創価教育代表者会議 下
勇気を!自らの信念に全力を
フランスの科学者パスツール
努力なくして永続性は生まれない
一、私は、創価学園、創価大学の建設のために、私財を捧げ、全魂を注いできた。
人材を!
青年を!
後継者を育てるしかない!
それが、恩師から教えられた一切の勝利の大道であったからだ。
私が創価学園の建設予定地に足を運んだのは、昭和35年(1960年)の春4月。
自然豊かな武蔵野の大地であった。
そして、創価大学の建設予定地も、緑に包まれた丹木の丘であった。
学園からも、創大からも、秀麗な日本一の富士が見える。
私と妻は、同志とともに、将来の世界的な大発展を、ずっと心に思い描いてきた。
今、創大には、新たな女子寮「創春寮」が完成した。省エネに配慮した自然換気システムとオール電化システムが完備され、生活に優しくつくられた家具もある。新入生がやって来るのを、今か今かと待っている。
新総合体育館も、明年3月に完成の予定だ。太陽の丘には、堅固な骨組みが、すでに姿を見せている。
さらに、海の向こうのアメリカ創価大学では、2010年の完成を目指して、新たな「講堂」の建設準備が進んでいる。
奨学金制度も拡充される運びである。
創価教育の各校から、全世界へ、これからも、どれだけ多くの平和の指導者、民衆のリーダーが羽ばたいていくことか。
それを思うと、私の胸は希望にあふれる。
何者にも征服できない信念
「19世紀フランスの化学者・細菌学者のパスツールは、数多くの科学上の発展を成し遂げた、「近代微生物学の祖」とも言われる大学者である。
「科学と平和が無知と戦争に勝ち、苦しむ人々に身をつくす人にこそ、未来は開けてゆくとわたしは信じます。その信念は何者によっても征服できないでしょう」という彼の言葉は有名だ(ビハリー・バーチ著、菊島伊久栄訳『パストゥール』借成社)。
先日の、創価女子短大の特別文化講座「キュリー夫人を語る」でも紹介した。
パスツールは、「科学上の発見のドラマ」を人に伝え残す際、大切にすべき方法を述べている。
それは、発見に貢献した人たちの、「個人的な努力や経験を思い起こさせ」、「その発見のなされた時代へと聴衆を連れもどそうと努める」方法である。
発見の「出発点」にまつわる様々な苦労や問題を、無視してはならないというのである。
この点に心を砕けば、「多くの努力なしに、永続的なものは何も生まれない」ということが示せる。
さらに、偉大な人物を「超自然的な近寄り難い能力をもった半ば神のような人間」とみなすのではなく、「彼らが何よりも努力と献身の人であったこと」を明らかにできる。
そして、彼ら偉人たちが発揮した努力と献身は、「我々誰もが、強い意志の助けさえあればもつことができる」と彼は指摘している(成定薫訳「科学上の発見の歴史についての覚書き」、『パストゥール』所収、朝日出版社)。
私もまったく同感である。教える人の知恵と工夫次第で、学ぶ人の可能性は無限に広がる。
威張る人間とは闘え!
一、また彼は、自身のもとを巣立ち、離れた地に教師として赴任する弟子へ、次のような励ましの言葉を綴っている。
「勇気を出しなさい」「生徒には素晴らしく立派な授業を授けるのです。そして授業の余暇には、君自身の実験に全力を尽くしなさい」(ヴァレリー・ラト著、桶谷繁雄訳『ルヰ・パストゥール』富山房。現代表記に改めた)
勇気をもって、自らの使命の実現へ全力で取り組む人、真実を求める人は強い。この力を鍛えるのが、教育の重要な使命であろう。
私は、創価大学、創価学園を、恩師の遺言通りに創立した。
尊き創価の学生に対して威張る人間や、創立の精神を踏みにじる悪、保身やエゴを目的とする輩がいたならば、断じて闘うのだ。団結して闘うことだ。
青年を助け、愛し常に思いやれ!
一、私が現在、対談を連載している中国の歴史学者・章開●(※●=さんずい扁+元)(しょうかいげん)先生は、華中(かちゅう)師範大学の学長を務められた大教育者である。
対談で章先生は、こう語っておられた。
「教師は自らを尊重すべきであると私は思います。この自己尊重とは、僅かな知識をもって傲り高ぶることではなく、教師の地位や役割に対する自己認識であり、教師としての深い自覚と責任感を持つことです」
大事な急所を突いておられる。
良き教育者の存在は、学生にとって最大の教育環境となる。その使命も栄光も、大きく深い。
一、それでは、教師としての「自覚」や「責任感」は、具体的に、どこに現れるか。
章先生は力説しておられた。
「教師としての責任感は、主に学生への思いやりとして表現されます。常に、いかにして学生の健全なる成長を助ければよいかを考え、絶えず学生を自らの心に留めるのです。
教師は学生を愛し護ってこそ、はじめて学生の心からの尊敬を勝ち得ることができるのです」
これこそが「教師の共通の鉄則」である。
学生たちへの慈愛を失った教師は、すでに教師としての自覚を失ってしまっていると、章先生は強調する。
この、人間教育の正道は、苦難の道である。喝采のない道である。
しかし、最後は必ず、尽きることのない感謝と尊敬に包まれ、不滅の栄光が輝きわたっていくのである。
中国の古典『礼記(らいき)』には、「教学相長」(教学(きょうがく)、相長(あいちょう)という一節がある。章先生は、この言葉について語られた。
「私は『教学相長』という言葉を好んでいます。教えることによって、学ぶ者だけでなく教師も向上するということです。
教師は一方的に学生に何かを与えるのでは、決してありません。
教師もまた、学生に教えることによって、精神の養分と青春の活力を汲み取ることができるし、また、そうすべきなのです。
飢えるが如く、渇くが如く、真剣に知識を求める学生の息吹は、教師にさらなる向上を促す推進力でもあるのです。
学生の行雲流水の如き自由闊達な思索は、常に教師の新知(しんち)創造のインスピレーションの火花を触発します」
その通りである。進んで学生たちの中に飛び込み、学生を敬いながら、真剣に交流していく教育者は、常に若々しく、自らの青年の生命を躍動させていくことができる。
教育者とは、また指導者とは、生涯、弛みなく、生き生きと間断なく成長していくのである。これが、教育に生きる生命の、誉れある特権であるといっても過言ではあるまい。
廃虚の中から
一、章先生が華中師範大学の学長に就任されたとき、伝統ある大学は、文化大革命によって、壊滅的な破壊を受けていた。キャンパスの様子は、「見渡す限りの廃虚」であったという。
章先生は、その「廃虚」の中から立ち上がり、大学再建への指揮を厳然と執っていかれた。
財政的にも、極めて厳しかった。多くの学生たちも自信を失っていたという。
その中で章先生は、いかに苦しくとも、弱者の立場に甘んじて、政府の助けや社会の同情を期待するようであってはならないと、皆に訴え続けた。
そして、環境が厳しいからこそ、より強い心構えで向上を求め、自らの実力と業績をもって政府や社会の尊敬を勝ち取っていこうと、「自力更生の精神」を奮い立たせていった。
この建設の死闘ありて、華中師範大学は、大中国の名門大学として、全国有数の学術・教育の成果を挙げるようになったのである。
アメリカの教育者オルコットの信念
生徒に感じさせよ「あなた達は人類の希望」
教師も教えることで向上する 中国の歴史家
学生第一で改革
一、優秀な多くの人材を世に送り出し、発展し続ける大学には、どのような特質があるか。
私は、世界の諸大学を訪問し、多くの大学首脳と対話を重ね、学生たちとも胸襟を開いて語り合ってきた。
そうした見聞のうえから、発展する大学の特質を、3点にわたって、章先生に申し上げた。
第一に、大学首脳が、真剣に学生の声に耳を傾け、「学生第一」の校風を率先して広げていること。
第二には、従来の手法や制度に安住することなく、時代の動向に絶えず目を配り、社会や人々が最も必要としていることは何かを探りつつ、大胆な改革を厭わないこと。
そして第三の点として、何より大切なのは、いかなる時代の波浪に遭おうとも「建学の精神」を堅持し、実現させることを最大の誇りとし、責務としていることである──と。
章先生は、「いずれも深く納得できる点です」と、心から共感してくださった。
そして、こう語っておられた。
「その観点に照らしますと、貴・創価大学は、まさに、理想的な大学建設の最先端を進んでおられると思います。
とくに創価大学は、社会や民衆への奉仕という面で多くのことに取り組まれてきました。
それによって勝ち得た業績や影響は、実に大きなものがあると思います」
創価大学に対する、世界の大教育者の評価として、ありのままにご紹介したい(大拍手)。
周総理は学校の食堂の方々のもとへ
あなたたちの仕事は革命の跡継ぎを育てる欠かすことのできない大切な仕事
支援者の皆様に健康と長寿あれ
一、それは、周恩来総理が、北京市内のある学校を視察した際のことであった。
過密なスケジュールのなか、総理は時間をつくり、学校を陰で支えている食堂の人のところにまで、自ら足を運んだ。
礼を尽くして、周総理は、こう語りかけた。
「あなたたちの仕事はたいへん重要です。これは革命の跡継ぎ人を育てるという革命の事業にとって、欠かすことのできないたいせつな部分なのです」(新井宝雄著『周恩来の実践・指導力の秘密』潮出版社)と。
創価大学でも、アメリカ創価大学でも、そして創価学園でも、食堂の方々が、日々、尽力してくださっている。
私は、心から感謝申し上げたい(大拍手)。
「メキシコの思想家パスコンセロスは語っている。
「図書館は最高の教室である」
本は、大学の生命である。人生の宝である。
その意味で、常日ごろから、学生の英知の錬磨を支えてくださっている図書館の方々の尊きご苦労に対しても、私たちは、心から、ねぎらいたい(大拍手)。
ともあれ、陰で人材を育て、支えてくださっている方が、どれほど多くおられることか。
寮を支えてくださっている方々、学生・生徒の健康のため、安全のため、充実した生活のために尽くしてくださっている方々、そして大学・学園の清掃、環境の整備、新たな建設に携わっておられる方々、さらには真心と労苦を尽くして支援し、創価教育を見守ってくださっている方々が、無数におられる。
教育という聖業は、この最も崇高な力の結集によってなされている。
創価教育を支え守り、その発展を進めてくださっている、すべての方々のご健康とご長命、そして、ご一家の永遠のご繁栄を、私は妻とともに真剣に祈り続けている(大拍手)。
「どんな劣等生でも優等生に」
一、私は、アメリカ・ソロー協会のボスコ元会長、マイアソン元事務総長と、対談集『美しき生命 地球と生きる』を発刊した。その中で、19世紀アメリカの大教育者ブロンソン・オルコットについて語り合った。
ブロンソン・オルコットは、若き日、経済的に恵まれず、高等教育を受けることができなかった。しかし、独学で身を立て、当時においては画期的な「全人教育」を提唱し、実践していったのである。
彼は20代のころ、子どもを最大に尊重しゆく、自らの教育信条を綴っている。その中には、次のようにあった。
「教えられる者の価値を尊びつつ教えよ」
「明瞭な説明を十分に多くして教えよ」
「激励により教えよ」
「興味をひき起こすように教えよ」
「人類が生徒たちに託した希望によって生徒たちは重要な存在であることを感じさせて教えよ」
「学校全体の幸福を考えつつ教えよ」
「強制ではなく説得により教えよ」
「生徒に自ら教えることを教えよ」(宇佐美寛著『ブロンスン・オルコットの教育思想』風間書房)
「子どもの幸福のための教育」を志向した、創価教育の父・牧口先生、恩師・戸田先生の思想にも通じる。
このブロンソン・オルコットは、教育者の使命について語っている。
「教授におけるわれわれの関心事は、仲間としての人類であり、われわれは、幸福を得て人々に分ち与える手段としての教育をしごとにしているのである」(同)
さらに、こうも記し残していた。
「子どもの心の中には、知識と真理への志向性が存在しているのであり、もしその動きが顕わにならず、活発にも効果的にもならないとしたら、それはわれわれの怠慢か誤った指導のせいなのである」(同)
戸田先生も、「どんな劣等生でも優等生にしてみせる」という信念で、教育に取り組んでおられたことは、皆さんもご存じの通りだ。
一、ブロンソン・オルコットの教育思想と実践は、革新的であった。それゆえ、世間の無理解による中傷に遭い、設立した学校も、短期間で閉鎖となってしまう。
柱である父の仕事がうまくいかず、貧窮する一家を、母とともに、娘たちが支えた。その娘の一人が、戸田先生が若き乙女に語った『若草物語』の作者、ルイザ・メイ・オルコットである。
彼女は、『若草物語』の続編である『リトル・メン』(邦題『第三若草物語』)を、1871年に発表した。その中で、かつて自らも学んだ「父の理想教育」を再現した物語を描いていった。
それは、中傷され、挫折した父の教育事業の真実と、その父を支え続けた母の勝利を、世に明らかにするためであった。
彼女は物語を綴った心情を、こう語っている。
「父の到達したすばらしい真実を、三十年もの間、昔の先生の感化を決して忘れていない生徒たちの心と記憶の中に、無言で存在し続けてきたその真実を伝える役割を果たさせることは、仕事であり楽しみであるばかりでなく、全く適切なことです」(師岡愛子編著『ルイザ・メイ・オルコット──「若草物語」への道』表現社)
『リトル・メン』は、『若草物語』シリーズの絶大な人気もあり、出版前から驚異的な予約申込数であったという。
刊行されるやいなや、読者に、こうした学校が実際にあったのかという大きな関心を引き起こしていった。
そして、ついに父の教育記録が、約40年ぶりに再版されるに至った。娘の力によって、父母の真実と偉大さが、世界に宣揚されたのである。
邪悪には決着を 巌窟王になれ!
一、次元は異なるが、戸田先生も、獄死という“不遇のなかの不遇”に処された牧口先生の真実を世に知らしめるため、「巌窟王」となって戦い抜かれた。
私もまた、牧口先生、戸田先生の真実を、燦然と世界に示してきた。
かつて、私は愛する創大生に書き贈った。
「私は侮辱を受けても 復讐など求めない!
しかし絶対に大勝利者となりて
悪の確執に決着をつけてみせる!」
創価教育は、三代の夢である。すべての民衆が輝く時代へ、正義の勝利の人材城の建設へ、一段と力を注いでまいりたい(大拍手)。
育て! 偉大な「王子」「王女」よ
一、創価大学の第1回入学式は、昭和46年(1971年)の4月であった。
その折、ある父母が、誇りをもって、うれしそうに、こう語っておられた。
「『八王子』という地名には、優秀な偉大な『王子』『王女』、すなわち学生たちが、たくさん育って、日本の社会の、そして世界の大指導者となって活躍するという意義がありますね」
今や、その通りの八王子となり、創価大学、創価女子短期大学となった(大拍手)。
これからも、さらに無数の大人材を、世界へ、世紀へ育てゆくことを決意し合って、本日のスピーチを終わりたい。
長時間、ありがとう!
教育は、私の最後の事業である。いよいよ、これからが本番だ。
ともに前進しよう!(大拍手)
(2008・3・7)