第2総東京最高幹部協議会 下

永遠に『弟子の道』『不二の道』を征け

トルストイ 信仰のみが人間を結合させる
師弟ありて団結は固まる
大聖人滅後の日興上人の叫び 師敵対の邪義を許すな


一、「異体同心」の前進のために、一番、肝心なことは何か。それは「師弟不二」で生き抜くことだ。
 「師弟不二」こそ、「異体」を「同心」たらしめる要諦である。それが絶対勝利の4原則の第四点である。
 日蓮大聖人は、油断ならない状況のなかで信心に励む池上兄弟の二人に、こう教えられた。
 「こう言うと恐縮ですが、お二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いと思い合わせていきなさい。もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸仏・諸天等の)加護がどうなってしまうかと考えていきなさい」(御書1108頁、通解)
 一人一人が、師と心を合わせ、広宣流布に前進する決意を深めていった時に、初めて異体同心の団結が固まる。そこにこそ、妙法の功力が燦然と発揮されていくのである。
 さらに御書を拝したい。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」(同900頁)
 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同988頁)
 「もし法師に親近するならば、速やかに悟りの道を得るであろう。この師に従って学ぶならば、恒河の沙の数ほどの仏にお会いできよう」(同1070頁、通解)
 「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同1151頁、通解)
 「法華経の大海のような智慧の水を受けた根源の師を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず地獄等の六道の迷苦の生死を経巡るという災いにあうこととなろう」(同1055頁、通解)一つ一つの御金言に明確なように、仏法の極意は「師弟」にあるのだ。
 一、日興上人は仰せである。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。
 師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」
 「師弟不二」にこそ、成仏を決しゆく根幹がある。そして「師弟不二」にこそ、広宣流布を永遠たらしめる大道がある。
 これまでも論じてきたように、日興上人と、違背の五老僧を決定的に分けた点が、「師弟不二」であった。
 日興上人は、日蓮大聖人を「末法の御本仏」と正しく拝し、あくまでも自身を「日蓮大聖人の弟子」と誇り高く称されていた。
 それに対して、五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて、愚かにも、「天台沙門」と名乗った。さらに、大聖人が庶民のために仮名まじりで記された御手紙などを、師の恥であるといって、焼き捨てたり、すき返したりした。
 日興上人御一人が、この仮名まじりの御書を大切に護り、未来に翻訳して、中国やインドなど世界へ伝えていくことまで、御心に定めておられたのである。
 〈日興上人は「日本の大聖人の金言も、広宣流布する時は、また仮名文字を翻訳して、インド、中国に流通すべきである」(御書1613頁、通解)と仰せである〉
 「師弟不二」を厳粛に貫き通された日興上人と、師弟に徹しきれなかった五老僧の違いは、あまりに歴然としていた。
 広宣流布は「師弟不二」であってこそ成し遂げることができるのである。
 「師弟」という柱がなければ、たやすく自分の感情に流され、時代の状況に流されてしまうからだ。「師弟」がなければ、難に直面したとき、あまりにも、もろく崩れ去ってしまうからだ。
 大聖人の御入滅後、日興上人の峻厳なる師弟不二の大闘争は、半世紀以上に及んだ。
 その烈々たる執念の破邪顕正の法戦によって、五老僧の邪義は、完壁に打ち破られたのである。
 戸田先生が逝去されて50年──。
 私は、先生の直弟子として、一点の曇りもなく、万年に輝きわたる「弟子の道」「後継の道」「不二の道」の規範を打ち立てることができたと確信している。

 師子王と
  なりて今世を
    勝ち征かむ
  師弟不二なる
    大道歩みて

 創価師弟不二の完勝を、私は、第2総東京をはじめ全世界の同志とともに、晴れ晴れと宣言したい(大拍手)。

 精神を受け継ぎ改革の名指揮を
 一、トルストイは語った。
 「たた信仰のみが人間を結合させる」(米川正司訳「信仰について」、『トルストイ全集』第16巻所収、岩波書店。現代表記に改めた)
 「団結は、互いを高めるために良いのである」
 かのトルストイ家の子どもたちが通い、トルストイ自身もしばしば訪れた学校の場所に立っているのが、トゥーラ国立教育大学である。
 今回、お越しくださった、聡明な女性教育者であるシャイデンコ総長の指揮のもと、トゥーラ国立教育大学は、ロシアの名門教育大学として大発展されている。
 じつは、総長は、母校であるトゥーラ国立教育大学の総長に就任されたとき、ロシアのなかで最も若い総長の一人であったという。
 若き総長は、年齢が自分より上の経験豊かな教員や、かつてお世話になった教員の方々も、リードしていかなければならなかった。
 礼儀を尽くし、調和を図るのは当然としても、遠慮したり、萎縮していては、改革や前進の指揮を執ることはできない。
 そのなかで、英邁な総長は、トルストイの精神遺産の継承を高らかに掲げ、団結のリーダーシップを見事に執ってこられた。そして真剣に、誠実に、忍耐強く力を発揮して、皆の信頼を勝ち得てこられたのである。
 トゥーラ国立教育大学は、トルストイという大師匠のもと、皆が団結して進んでこられた。
 学会の組織にあっても、「広宣流布」という大目的に向かって、「師弟の精神」のもとに、皆が団結していくことだ。また、皆を団結させていくことである。
 先輩は、若いリーダーが伸び伸びと力を発揮できるように道を開いてあげる。後輩は、尊い功労者が張り合いをもてるよう、心を配る。
 大事なことは、全体が広宣流布へ、新たな一歩前進をしていくことである。

 「勇気を失ってはいけません!」
 一、トルストイは、2歳になろうとする時、母を亡くし、さらに9歳になる前、父も失った。
 若くして、そうした深い悲しみを乗り越えた魂こそが、人類を照らし、励ます光を放っていくのである。
 父母を亡くしたトルストイを、父のごとく、母のごとく支えてくれたのが、美しく豊かな故郷卜ゥ−ラの大地であった。
 また、母に代わって、トルストイを育て、深い影響を与えた一人が、ヨールゴリスカヤという遠縁にあたる婦人であった。
 青春時代の試練のとき、彼女は、こう激励してくれた。
 「愛しいリョーバ(トルストイの名レフの愛称)よ、こういう嫌なことも、忍耐強く、逞しく耐えるのです。
 人生は、いつもバラ色の時ばかりではないのですから。勇気を失ってはいけません」
 温かく見守ってくれている婦人の存在が、どれほど若きトルストイを勇気づけたことか。私には、未来部の担当者の方々の姿と重なりあって迫ってくる。
 第2総東京は、未来部育成においても、模範を示している。
 若き友を大いに励まし、育て、伸ばしていこう!
 トルストイにとって、ヨールゴリスカヤは"心の美しさの手本"であった。彼女から"人々に尽くす献身の姿勢を学んだ"と、トルストイは感謝を込めて語っている。
〈『復活!! トルストイ──生誕170年祝典号』昭和女子大学学園本部トルストイ室を参照〉

トルストイを育てた婦人は「心の美しさの手本」
若き友に"精神の宝"を贈れ

 言葉だけでなく、先輩の姿が、振る舞いが、生き方それ自体が、後輩の手本となる。
 そして、心の美しさこそ、最高に尊い。精神を育む糧こそが、最高の宝なのである。
 トルストイは喝破した。
 「外部の優秀さのみを誇る者は、精神の価値や、その高邁な意義を解さぬ人である。何故ならば、精神的の価値は、物的のそれとは比較にならぬ程高いからである」
(小西増太郎訳『生きる道』桃山書林。現代表記に改めた)
 真心からの励ましの一言が、どれほどの精神の糧となるか。
 「善は他人の心に善を喚び起こし、たとえそれが外に見えずとも、確かにその効果を生ずる」(八杉貞利訳「訓育に関する諸考察」、『トルストイ全集』第20巻所収、岩波書店。現代表記に改めた)
 反対に、心ない一言が、どれほど人の心を傷つけてしまうか。
 「一語は大事である。一閃の火が全村を焼き得る如く、一語から至大の不幸が生じ得る」(八杉貞利訳「修身問題に関する児童達との対話」、同)
 トルストイの人材育成についての言葉である。
 御聖訓には「わざわい(禍)は口より出でて身をやぶる・さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492頁)と仰せである。
 いかなるときも、私たち創価家族は、温かく励ましあって前進していくことを忘れてはならない。

 「常楽我浄」の生命の旅路を
 一、トルストイの生命観に──
 「生命は死によって滅びるものではなく、形を変えるだけである」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫
 「もし生が──幸福であるならば、生の欠くことのできない条件である死もまた幸福である」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 「他者を助け、できる限りのことを為したとの実感があれば、死さえも、苦しみではなく、歓喜となる」と。
 私が、ハーバード大学での2度目の講演(1993年)で論じた「生も歓喜、死も歓喜」という生死観とも響きあっている。
 この私の講演を基軸として、今、アメリカでは、最高峰の知性の先生方が考察を深めてくださっている。
 ともあれ、世界は、大仏法の哲理を志向している。
 この「常楽我浄」の生命の旅路を、さらに誇りも高く、ともどもに、明るく朗らかに、そして、勇敢に堂々と進みゆくことを決意しあって、私の記念のスピーチとしたい。ありがとう!(大拍手)
 (2008・4・5)