平和と文化の大城 池田大作の軌跡

第30回 中東・エジプトへの旅路

世界文明の十字路であるがゆえに、中東は異なる民族や宗教が衝突する発火点になってきた。 日本から遠く離れたアラブ社会に和平の道を開くため、池田会長は人知れず布石を打ってきた。 「どうか、もう一度、中東に行ってください」

民主音楽協会を設立

音楽は一部の特権階級のものでも、政争の具でもない。1963年、民音を設立。 池田会長が、民衆という大地に“音楽の種”をまいてから今年で四十五年を数える。 「民音を作った池田先生に、お会いしたい」=西郷輝彦の願い=「一度でいい。一目でいい。お会いし…

兵庫へ

摂津、播磨、但馬、丹波、淡路――多様な顔を持つ大県を、 一つにまとめたあげた人こそ、池田会長だった。 =親をも及ばぬ、砕身の激励があった。=

 第26回 映画人と池田会長

いかなる映画も、その幕があがる前に、製作現場で予想もしないヤマ場がある。 原作者、キャスト、スタッフ。映画『人間革命』に関わった人たちの間にも、筋書きのない名場面があった。

 第26回 映画人と池田会長

いかなる映画も、その幕があがる前に、製作現場で予想もしないヤマ場がある。 原作者、キャスト、スタッフ。映画『人間革命』に関わった人たちの間にも、筋書きのない名場面があった。

 第26回 映画人と池田会長

いかなる映画も、その幕があがる前に、製作現場で予想もしないヤマ場がある。 原作者、キャスト、スタッフ。映画『人間革命』に関わった人たちの間にも、筋書きのない名場面があった。

公明党を創立(下)

池田会長は恩師が構想していた「公明会」を創立した。 政治勢力と対峙しながら、 大衆運動をリードし、衆望の水かさは次第に高まる。 ついに政党結成の機は熟した。

公明党を創立(上)

軍閥政治の犠牲となった牧口初代会長。戸田二代会長は宗教を根本にした政治理念を掲げた。 政界に「五五年体制」が生まれる時代、政治進出の初陣に一人の青年が立ち上がった。

中国方面の開拓

恩師の命を受けた「山口作戦」から半世紀。 池田会長が展望した時代が到来し、中国五県で学会は揺るぎない信頼を得た。

山口の戦い

明治維新の電源地となった山口では、政界の指導者が勢力を競ってきた。 思想戦を決する要衝の地に、池田室長は乗り込んだ。

第21回 平和・祈りと行動

日米、日中、日ロ、日韓。国と国の反目の谷間で傷ついた人がいる。 人間社会の差別に人権をふみにじられた人がいる。 犠牲者となった大衆の目には、誰が平和の人に見えたのか。

連載第20回 信濃町の五五年

一九五三年、創価学会は新宿の信濃町に本部を移した。 戦前から学会と縁のある町を、誰よりも大切にしたのは、池田会長だった。

第19回 アメリカ・希望は海を越えた

自由な海外渡航が禁じられていた時代。日米関係も、戦後最悪の事態。 池田会長の決断は揺るがなかった。「みんな待っている。時は今だ」

 第18回 出会いのヨーロッパ

欧州の王室が東洋の一民間人である池田会長との交流を望んだ。 友情の連鎖が素晴らしき出会いを演出した。 ◆池田会長との邂逅を心待ちにする人がいた。 ▼ライン河の古城 「いや、これは……」 「なんと美しい」「まったく、まったく」 眼下にライン河が流れて…

第17回 大中部の光彩

――言論問題を越えて(下) 中部の学会員は「言論問題」の雪辱を果たす。 池田会長とともに進む庶民の情熱に労組幹部も驚嘆した。 ◆マスコミの風向きを変えた会長講演。 ▼第三十三回本部総会 東京・両国の日大講堂。二階に報道記者、演壇下にカメラマンが並ん…

第16回 大中部の光彩

――言論問題を越えて(上) 一九七〇年、学会を襲った「言論問題」。なぜ愛知選出の議員が 国会で取り上げたのか。嵐の中で池田会長は何を見据えていたのか。 ◆中部が受けた「言論問題」の波紋。 ▼中日新聞インタビュー 中日新聞社の社会部長(当時)・吉田昭…

第15回 青春の埼玉

――身をなげうって恩師を守った舞台 ひとたび事業家として敗れた恩師。埼玉での渉外、外交の成否が、事態を打開するカギだった。 戸田会長が再起できるかどうか、すべては二十二歳の青年の双肩にかかっていた。

第14回 正義の神奈川

――「私の舞台は、海の向こうだ」 「正義」と大書した思いを胸に、世界へ。会員の中へ。会長勇退後、横浜は、再び船が出航していく母港となった。 ▼四半世紀を経て公にされた「正義」の書。 ◇時が来たら出す 「用意できているね。じゃあ、見せて」 スピーチの…

 第13回 昭和三十四年・東京の戦い

――世間をあっと言わせた首都決戦 戸田会長の心残りだった東京の敗北。 恩師亡きあと、東京を強くした池田総務によって雪辱は果たされ、過渡期にあった学会は危機を越えた。 ▼東京創価学会の礎を築いた池田会長。 ◇根っからの「江戸っ子」 池田大作SGI(創…

第12回 ロシアへの第一歩

「ソ連が怖いのではない。ソ連を知らないことが怖い。だから行く」 一九七四年九月八日、ロシアの大地に第一歩を記した。 ◆日ソ間の“戦争”が終わった日。 ▼「日ソ復交」の承認 国会議事堂の長い階段を上り、池田大作青年室長は、三階の傍聴席に着いた。 コー…

 第11回 宗門事件の深層

宗門事件とは何か。 ある老僧が語った。「学会と宗門の争いではない。人間性の根本が問われた問題だった」。 その深層に迫る。 ▼寺の奥深くに、底知れぬ闇。 ◇「大奥」の深き闇 富士山麓の南西で寺が焼け落ち、現場から一体の焼死体が発見されたのは、一九四…

第10回 三代会長と九州(下)

「池田会長は思想で世界をひきつけた」(本島等・前長崎市長)。九州各界のリーダーが見た池田SGI会長の実像とは。

第9回 三代会長と九州(上)

国家権力。坊主。内部の敵――三代の会長が学会の前進をはばむ相手と対決した天地こそ、九州だった。

第8回 創価大学の開学

「よしっ!」――四〇年前、何もない丹木の丘で池田会長は決然と立った。あらゆる逆風、偏見、誤解にさらされ、創立事業は困難を極めた。

第7回 日中国交正常化を提言(下)

――「私は五〇年先の中国を見る」

第6回 日中国交正常化を提言(上)

――「日本は池田提言に救われた」

第5回 中南米への旅

孤高の指導者、フィデル・カストロにもたらした劇的な変化。無名の庶民という?表敬先″から開かれていった池田会長の民間外交。背広を着てカストロ議長が現れた。

第4回 大阪事件

「見ててみい。ワシの目に狂いはない」裁判長自身が池田会長の人格に圧倒されていた。会長が法廷で対峙したのは、戦前から昭和の時代を貫く思想弾圧の闇だった。

第3回

炭労事件―――売られたケンカは買おうじゃないか! 戦後の復興を支えた「炭都」北海道・夕張の地で繰り広げられた人権闘争。 池田室長の気迫に打たれ、無告の民は立ち上がった。 ◆夕張の庶民が精一杯にあげた正義の叫び。 ▼「炭都」を行き交った幾多の人生 ♪み…

第2回昭和31年・大阪

民衆は、かく戦い、かく勝った(下) 「民衆を見下すものは許さへん!」。 池田室長を中心に、関西の庶民たちは、権力の横暴に真っ向から挑んだ。