青春の華 幸福の太陽

「対話」と「励まし」こそ平和の光源

婦人部女子部“婦女一体”で朗らかに
紫陽花の如く! 「元気な女性」の乱舞を

 初めに、今回の大雨による、九州の熊本、鹿児島、大分、長崎等の被害、そして台風4号による兵庫、和歌山、静岡等の被害に心からお見舞いを申し上げます。
 梅雨に加え、台風にも要注意の昨今の気象であり、大切な皆様方の絶対の無事安穏を、私はさらに真剣に祈ってまいります。

希望の連帯を拡大
 「私は太陽の熱愛者なのです。太陽がすべての生命の根源であることを知っているからです」
 共に対談集を発刊した、アメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士は、生命を守り、慈しむ女性ならではの視点で、「母なる太陽」に感謝されていた。
 この6月は、創価の太陽である女性たちが、いやまして光り輝く時だ!
 婦人部と女子部の“婦女一体”で、地域に大きな信頼の虹を懸けられている。
 女子部は、6・4「世界池田華陽会の日」を勝ち飾り、爛漫たる青春の華のように、希望の笑顔咲く、友情の連帯を拡大している。
 そして婦人部は、6・10「婦人部の日」を記念する月間である。颯爽と足取りも軽く、朗らかに、幸福勝利へ前進する。
 世界各国の婦人部・女子部の偉大な躍進も、本当に嬉しい限りだ。
        ◇
 6月は、女子部の「白樺グループ」「華冠グループ」の結成記念の月でもある。看護そして美容の世界で生命を守り、磨き、輝かせて、はつらつと活躍してくださっている。
 婦女一体で“女性の日”を祝賀する地域も、総東京の豊島、荒川、墨田、足立、世田谷、江東、江戸川をはじめ、長崎や福島、愛知など数多い。
 ちょうど、この季節、街角を彩る紫陽花《あじさい》のように、創価の女性たちの集いは、ひときわ皆の気分もパッと晴らしてくれる。
 紫陽花には“七変化”との異名がある。白、青、ピンク、紫……色の多彩さに加え、同じ花でも様々に色変わりをするからだ。
 あの友、この友の心に光を当て、多彩に励ましと希望の花々を贈る、創価の座談会のようでもある。
 紫陽花は多くの“市区町村の花”としても親しまれている。神戸市や福井市、神奈川・相模原市、群馬・渋川市もそうだ。
 また、昨年の大震災の被害を乗り越えてきた千葉・旭市をはじめ、各地に“あじさいロード”がある。
 岐阜・関市の板取街道には、7万本もの紫陽花が咲き誇る。宮崎・美郷町にも、埼玉・加須市にも、色鮮やかな花の道は広がる。横浜市保土ケ谷区にある“滝ノ川あじさいロード”も名所の一つだ。
 紫陽花の花言葉には「元気な女性」とある。いずこにあっても、苦難に負けない女性たちの笑顔が輝いているに違いない。
 あの地、この地で、わが同志は地域を愛し、信頼と友情の花々を咲かせておられる。その尊い姿と重ね合わせつつ、私も折にふれ、敬愛を込めて紫陽花にカメラのレンズを向けてきた。

 快活な
  花の如くに
    朝日をば
  浴びて勝ちゆけ
    今日も明日も

使命も宿縁も深し
 日蓮大聖人は、こう仰せになられた。
 「過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず」(御書1337ページ)と。
 宿縁深く妙法で結ばれた家族や同志は、生死を超えて、永遠に一緒に仲良く「常楽我浄」の旅路を進んでいけるのだ。
 ──草創の女子部・婦人部の尊き使命のリーダーであった多田時子さんが、深い感謝を込めて、振り返っておられたことがある。
 経済苦や病気、父に続いて母を亡くした寂しさ……多田さんは、戦後、打ち続く宿命の嵐の中で座談会に出て、「必ず幸福になれる」との確信ある励ましに触れた。その3度目の座談会が終わって帰ろうとした時、片隅に座っていた一人の婦人が、ポンと肩をたたいて声をかけてくれた。
 「あら、まだ信心してなかったの。早くしないと損をしますよ」
 会合の一参加者までも、中心者と同じ確信を持ち、こんなに温かく、真剣に見守ってくれているのか! その庶民のお母さんの真心の一言が背中を押してくれ、多田さんは入会の決意が固まったというのだ。
 昭和26年夏、多田さんが御本尊を御安置する時には、女子部の班長だった私の妻も立ち会い、祝福した。以来、苦楽を分かち合ってきた不二の同志である。

人生勝利の価値論
 信心は最高の幸福の大道である。戦うべき時に臆病や迷いで戦わないのは、結局、自分が「損」をしてしまう。思い切って戦い抜けば一生涯の「得」になる。
 この大事な「価値論」を、最前線の母たちが完璧に会得し、実践している。ここに学会の強さがある。
 「美・利・善」の独創的な「価値論」を打ち立てられたのは、創価の父・牧口常三郎先生であられる。今月、生誕141周年を迎えられた先師も、今や世界中で、日々、偉大な幸福の価値を創造しゆく創価の女性たちの活躍を、心から喜ばれているであろう。

麗しき母娘《ははこ》の前進
 私と妻には、日本中、世界中に“忘れ得ぬ広布の母たち”がいる。
 そんな懐かしい一人として、かつて東京・北区に住んでおられた婦人を思い出す。私も、お宅にお邪魔したことがある。
 この婦人は、女子部時代の多田さんの折伏で入会した。清々しい乙女の確信が、母世代の人生の先輩の心を動かしたのである。続いて、この母の4人のお嬢さんも信心したことから、家には、多くの女子部員が訪れるようになった。
 面倒見のよい、この下町の母は、いつも乙女たちを温かく迎えた。時にはラーメンを作ってふるまったり、時には親身に悩みの相談も受けた。「人生、いろいろなことがあるけど、どんなことがあっても、学会についていけば、絶対に間違いないよ」と、励ますのが常であったそうだ。
 皆も“お母さん”と言って慕い、多くの人材が育っていった。
 この母の入会30周年の節目には、お世話になった女子部の“娘たち”が約20人も集い、楽しく広布と人生のロマンを、心ゆくまで語り合ったという。
 ともあれ、婦人部と女子部が麗しきスクラムで前進する時、そこには広宣流布の希望のハーモニーが、幾重にも広がりゆくのだ。

「生命尊重」の実践
 信濃町民音音楽博物館には、スペインの大音楽家パブロ・カザルス愛用のピアノも展示されている。
 人間を苦しめ、文化を破壊する戦争と暴力に抗議し続けたカザルスは、世界の母たちに呼びかけた。
 「私は思うのだ。世界中の母親たちが息子たちに向かって、『お前は戦争で人を殺したり、人から殺されたりするために生まれたのではないのです。戦争はやめなさい』と言うなら、世界から戦争はなくなる、と」
 全く、その通りである。人類は、真実の賢者たる母たちの声に素直に耳を傾けて、世界不戦の段階へと進んでいかねばならない。
 生命を育む力。
 生命を尊ぶ心。
 本来、「命」そのものに国境も差別も格差もない。あってはならない。それを誰よりも実感し知悉しているのは、女性である。
 創価の女性たちは、生命尊厳の大哲学を掲げ、一人の人を大切にする実践をたゆみなく積み重ねている。それが、いかに重要な平和創出の意義を持っているか、計り知れない。
        ◇
 フランスの哲学者アランは、名著『幸福論』の中で、「正義をつくりだすことによってのみ、平和が存在するのだ」と喝破した。
 そのためには、「正しいものは正しい」と、正義を言い切っていく勇気が根本となろう。
 まさに創価の母たち、乙女たちは、庶民の賢く鋭い目線で正義を勇敢に語り抜いている。これこそ「立正安国」の最高の推進力だ。
 仏法においては、平和といっても、どこか遠くにあるものではない。
 日蓮大聖人が、「都《すべ》て一代八万の聖教《せいきょう》・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外《ほか》に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず」(御書383ページ)と仰せの通り、全て自分自身の中にある。
 ゆえに、自分から行動を起こすことだ。自分から周囲に語りかけることだ。
 「自らの生を汚しうる最大の不道徳、それは怠惰と無関心なのです」とは、フランスの作家ジョルジュ・サンドの指摘であった。怠惰と無関心は、結局、自身の人生を傷つける。
 残念ながら、現代社会には、自分さえよければいいといった利己主義や、人間関係を「煩わしい」といって避ける風潮がある。
 しかし、昨年の東日本大震災の苦難の中で、あらためで「支え合い」「励まし合い」の「心の絆」の大切さが見直されてきたといえようか。
 なればこそ、何ものにも壊されない「心の財」を積んできた、尊き地涌の同志たちの存在が光る。日々、積極的に人と関わり、生き生きと励ましの対話を広げゆく、わが創価の女性の団結こそ、正義と平和の光源なのである。

「まさに奇跡です」
 先月、中国の高名な研究者の方々が、宮城県石巻文化会館や女川町の仮設住宅、さらに東松島の個人会場で行われた座談会を訪問された。いずれも大震災の甚大な被害を受けた地域である。
 そこで、最愛の家族を亡くした母や、大切な家を失った女性たちが、苦しみや悲しみを乗り越え、明るく強く人びとを励ましている姿に、皆、感涙されていた。
 「まさに奇跡です!」
 「皆さんこそ、母の中の偉大な母です!」
 「無名の庶民にこそ、本当の偉大さがあり、本当の強い心と力があると、感嘆しました」
 「皆さんの生き抜く姿を通し、『人間革命』の本当の意味がわかったような気がします」等々……。
 異口同音に、格別の感動を受けたと語られていた。
 世界の知性が、創価の女性の前進と連帯に、大いなる希望の光明を見出す時代に入っているのだ。その使命と誇りも高く、晴れ晴れと「平和の世紀」を開きゆく主役は、皆様なのである。

 崇高な
  使命に生き抜く
   貴女《あなた》こそ
  尊き仏の
    心なるかな

 カザルスの言葉はカーン編『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』吉田秀和・郷司敬吾訳(朝日新聞社)。アランは『幸福論』宗左近訳(社会思想社)。サンドは『スピリディオン』大野一道訳(藤原書店)。

創価の女性のスクラムは世界の希望

生命を燃焼した力は無限
皆が健康・長寿で! 勝利の人生を!

 この世をば
  力のかぎりの
      蛍光《ほたる》舞

 6月といえば、蛍が舞い飛ぶ季節である。
 大阪・交野市の関西創価学園では、今年も9日に、学園生たちが真剣に育てた蛍の観賞の夕べが、地域の方々と共に優雅に行われた。
 東京・八王子市の創価大学の蛍桜《けいおう》保存会による伝統の「ほたるの夕べ」も、本年で30回の佳節となる。
 蛍の光の芸術は「平和」と「共生」のロマンであるといってよい。
 「やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし」──清少納言は『枕草子』の中で、蛍の美しさをこう讃えた。
 蛍の成虫の寿命は、わずか1、2週間。しかし、その間、自らの命を燃やして光り続ける。
 「蛍の光」の歌で知られる中国の「蛍窓《けいそう》」の故事は、苦学の青年・車胤《しゃいん》が夏の夜、蛍を集めて灯とし、勉強したと伝えている。
 たとえ小さくとも、生命を明々と燃焼させたところには、大事を為しゆく力が必ず生まれゆくものだ。
 日蓮大聖人は、「千里の野の枯れたる草に螢火の如くなる火を一つ付けぬれば須臾《しゅゆ》に一草・二草・十・百・千・万草につきわたりても(燃)ゆれば十町・二十町の草木・一時《いちじ》にやけつきぬ」(御書1435ページ)と仰せである。
 必死の一人がいれば、その情熱は、燎原の火の如く伝播する。
 とりわけ、御聖訓には、「竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす」(同223ページ)と示されている。
 家庭にあっても、地域にあっても、社会にあっても、女性の力ほど偉大なものは決してないのだ。
 今、わが関西創価学園の女子同窓生の集い「蛍会」の友も、あの地この地で、力の限り光り舞っている。
      ◇
 蛍といえば、満月輝く鳥取県の米子文化会館の思い出が蘇る。
 昭和53年の7月20日。友の笑顔と蛍の光に包まれながら、私も大好きな中国方面の歌「地涌の讃歌」は完成したのである。あの名画の光景は、終生、瞼から離れることはない。
 その名も「山光」と謳われる鳥取県島根県は、日本の心の故郷として名高い。名曲「ふるさと」の調べを生み出した作曲家・岡野貞一氏も鳥取の出身である。
 いにしえより「花の王」と讃えられる牡丹の日本一の産地は、島根の中海に浮かぶ「大根《だいこん》島」である。
 東対岸の米子空港とは、目と鼻の先。私も機上から、島の同志に題目を送ったことが懐かしい。
 この島から学会本部へ、毎年、地域の広宣流布の前進の様子とともに、名産の牡丹の便りを送ってくださってきた母がいる。
 半世紀近く前に、この地に嫁がれた。いまだ学会への偏見も根強い時代から、一歩も退かずに、題目根本に頑張り抜いてこられた。
 高齢の家族・親族3人を抱え、娘さんと共に「うちは時代の最先端だ!」と、朗らかに介護を続けられた。
 見事に一家和楽の模範を築かれ、地域に信頼を勝ち取ってきた母の口癖は、「地域を歩くことが大事よ」であった。
 今は亡き母の「希望の哲学」は、女子部時代から一緒に広布に進み抜いてきた娘さんが立派に継承されている。
 牡丹の花言葉は「誠実」である。いかなる勝利も、誠実な一歩、また一歩の歩みから生まれる。
 共に行動し、共に成長する。“婦女一体”の「人間革命」の前進は、未来永遠に福徳と友情の花を、咲かせ広げゆくに違いない。

 可憐なる
  母と娘の
     牡丹かな

ありのままの姿で
 確固たる哲学を持って生きる女性には、苦難の烈風にも決して負けない強さがあり、明るさがある。
 世界文学の最高峰の一つと仰がれる『源氏物語』の作者である紫式部──。
 彼女もまた、同時代の清少納言らと共に「女人成仏」の法理を明かした法華経に深く親しんでいた。
 紫式部は、宮廷の人びとの悪口や嫉妬にも毅然としていた。
 「人はどういおうと あくまで自身を大切にして行こう」という意味の歌も、凛と詠じている。
 また『源氏物語』で有名になると、“傲慢で人を見下す人間だ”などと陰口を叩かれた。
 しかし、彼女は気取らず、和やかに、人の輪の中に打ち解けていった。
 その聡明な姿に接した人びとは、「実際つき合ってみると、不思議なほど鷹揚で、まるで別人かと思われるほどです」などと語り、周囲の偏見は吹き飛んだというのである。
 ともあれ、勇気と知恵をもって、ありのままの姿で人と会っていく。見栄を張ったり、無理に飾る必要はない。どこまでも自分らしく、わが信念を誠心誠意、語っていくのだ。
 これこそ、信頼拡大の方程式ではないだろうか。
 東京・小平市創価学園の側《そば》を流れる玉川上水に沿った遊歩道には、「ムラサキシキブ」の木が植わり、小さな花も咲き始めた。
 「哲学者の道」の愛称で親しまれるこの道を通う、わが学園の乙女たちよ!
 一日一日を大切に、楽しく、伸び伸びと「女性の世紀」を担い立つリーダーに育ち、幸福と平和の絵巻を綴っていってほしいと、私はいつも見守っている。

苦労は幸福の土台
 女子部の皆さんも、仕事や勉学、学会活動に奮闘するなかで、思うようにいかない場合があるだろう。
 子育てや人間関係などの現実に悪戦苦闘している、ヤング・ミセスの皆さんもおられるかもしれない。
 しかし、若き日の苦労は、すべて幸福になるための土台作りである。
 名作『母』や『大地』で知られるアメリカの作家パール・バックは、今月で、生誕120周年を迎える。
 自ら母として、重い障がいを抱えた我が子を慈しみ育て上げながら、熱い正義の心で平和の行動を貫いた気高い女性である。
 彼女は語っている。
 「悲しみには錬金術に似たところがある」「悲しみが喜びをもたらすことはありませんが、その知恵は幸福をもたらすことができるのです」
 ましてや、苦労した人が一番、幸福になれる信心である。妙法を唱えながら貫いた努力と忍耐は、必ず未来の宝と輝くことを、明るく確信していただきたい。
        ◇
 大聖人は、義母の看病に真心を尽くし、自らも病気との闘いを続けていた富木常忍夫人に、繰り返し激励のお手紙を送られた。
 有名な「可延定業書」には、大聖人御自身が深き祈りで、母親の寿命を4年、延ばされたことを通されながら、こう仰せである。
 「今女人の御身として病を身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし」(御書985ページ)と。
 そして、善医である四条金吾の治療を受けていくように、こまやかに促されている。
 さらに大聖人は「一日の命は三千界(=大宇宙)の財にもすぎて候なり」(同986ページ)とされた上で、「法華経にあわせ給いぬ一日もい(活)きてをはせば功徳つもるべし」(同ページ)と励ましておられる。
 題目を唱え、広宣流布を目指して、生き抜いていく一日また一日が、どれほど素晴らしいか。
 どうか、日本中、世界中の婦人部・女子部の皆様が日々、健康第一で生き生きと、そして一日でも長く幸福長寿であられるように──これが、私と妻の、ご祈念の第1項目である。

世々《せせ》代々に継承
 先月、日中国交正常化40周年を記念し、周恩来総理と??穎超先生のご夫妻に光を当てた本が出版された(『周恩来・??穎超と池田大作』)。
 心から人民を愛し、人民から敬愛された、偉大なご夫妻であられた。
 私が胸に刻む??穎超先生の言葉がある。
 「次の世代は前の世代を超えなければなりません。一代ごとに優秀さを増してこそ革命は継続し、発展するのです」
 この信念のもと、??先生は、どんなに多忙でも、若者たちと関わり続けた。ある時は、恋愛や仕事の悩みを聞き、ある時は、若者たちから学ぼうという姿勢で臨んでおられた。
 「人の意見や経験を聞くことはとても大事だと思うわ。でもね、それは人のものであくまでも参考よ、マネしてもだめ。自分で考え、自分で決めるのよ」
 先輩の考えを無理やり押しつけたりはしない。
 「もちろん失敗はしないほうがいい。でも失敗を恐れてはだめ、間違えば直せばいいの」
 そうやって、一人、また一人と地道に励ましを送り続けた。そんな人間味溢れる振る舞いがあったからこそ、後輩たちも自然と「??姉さん」と慕っていった。
 このような温かく大らかな関係を、婦人部・女子部の皆様は、今まで以上に大切にしていただきたい。
 ある時は“母娘”の如く、またある時は“姉妹”の如く──大事なことは、なんでも話せる、なんでも相談できる、そして励まし合っていける、希望と和楽の園を築いていくことだ。
 大聖人は「日本国と申すは女人の国と申す国なり」(御書1188ページ)と仰せである。
 この模範の“婦女一体”の前進を地域に、そして全国・全世界に広げてこそ、広宣流布は着実に、重層的に伸展していくのだ。
        ◇
 50年前の昭和37年、学会が「勝利の年」と掲げて大前進していたこの年は、別名「婦人部の年」であった。
 その前年は、男子部の「精鋭十万結集」の達成など、男女青年部の躍進が目覚ましく、また翌年には新しい学会本部の完成を控えた重要な1年であった。
 この勢いを見事な勝利に仕上げるのは、婦人の力であり、女性の熱意である。
 ゆえに、この年、私は婦人部の代表に「総勘文抄」をはじめ、多くの御書を講義させていただいた。「御書根本」が、創価の永遠勝利の鉄則だからである。
 大仏法を学ぶ喜びは広布拡大の熱願と燃え上がり、11月には、恩師の7回忌までの目標であった300万世帯を、いち早く達成できたのだ。
 それから半世紀──。
 総本部完成を明年に控え、勝負を決する1年を前進中だ。不思議な妙法のリズムを感じてならない。
 創価の愛娘たる“華陽”の乙女は、勝利の鉄則のままに「御書三十編」を真剣に学んでいる。この波動は、アメリカやペルーなど海外の乙女たちにも広がり、今や世界同時進行で御書の研鑽が進んでいる。
 この御書30編の一つに「乙御前御消息」がある。
 「冰《こおり》は水より出でたれども水よりもすさ(凄冷)まじ、青き事は藍より出でたれども・かさ(重)ぬれば藍よりも色まさる」(同1221ページ)
 まさに今、女子部から、新しき世紀を担う信強き人材が陸続と育っている。
 「華陽の誓い」の大道を真っすぐに、朗らかに歩み抜く女子部、万歳!
 「幸福の太陽」「和楽の太陽」「勝利の太陽」の婦人部、万歳!
 世界の希望と輝く、創価の女性の花のスクラムから、新たな躍進の歴史が必ずや開かれゆくことを、私は確信してやまない。

 いざや立て
  いざや舞いゆけ
    広宣の
   天女の誇りを
     三世に飾りて

 清少納言の言葉は『枕草子』(岩波書店)。紫式部は『紫式部集』『紫式部日記』(岩波魯店)等を参照、訳文は今井源衛著『紫式部』(吉川弘文館)によった。バックは『母よ嘆くなかれ』伊藤隆二訳(法政大学出版局)。??穎超は西園寺一晃著『??穎超』(潮出版社)。