いて、わが陣営を守り、広げている。
とくに、1562年、三河(現在の愛知県の東部)の徳川家康と結んだ「清洲同盟」は有名である。
じっは、信長と家康は、父同士が宿敵の関係にあり、「桶狭間の戦い」で家康は、信長の敵側にいた。
そうした過去をもつ家康を味方にしたこの同盟は、乱世にもかかわらず、信長が亡くなるまで20年間、維持された。
信長と家康は、中部、関西等を舞台に、ともに転戦した。そして、天下統一への流れが大きく進み、日本の歴史に影響を与えた。
もとより次元は異なるが、2004年から始まった、わが学会の大関西と大中部の連合は、これまで座談会交流をはじめ、様々な角度で進んでいる。
常勝・大関西と堅塁・大中部が一体となって、広宣流布の完勝の歴史を!
この私の心を心として、今、新しい希望の大前進が始まっている。これほど頼もしいことはない。
「一閻浮提総与」が大聖人の精神
一、さて、学会本部の第2別館には、「賞本門事戒壇正本望建立」と認められた御本尊が御安置されている。
御本尊の向かって左側には「昭和四十九年一月二日」の日付とともに「法華講総講頭 創価学会会長 池田大作」と、日達上人の筆で認められている。
まさしく、「本門事の戒壇」たる正本堂が、創価学会の三代によって「建立」された功労が、厳然と刻まれ留められた御本尊である。
これは、大聖人の御遺命を創価学会がすべて実現してきたという、あまりにも尊極な証しである。
この「本門事の戒壇」たる正本堂を日顕は破壊したのだ。仏法史上、これほどの悪逆はない。永劫に裁かれ、「若悩乱者頭破七分(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)」の断罪を受けていくことは、法華経と御書に説かれる通りだ。
真実の歴史を消し去ることは、未来永遠に、絶対にできない。「建立」の大功徳も、金剛にして不壊である。
「賞本門事戒壇正本堂建立」の御本尊は、その厳粛な証明である。
「一閻浮提総与」。すなわち、全世界の人々に授与する──これが大聖人の御精神である。大聖人直結の学会に怨嫉し、この「一閻浮提総与」の道を閉ざそうとしたのが邪宗門である。
ブラジルの著名な作家クーニャは述べている。
「真実を偽造することは、公の精神を不安にすることである。私は、それを許すわけにはいかない」
「私はただ真実と思うことを常に言い切っているのだ」
大聖人の仰せ通り、正義と真実を叫び抜き、邪宗門を打ち破って、世界190の国や地域に「一閻浮提総与」の道を開き切ってきたのが創価学会である。
管理者の皆様に心から感謝
一、戸田先生は言われた。
「そもそも御本尊は、一閻浮提のための御本尊であられる。人々の闇を破る"全世界の太陽"である」
「御本尊の絶大な哲理のお力を信ずることができるならば、世界の広宣流布も必然なことです」
「やがて地球民族は、御本尊の存在に気づいて渇仰するに決まっている。その人びとを、いったい誰が指導するかといえば、まず諸君たちである。また諸君たちの後輩や、子孫のなかにしか指導者は育たない」
その通りの時代が到来したのである。
人材を生かせ人材を育てよ
鍛えた精鋭は万軍に勝る!
今や、日本はもとより、.世界中に、広宣流布の大法城が次々と完成している。これこそ、正義の勝利の城である。
この尊き会館を毎日また毎日、厳然と護り抜いてくださっているのが、管理者の皆様方である。
きょうは、大変にお世話になっている管理者の代表の方々も出席されている。改めて、心から感謝申し上げたい(大拍手)。
「確信が大事だ」
「戸田先生は、力強く叫ばれた。
「自分には、御本尊を信じているという偉大な力がある。どんな困難にぶつかっても、どんな境遇になっても、またどんな時代になっても、必ず乗り切っていけるという信心がある。
この確信が大事だ。これが人生の宝である」
わが関西の友も、御本尊への真剣な祈りを根本に、あらゆる戦いを勝ち越えてこられた。
"まさか"を実現した、昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」も、師弟を貫く深き祈りから始まった。
当時、関西本部に常住されていたのは、「大法興隆所願成就」とお認めの御本尊である。
大法が興隆し、すべての願いも成就する──それが御本尊の大功力である。
今、この御本尊は、昨年完成した関西池田記念会館の「池田記念講堂」に御安置されている。
戸田先生は師子吼なされた。
「宗教だけの道ならば、これほど気楽で安全な道はないといってよい。しかし、あくまでも社会に貢献する有能な社会人、妙法という偉大な哲学に目覚めた正真正銘の社会人に成長し、思う存分に活躍してもらいたいのだ。
これが、乱れきった末法における民衆救済の大道だからである。この道だけが、御本尊の慈悲に通じているといってよい」
この大道を真っすぐに戦い進む学会に、御本尊の仏力・法力は無量無辺である(大拍手)。
大難を超えて
一、「仏」の別名は、パーリ語(古代インドの言語)で「ジナ」と呼ばれる。これは、まさしく「勝利者」の意味である。
仏とは、あらゆる魔の軍勢に勇敢に打ち勝つ「勝利者」のことなのである。
そして、正法を信受する人々を、パーリ語では「ジナ・プッタ」と表現している。
これは、漢訳では「仏子」とされているが、直訳すると「勝利者の子」という意義になる。
仏とは、「絶対に負けない」生命である。「断じて勝つ」存在である。
そして仏は、その絶対勝利の力を、民衆に伝え譲りゆくのである。
日蓮大聖人は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書1165ページ)と仰せだ。
これは、730年前の建治3年(1277年)に、四条金吾にあてられた御手紙の一節である。
この3年前の文永11年(1274年)、大聖人は過酷な佐渡流罪を勝ち越え、鎌倉に戻られた。そして、幕府の権力者であった平左衛門尉に対して、重ねて諌暁を行われたのである。
私たちが忘れてはならないのは、大聖人が、御自身の勝利の御姿を通して、弟子一同に「仏法勝負」の真髄を教えておられることである。
建治2年(1276年)には、四条金吾に対して、こう述べておられる。
「日蓮もまた、(正法の力を根底に)この日天子を頼みとして、日本国に立ち向かって数年になる。すでに日蓮は『勝った』という気持ちである」(同1146ページ、通解)
また、その前年、健気な信心を貫いていた女性の日妙聖人に送られた「乙御前御消息」では、こう仰せである。
「日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。
これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえに諸天善神が守護されたのであると思いなさい」(同1220ページ、通解)
大聖人は、命に及ぶ数々の大難を厳然と乗り越えられた。仏典に示された通りの迫害を、すべて勝ち越えられた。
師匠は勝った。この師匠に続いて、弟子も勝て! いな、必ず勝てるのだ!──この烈々たる大聖人の師子吼が、胸に響いてくる。
民衆こそ歴史の主役 人間革命の旗高く!
師と同じ心で
一、現代において、創価の三代の師弟は、大聖人の仰せのままに三類の強敵・三障四魔と戦い、すべてに勝ってきた。
反対に、正義の学会を弾圧した人間、大恩ある学会を裏切った人間たちが、どれほど無残な敗北の末路をたどっているか。
例外なく、「日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う」(御書1093ページ)と仰せ通りの姿を示していることは、皆様がご存じの通りである。
戸田先生は叫ばれた。
「正義の学会を弾圧し、迫害し、愚弄した権力者は、永久に忘れてはならない。
とともに、善良な学会人を苦しめ、嘲笑い、侮辱してきた権力者を、断じて許してはならない。『仏法と申すは勝負をさきとし』である。
厳しき因果の実相を、明確に見抜き、そして圧倒的な創価の完勝をもって、末法万年尽未来際(=永遠の未来)への鑑としていくべきだ」
このご指導を、改めて確認しておきたい。
悪と戦ってこそ、正義は明らかになる。勝利の旗を打ち立てることができるのである。
戦うべき時に戦わない。戦えない。そんな情けない弟子であってはならない。
一、大聖人が、「仏法勝負」の勝ち戦の要諦として教えられた急所は、何か。
それは、毀誉褒貶の八風に侵されず、「師の言う通りに実践せよ」との一点である。
〈「八風」とは人の心を惑わす八つの働き。すなわち、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽のこと。
大聖人は「賢人とは、八風と言って、八種の風に侵されない人を賢人と言うのである」(同1151ページ、通解)と仰せである)
大聖人は、四条金吾に述べておられる。
「大学三郎殿や、池上右衛門大夫殿のことは、日蓮の言った通りにされたから、祈りが叶ったようです」(同ページ、通解)
正しい師匠に心を合わせ、師の仰せ通りに実践する。その一点から、すべての道が開ける。
同じ御書で大聖人は、「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同ページ、通解)と、厳しく戒めておられる。
戸田大学の薫陶
一、私は若き日から、師匠である戸田先生と同じ心で戦ってきた。生き抜いてきた。
戦後、事業の挫折で苦境にあった先生を、私は一人、徹して守り抜いた。先生から夜中に呼び出された時も、飛ぶようにして駆けつけた。
先生を支えるために、私は自分の夜学も断念した。その代わりに先生は、一対一の個人教授で万般の学問を教えてくださった。「戸田大学」での薫陶があればこそ、今の私がある。
師弟の道は厳しい。簡単なものではない。しかし私は、戸田先生がおられたからこそ、最高に美しい「師弟の人生」を生ききることができた。
第3代会長に就任してからも、私は学会のため、会員の皆様のために、すべてをなげうって戦ってきた。働いて、働き抜いてきた。
著作の印税も、学会や創価学園、創価大学、アメリカ創価大学などに寄付してきた。自分のために何かを残そうなどとは一切、考えなかった。
これまで私は、皆様を代表して、世界の諸大学等から213もの名誉学術称号を拝受した。
こうした栄誉も、仏法の眼から見るならば、師弟の道に生き抜き、正義の道に生き抜いてきたことの厳然たる証明である。私は、そう深く確信している(大拍手)。
仏とは勝利者の異名
ノーベル賞作家 完全燃焼だ!人生は喜びだ!
マルロー氏とのパリでの語らい
一、5月の19日は32年前(1975年)、フランスの“闘う文化人”であったアンドレ・マルロー氏と、2度目の対談を行った日である。
〈前年の東京・聖教新聞本社での語らいに続き、パリ郊外にあるマルロー氏の自宅で対談。名誉会長と氏の語らいは、対談集『人間革命と人間の条件』(聖教ワイド文庫)として結実した〉
マルロー氏は、フランスを代表する作家であり、鋭い美術論でも、その名を知られていた。第2次大戦中はナチスヘの抵抗運動を指導し、戦後はフランスの情報相、文化相を務めるなど政治家としても活躍された方である。
1970年代、私はアメリカ、中国、ソ連などをたびたび訪問し、平和と友好のための民間外交を大きく開始していた。氏との対談では自然と、日本と米中ソとの関係や、アメリカ、ソ連の実情などが話題になった。
マルロー氏は深く慨嘆されていた。
「現在、もっとも重要と思われる現象は、普遍的理想などというものが、もはやどこにも見あたらなくなってしまったということです」
特に氏は、現代に、時代を画するほどの「歴史的政治」を行う信念の指導者がいないことを憂えておられた。
例えば大国の政治についても、「なによりもまず、千差万別の権力があるといえます。個人的、集団的権力、また、政治家、国会議員の権力といったもので、これらの相矛盾する権力が歴史的意志に達するということは、まず、めったにありません」と語っておられた。
人間の内面に権力の歯止めを
一、また、マルロー氏との対談では、現代社会が抱えるさまざまな問題と、政治のあり方などが話題となった。
私は申し上げた。
「民衆を手段化するのではなく、民衆を目的として、あらゆる政策なり外交が行われなければなりません」
「なによりも民衆が目覚め、この民衆の意識で権力をコントロールして、その暴走を抑えていく以外にないでしょう。あなた(マルロー氏)は、政治家は遠からずいなくなるだろう、といわれました。それに代わるものはこうした民衆であるべきでしょう」
さらに、私は訴えた。
「これまでの歴史は、一つの体制の悪を打倒しても、つぎの体制がまた悪を露呈していくという繰り返しであったともいえます。新しい体制は、また新しい悪を生むというこの悪循環に終止符を打つのは、体制がもつ権力に、積極的な意味での歯止めをかける以外にない。それには、権力者自身の内に、そしてさらにすべての人間の内に、権力にたいする歯止めをもつことでしょう」
マルロー氏が、「たしかにそうでしょう」と深く頷いておられた姿が忘れられない。
氏との語らいでは、私とトインビー博士との対談も話題になったが、博士もまた「権力とはそれ自体、常に腐敗する」と語っておられた。
だからこそ、「権力の魔性」と戦いゆく不断の「人間革命」が重要になってくるのである。
「恐らく、人を知るということほど、政治にとって重要なことはないでしょう。これは人生にとっても重要なことです。事情に通じたまことの人物を認知すること、また、不当に公衆の前にしゃしゃり出ようとする、偽りの者を見抜くこと」(K・チャペック著『マサリクとの対話──哲人大統領の生涯と思想』石川達夫訳、成文社)
悪い人間にだまされてはならない。民衆が賢明になり、鋭く虚偽を見破っていく──そこに真の民主主義の発展がある。
学会の発展に 心から期待
一、対談の中で、私は、仏法が生命の永遠性と絶対的尊厳を説いていることを語った。
仏法の生命観、生死観を聞かれたマルロー氏は、仏教がヨーロッパの精神風土に新たな展開をもたらす可能性を指摘し、こう述べておられた。
「あなたがたの成功を祈っていることをご承知おきください。現在から将来にかけて、創価学会には多くの期待が寄せられており、たいへん大きな運命が創価学会を待っていることを知っていますし、それを喜んでもおります」
氏は、学会の発展に、大いなる期待を寄せてくださったのである。
今、新しい時代を創りゆく創価の前進をご覧になったならば、マルロー氏も、心から喜んでくださるに違いない。
私と妻は、このマルロー氏の伴侶であり、同志であったマドレーヌ夫人とも、交流を深めさせていただいている。
〈2004年12月、東京富士美術館で開催中だった「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」のカタログを見つめながら、ユゴーに造詣の深いマドレーヌ夫人は、次のように語っていたという。
「ユゴーと同様、マルローは他の多くの作家とは違い、社会に深く関わりました。"行動する人間"でした」
「19世紀におけるユゴーの思想と行動を、20世紀ではマルローが継承し、その流れは現代では、池田SGI会長のような方に生きていると言えましょう」〉
一心不乱に! 真実の人生を
一、ともあれ、時代はますます乱世である。
大聖人は仰せである。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)
私も、妻も、この御聖訓を拝しつつ、大切な大切な全同志が、絶対に事件に巻き込まれたり、事故に遭われることのないよう、真剣に祈り抜いている。
すべてのリーダーの皆様も、どうか、そうあっていただきたい。
「自分中心」ではいけない。師匠に呼吸を合わせ、同志のことを真剣に考え、祈っていく。一つ一つ手を打っていく。
そして、学会の興隆を祈っていく。すべての勝利を祈り抜いていく。それが本当のリーダーである。
会議や打ち合わせのもち方も、価値的であるべきだ。戸田先生は、歩きながらでも“会議”をされた。行動する中で、的確に、迅速に手を打たれた。
「どうしたら、皆がやりやすいか」「最大の力を引き出せるか」を考え抜くのだ。
皆のことを考えてあげる人が偉い。それが先輩の役目である。
結びに、婦人部・女子部の皆様方に、次の句を贈りたい。
勝ちまくれ
女性の智慧は
菩薩なり
さらに、わが青年部に贈りたい。
青年部
立ちて創価は
勝ちにけり
そして、わが門下生に「勝利は光、敗北は闇。人生は一心不乱に戦い勝つことだ。それが真実の人生だ」と申し上げ、私のスピーチとしたい。
長時間、ご苦労さま! きょうは、本当にありがとう!(大拍手) (2007・5・19)
首都圏代表協議会での名誉会長のスピーチ(下)〔完〕